第49話 胡桃VRへ、暁月優利の嫉妬

***


 胡桃に関しての出来事は、もちろん鮮明に憶えている。中でも印象的だった出来事が、小学三年生の春の遠足の一連だ。


 クラス、というには少子化であまりにも矮小な優利たちは、むしろ「村」に近い環境だったように思う。世界は一握りの國が牛耳って、僅か数百人が大富豪と呼ばれる時代。日本はおのずとハイテクノロジーの道を辿った。

 そんな中、遠足で、優利たちはとあるCG絵画美術館を訪れた。色々な絵画のCGが次々映し出される中で、胡桃は「え? 偽物?」と呟き、それを館長が聞いて、大笑いをした。

 しかし、胡桃は断固として「あの絵、おかしい!」と言い張って、とうとう美術館を連れ出されてしまった。


『なにやってんだよ。俺もで追い出されただろ』

『あの絵だけ、別人で気持ち悪いの。なんか、隠してるみたいで』


 しかし、数年後、その原画絵は元々中世時代の贋作であると館長が暴露、更に絵の中からは、遺書のような封書があったという。館長は胡桃を憶えていて、店に訪ねて来た。

 その際、胡桃は日本美術協会への道を示されている。


 胡桃は「だってなんか違ったのよ」と困ったように優利に説明するだけで、その道には行かなかった。それ以外にも、胡桃は稀に、超人的な片鱗を見せていた。


 まるで、モーツァルトとサリエリの映画だ。だけど、VRだけは、感覚だけはと思っていたのに、それすらも、胡桃は上を行く。


******


「逢いに行く、ですか?」

 一通りの説明を聞いた胡桃は、リクライゼーションスーツ(というのだそうだ)のごわごわを鳴らし、心配そうに暁月優利に振り返った。


「向こうで説明する。準備も整備も終えたようだ。優利の脳にも異常はないが、胡桃ちゃんの測定結果が気にかかるよ」

「胡桃の測定結果? ああ、確かにちょっと太っ……」


「ふんぬ!」


 脇腹に強烈な格闘好きからの一撃。押さえて堪えている前で、胡桃は「測定不可能って出ましたよね」と自分の結果に不満そうに鼻をならす。


「ともかく、VRへ行くには、感覚ナーヴを切り替えなければならない。死にかける人間も、そこで感覚を手放せずに終わる人間もいる。そして、VRは視覚デジャヴュ聴覚ノイズともに相当の負荷がかかる。暁月優利はVRゲーヲタだから慣れていたのかも知れないが、強烈なVR酔いが心配だ。酔い止めを打っておこう」


 こうしてみると、門奈計磨はやはり医者なのだ。胡桃の腕にテキパキと注射を施し、残った薬を素早く気化させると、胡桃用の小型の桃色の医療カプセルのハッチを上げた。


「最初は慣れるまで難しいと思うが、ちゃんとガイドをつけるから」


 ――またVGOのモナだろうかと思いながら、胡桃は「ばいばーい」とまるでマジックの女性のように、カプセルに潜り込んだ。


「やだ、気持ちいいんですけど~なにこれ~」


 最後にひと声を上げて、静かになった。考えればVRカプセルを外から見た経験はない。赤いラインが赤外線のように上下し、『感覚調査中ヴァーチュアスリサーチ』と文字が浮かび上がる。頭のところが虹色に光って、『脳内電極装着MRI』となる。門奈計磨いわく、超ミクロのMRIの小型端子を脳の外側に取り付け、そのままBluetoothの要領で外のモニターに飛ばし、脳波の安定を図るのだそうだ。


「……彼女の脳を見てるんですね。俺。……なんだか落ち着かない」


「女子は脳と卵巣、男子は脳と精巣が本人の核だというからな。しかし、ダイナミックに動くね」


 胡桃の脳は活発に、五本のラインが綺麗に交互に波を打っている。と、一瞬だけ赤くしっかりした脳波が高く飛び上がった。


「ねこやしきのPV流してやったんだ。好きなゲームほど、脳を安らがせるものはないだろうから。心配しなくても、彼女にだけ若旦那ネコを与えるほど、運営は優しくない。それどころか、課金者が喰いつくようにガチャのレベルをサイレント修整」

「知ってます。だから運営爆発しろとか言われるんでしょ。胡桃は自由に楽しんでるんで、エラー対策くらいでいいっすよ」

「言うね。ウチはブラックだからな」


 ――と、目の前の脳波が一つに集約され、遠くからもう一つの脳波が見え始めた。


「感覚切断だ。始まるぞ」


 なぜか手術のような気持ちになる。あの感覚を切られて奪われる瞬間は、VGOで殺されかけた時と酷似していた。それも、VRの実験だったと聞いてしまえば共通点は多々ある。一つはヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインと云いつつ、ユーザーを選ぶ性質であること。


 ゲームの娯楽がまるでなく、暁月優利はそこに惹かれたということ。

 目の前の波動がゆっくりと消えて行く。見ていた門奈計磨がぼそりと呟いた。


「……胡桃ちゃん、滞在時間予測不可能と出たが、あながち間違ってはいないかもな」


 目を剥く暁月優利の前で、門奈は「俺はどちらの脳も見ていたんだ」と声音を低くした。


「きみには、一般のブレがあった。一瞬でも、死を感じて、慄いたんだ。でも、突然θ波が突き抜けて、そこで接続ログインできた。しかし、胡桃ちゃんは最初から最後までブレがない。死を恐れていないのか、気が付かなかったのか……何にしても、興味深い」

「胡桃は、こんなとこまで、俺より上なんですね」


 本音だった。胡桃の恐れるほどの何か、は優利が一番良く知っている。こんな社会不適合者を相手に、胸を弾ませてくれる。就職活動も断念したから、就職スコア数値が低く、バイトしか出来ない。そんな優利に合わせて、胡桃が今の生活を選んだことに勘付いている。


「あいつ、めっちゃ頭いいんですよ。本当なら、もっと上の生活が出来て、いい男だって捕まえられる。なのに、俺みたいな……」


 VRに来てほしかったはずなのに、どこか、恐れていたのは。自分が「感覚超越者ヴァーチュアス・ゴドレス」だなどと言われ、神になれるような気分だった。でも、もっと恵まれた人間がいる。


 それが、どうして、幼馴染で、俺なんかを好きな女の子なのだろう。そして暁月優利はその嫉妬ですら、忘れることが出来ず、ずっと抱え続けるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る