その足
真田 とら
深夜の出来事
現在の時刻は夜中の三時を回った。切れかけの外灯に集った蛾の羽の音が遠くで聞こえてくる。家は静寂に包まれていた。
私は今、トイレの中にいる。腰かけて一息ついた後、壁の隅に視線を移したきりそこから目が離せずにいる。
うっすらと張られたどこか頼りない蜘蛛の巣。その端に小ぶりな蜘蛛がぶら下がり、真ん中に捕らえられている小虫をじっと見つめている。逃げようともがくたびに糸は絡まっていく。蜘蛛は時折思い出したように足の先をちょい、ちょい、と動かし糸を操った。
「さぁ、いつでも食ってやるぞ」
私は昨夜の女を思い出していた。たまたま寄った飲み屋でたまたま声をかけたさえない田舎娘。年は二十三と言っていた。スカートの裾から覗くしなやかな足が美しかった。
ベッドの上でもやはりしなやかで、男を誘い込むためにあるようなそれだった。時に絡みついて、時に膝を折って、時に露わに開いて、ちょい、ちょい、とつま先で私を捕らえて離さなかった。
そのくせ身をよじって逃げようともする。その美しい足に触れさせてくれ。
ついに小虫が蜘蛛の足に捕らえられた。このまま頭からかじられるのか、糸に巻かれるのか。私は咄嗟にトイレットペーパーで蜘蛛をつまんだ。糸はちぎれてサラサラと壁を漂う。丸めたそれは私の汚物と一緒にトイレの奥深くへ流れていった。
昔祖母か誰かに聞いた言葉を思い出した。
「朝の蜘蛛は縁起が良い、夜の蜘蛛は縁起が悪い」
だからこんなにも清々しい気持ちなんだろう。はやる気持ちを抑え、ベッドで眠る田舎娘の元へと小走りで向かう。私の目蓋には、トイレットペーパーに捕らえられた一匹の蜘蛛の残像がはっきりと浮かんでいた。
その足 真田 とら @Sanatora_1
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