第46話 最大の試練 暁月優利、セカイの迷子になる

***


 感覚を切る。慣れてしまえば、難しいことではなかった。仮死状態とも違う、脳の奥深くに自分をうずめて行く。自分という器は消え去っても、自分の意志一つで、自分を保つ。

 ――どんな顔しているか。どんな声か、どんな匂いか、どんな感覚か、想い出は、羊水の温かさは、そう言った積み重なった過去や失態、胡桃との想い出が「暁月優利」を創る。

 現代にいると、そういう見えないものは、視えない。


(いつもと、違うな)


 感覚を研ぎ澄ませる瞬間が遅い。暁月優利はふっと呟いて、泳ぐように感覚を超越させようとした。ピザ配達しか仕事がない。それでも、人一倍感覚は鋭い。だが、こっちの世界ではその能力は生かせない。

 なら、ずっとこっち側にいたいと思うじゃないか。



 ――きみ、凄いね。



 小さな声がした。途端に暁月優利の意識は濁流のような次元のブレに吸い込まれ、目を見開くとそこには大きなセフィロトが立っている。



 ――きみの脳、ボクに近い。塔に来たかったんだろ? 招待するよ――。



「ああ、うん。門奈さんは信じないから」

 空間のうねりが止んだ。

「きみは、誰」


 空間全体が塔のカタチになっていく。様々な呼び名が浮かぶ。アーサーが口にしていた。セフィロト、エテメンナンキ、バベルの塔、オベリスク、臺(ウテナ)……VGOの塔そのものである。廃墟に、たくさんの人間が群がる、あの精神的にきついゲームを門奈計磨は「蟲毒」と告げた、その理由が知りたい。


 はっと気が付くと、真っ暗な中に、暁月優利は立っていた。


「おい、冗談だろ……これもVRMMOの映像技術?」


 ――超次元だ。きみは『塔』を呼んだから、来てやったんだ。ボクは見張り役。ずっと閉じ込められてる可哀想なお姫様。だけど、お姫様はひとりしか要らない。きみが来てくれたなら、ボクはもうどこへでも行ける。


「俺、どうなってるんだ」


 ――どうもなってない。きみは人として来てはいけない場所に来た。でも、ボクも準備が整っていないから、帰って。まだ、ひとりでいたいんだ。


 暗がりに、少女の顔が見えた。その顔は、胡桃だった。「え?」と声を上げると、少女はまた背中を向ける。


 ――逢えて良かった。ボクを好きだって、きみは心から想ってくれた。いつも言えなくて、ごめんね。αに宜しく――……


「ちょっと待って!」


 少女は涙目を向けた。


「きみ、ずっとここにいるのか? 一人で?」


 質問はどこからか飛んできた火の玉に遮られて、届かない。超次元だって? なら、ここはVRMMOの中なのか? 何一つ分からないまま、業火の壁の向こうの少女は消えて行く。



 あとは、闇だ。



 塔に閉じ込められて、身体が朽ちるまで、ここにいなければならないのかと思った瞬間に、身体が浮いた。見下ろすと、やはりここはVGOの世界だった。見間違いはしない。VRMMOの近くにヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインが繋がっている。


「なんで、胡桃に似ているんだ……あの子」


 泣いていた。それだけが気がかりだった。


『ヒロ、脳波危険区域です。あたま、ぱーんします』

「……クルタ……いきなりなんだ」


 腕輪がもぞもぞと光を発している。


『ボクはPAIだから、危険なことを察知したら、本部に伝達する義務があります。VRMMOの最高峰のPAIなのです』


「おまえ、状況分かってねぇだろ……俺、変なとこに来ちゃったの!」


『自業自得です。ヒロはちゃんとお布団で寝ないから。寝ないとあたまぱーんします。ぐらっときて、死にます。今は、寝ましょう』


「あのさあ、なんでそう、母さんみたいなこと言うんだ」


 暁月優利は呆れて立ち上がった。意識が混濁したのは分かっていた。多分、道を間違えたのだ。胡桃にいいところを見せたくて、出来もしない感覚切断をどこかで失敗したに決まっている。


 『塔』のほうに来てしまったのだろう。


『暁月優利、セカイの迷子です。情けないです。外に、SOS……まだ繋がっています』


「いや、ちょっと待って。せっかくだから、見回ってみたい」


『本当のおバカだよ。門奈計磨がいってる、ジュートクカンジャ』


 優利は立ち上がり、暗がりをゆっくりと飛んでみた。こんなことが出来るのは、ゲームか、脳内か、死んだ世界かどれかだろうが、見ておきたかった。


 ――世界がどうなっているか、なんてみんなが知りたい事項だろう。感覚が超越している今なら、視られるかも知れない。光り輝くVGOの実装のその先へ。


そこには、無数のセフィロトがあった。

黄金に輝く、呪術の施された樹々が空を埋め尽くしている。


「まるで、墓場だ……もしかして、今まで生きた生命の数か?」


 水槽の脳。

 これが、夢だとは思えない。見ておこうと思ったところで、鼓膜をつんざくような声が世界を揺らがした。


「胡桃?!」



 ――なにやってんのよ、ばかっ。



 世界に胡桃の声が響き渡って、優利はびくりと肩を震わせる。


 ――そうやって、あっちこっちの女の子を気にして! あんたのお嫁さんなんかお断り!


『ははははははは。暁月優利、ふられました』

「……なんなんだ、この世界は」


 胡桃の顔をした少女には泣かれ、火の玉を投げつけられ、胡桃の怒声が響く。


「ちゃんと、向かうか、クルタ。どうすればいいかな?」


『なんでもボクに聞くな! いまの暁月優利は脳波のデッドラインを超えて沈んでいます。深層海と云うのですが、脳の意識ブレイン・バルスに潜り込んでしまって、一番深い場所にいます。つまり、死にます。僕はこういうバカのためにつけられたPAIですが、いません。外からの誘導が必要です。外を思い出して、浮かぶ必要があります』


「浮かぶ……ここは一番深いんだ。VGOに惹かれるのも、そのせいか」


『ヒロはどうも、深いところが好きな、深海魚に似ていますね……』


 二度と、来ることはないだろうな。


 そう思った瞬間、引きちぎられるような突風が吹いて、暁月優利は過去の海へ飲み込まれた。溺れそうになって、やっと顔を出すと、ゆっくりと海に揺蕩う。声が聞こえて来た。



「優秀な利だ。いい名前だろう」

「――きっと、素晴らしい子になるわね」


 父と母だ。暁月優利は頭を振った。期待するような優秀な子ではなかったよ。それなのに、両親は語り掛けて信じてやまない。

それが悔しくて、何度も何度も頭を振り続けると、今度は「あたし胡桃」と小さな手を差し出す少女に出逢った。


 幼稚園で、出逢った胡桃だった。手を取ると、胡桃はぱっと空を掛ける。その姿はどんどん大きくなって、今の胡桃まで育つと「さっさと帰って来て」と涙味のキスを残し、消えた。


 そうだ、女の子の唇の感覚は、先日初めて覚えた感触だ。思った以上に柔らかくて、抱きしめた時にいい香りがした。


 深層区域を抜けたが分かった。

 面白い。どんどん意識が「現在」に近づいて行く。


「俺、そうとう深くに潜ったんだな、戻った様子だよ」


『どうやら潜り過ぎたみたいですね。そこまで感覚を超えるバカはいないと思います。ヒロ、あたま、ぱーんなります。二度と塔のことは考えちゃだめです』


「うん……胡桃に怒られちゃうから、しないよ」


『わかればよろしい』 


 ぱっとクルタが青いオウムになって羽ばたいた。




『ここからはPAIのぼくの役目です。ヒロとまた、冒険はじめます』



 視界が閉ざされ、聴覚が消えた。


『脳波、正常値に戻りました』

『こちらの身体も異常ありません。体温上昇、DT値は安定しています』

 よし、VRへ――と思ったら、無常な門奈計磨の声がして、クルタがしょぼんとなった。




『感覚切断――中止、本日の業務は終了。お疲れ様でした』



 ――ほっとした途端気が緩んで――……

「あ、本当に戻った。お伽噺も信じてみるもんだな」と門奈計磨の声に、しきりに唇を押さえてそっぽを向く胡桃の姿が視界に入った。


 外が眩しい。カプセルが開いているのだ。


「あれ? 俺、VRへ……」


 ぐいっと胸倉を掴まれた。


「元気そうだな、HEY、少年、どこの精神世界に脳内旅行してたんだ。このまま脳検査だ、使えない新人だな! 自分から深層意識に潜るなんて二度とするな! 医者を冷や冷やさせるな、重篤患者! 返事は!」

「すいませんっ!!!」


 ――門奈計磨曰く、優利がぶっ飛んでいた時間は一時間にも満たなかったらしい。

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