第48話 『塔』とVGO

***


「ヒロ、全部聞かせてよね」


 門奈計磨に摑まれた胸倉のシワを伸ばしながら、胡桃が問う。目の前では、胡桃と、優利のVR医療カプセルの調整が行われている最中で、胡桃は温かそうなフード付きの防寒服に着替えていた。


「これね。女子は何かと繊細だからって、肌の保護用のシート服なんだって。門奈さん、優しいよね。お肌の老廃物も綺麗に落ちるエステモードのモニターやってみるの」


 ……また、上手い事実験に巻き込まれてんな、胡桃は。


 キャッスルフロンティアKKは、色々な実体験モニターを強いて来る。VRの世界への感覚切断もそうだし、その先のDTデトックス値の計測や、滞在時間によるVRの抵抗や平衡感覚、医療メディカルとは定説だが、科学もまた然りなのだろう。


「……塔、あったんだね」


 胡桃には嘘はつかない。優利はしっかりと頷いた。門奈がどこかで聞いている気がしたが、VRに胡桃を連れて行く以上、もう隠すこともない。

 そう思うと、キャッスルフロンティアKKの機密の大きさが、如何に重責となっていたか、気が付く。


 ――まさか、門奈さん……それで、胡桃を巻き込んだ? 考えすぎかな。


「うん、あった。光り輝く呪詛の樹々セフィロトがいっぱい生えてて、塔はその真下にあった。クルタ曰く、俺は相当深いとこに落ちたらしい。その世界はVGOに会えたよ」


「あたしに似てるの?」


「――思えば、俺の脳内世界インナー・ワールドだったのかも知れない。塔として具現化したのかな。VGOのイメージがさ、そのまま感覚切断せずに残っただけかな」


 胡桃はパタパタとよく動く小さめのAIたちを見ながら、「それならそれでいいじゃん」と応える。


「あたしが、ヒロの心にいるって証拠だったらいいな。ヒロ、あたしもVGOやってみたい。無理かな。すっごく怖い? 精神参っちゃう?」


 答に躊躇しつつも、優利は胡桃と手を繋いだ。『塔』から浮かんだ時の胡桃の温かさと同じ感触は手のひらにゆっくりと馴染む。「あっちの胡桃の手も、あたたかかったな」告げるとなぜか胡桃は頬を赤くゆっくりと染め始めた。


「俺、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインでは、独りで生き抜いていたんだ。あのゲームって裏切りを重ねて行くゲームなんだと思っていたけど、違うのかも。胡桃、俺、この会社で思ったよ。例え裏切っても、裏切られても、それでも切れない人間はいる。数多の不幸に晒されても、もう一度出会う人間は、きっと決まっているんだ」


 キャシーや、ジェシー、堂園誠士が瞼に浮かんだ。


「ゴドレスって、神はないって意味だよね。新宿の区画の5G都市計画にも同じ名前、ついてるよね。ね、VRの世界ってどんな感じ?」


 同じところに行き着いた。キャッスルフロンティアKKの奥に隠された現実と、VRのパラリアル。胡桃となら、きっと怖くないだろう。あの塔に二人で駆け上がってみる景色は廃墟なんかじゃないはずだ。


「VRMMOの世界って美しいんだよ。胡桃に見せたいと思っていた。機密漏洩のつもりはなかったよ。ただ、胡桃に隠し事はしないって決めてるから。そして、塔は間違いなくあったよ。――門奈さん」


 呆れた様子で聞いていたらしい、門奈計磨の目をじっと見つめた。

「しつこいやつだな」と門奈は観念したように目を暁月優利に向けると、おもむろに口を開いた。


「――精神世界スピリチュアルのずっと奥。通常の人間が入ってはいけない禁忌の領域。そこにはたくさんの墓標と、言語が浮き、セカイを支え、聳え立つ塔がある。それはとてもVGOに似ている……のではなく、VGOんだよ、暁月優利」


「え? 逆なんですか?」


「言っただろ。ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインを作ったのは俺じゃないし、俺はそもそもキャッスルフロンティアKKの社員でもないんだ。医者の領域として関わっている。元々俺はハッカーだったし」


 優利は不思議な心地を噛み締めた。どうして、門奈計磨が急に「塔」のことを認めたのか疑問だったが、胡桃は「良かったね、ヒロ」と涙を浮かべて門奈に向いた。


「ヒロ、ずっと門奈さんに認めて欲しかったみたい。ありがとうございます」


「……きみのレシカは殺しても死にそうにないからな。あのVGOを作ったヤツに勝るとも劣らない。ただ、憶えておいて欲しい。生きれば勝ちだ。どんなに苦境であろうと、生きろ。死んだらそこで終わる。――俺は医者としてなら死神には抗うけどね」


 告げると、門奈はメディカルセンターに視界ごと向けた様子だった。あそこには、たくさんの「生きるための戦士」がいる。体が動かなくても、脳だけでも生きたいとの願いを持った人々がいる。


「俺が死なないと分かるまで、言わなかったんですね」


「半信半疑だった。だが、おまえの脳波は尋常じゃないレベルまで下がり、本来動かないはずのγ波、δ波、θ波が活動しているのを確かに視た。それで、おまえはおそらく感覚の中に、「絶対機関」を持っているのだと察したよ。それは生きようと思うと、拓く、水槽の脳への直結回路。絶え間なく記憶が上手く流れて行き、取り出すこともできる。本来なら全員が出来るはずだが……とは俺の友人の脳心理学博士、ユハス=コーデリアの遺した学説だった」


 そこまで凄い話を聞いているのに、さっぱり理解できない。代わりに胡桃が口をはさんだ。


「もしかして、VGOを作ったの、その友人さんで、友人さんも、ヒロと同じだったってことなのではないですか?」


 今度は門奈計磨が驚く番だった。胡桃は「んーと」と考えながら、答を紡いでいく。


「多分、その友人さん、『塔』を知ってて、VGOを作ったんです。で、えーと……うーん……そっか。その衝撃があまりに凄いから、同じヴィジュアルで、絶対に視えない世界を再現した……そこで、その衝撃の世界に耐えられる感覚の人間を探していた……? それって目的があったはずだと思うんですが、そこまでは読み取れない」


「胡桃ちゃん、きみ、この話は今、聞いたんだよね?」


「はい」と胡桃は笑顔になった。


「昔から、分かるんです。話の中の呼吸があって、聞こえる時があります。宿っているものが視えるんです。ウチのお鍋に、妙な神様が張り付いているんですが、そのお陰で、ご飯が美味しいんです。ばあちゃんは付喪神って言ってました。神様が呼吸を合わせてご飯を炊いてくれてます」


 門奈計磨は考え込み、「本当に、予測不可能だ……しかも、同調能力」と呟いて、しばらく目を閉じていたが、カプセルの整備の確認に意識を向け、また二人に振り向いた。


「暁月優利の脳波は乱れてやしない。やはり、VRの世界へ行こう。キャシーも、アーサーももう永くない。それでも、。その奇跡を見てやりたい。存在しているうちに、逢いに行こう」


 ――やはり。


 覚悟はしていた。優利は胡桃の手を握りしめた。


 VRで稀に光り輝く人々を目の当たりにしたはずだ。


 あれこそが、命の終わり、人が精神も消える瞬間だったのだと。それはとても儚く、散るようなものではなかった。荘厳に空に打ち上げられる花火のような。

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