第45話 パラリアルの二つの世界、現実とVRMMO《計測不可能》

 二人で恋を深めていると、門奈が戻って来た。

「大丈夫ですか」胡桃が声を掛ける。


「なんか、大変そうに見えたので」


「医者の宿命だ。胡桃ちゃん、本当はもっと丁寧に説明をして、チュートリアルまでやってからと思っていたのだが」


(なんだよ、全然違う)胡桃と自分の時の違いを思い出して、優利は文句を言いそうになったが、逆でなくて良かったと思う。


 胡桃を大切にしてくれるなら、別に優利はぞんざいでもいい。


「わたし、なので、ぶっつけで構わないです。VRMMOは初めてですけど」


「うーん、何というのかな。VRMMOでも、パラリアルの意味合いが強いんだ。パラリアルという言葉は知っている? 最初に使われた業界がアパレル業界、次がマスコミ業界、そして、我が医療現場メディカルでね。アパレルだと「商業とお客様を繋ぐもの」マスコミなら「マスコミと世論を繋ぐもの」医療だと」


「医者と患者ですか?」暁月優利に静かに首を振って、門奈計磨はいつになく慎重な口調になった。



生きる者と死したモノデッドオアライブ



 双眸のブレに気が付いたが、暁月優利は黙ってしまった胡桃の手を握るほうを優先した。彼女を巻き込んでしまった。


 暁月優利、最大の失態、そして、試練、――心願していた。願いだった。VRの世界を胡桃と見たい、その子供じみた欲は、一度生み出されてからは決して消えなかった。

 感覚切断ヴァーチュアス感覚超越ヴァーチュアス・ゴドレス、胡桃もまた、今までにありえなかった次元で生きることになる。


 既に整備されたカプセルが二つ、並んでいた。SFムービーでよく視る。次元を超えるような、棺のようなカプセルも日々進化していた。


「準備は」

「あ、大丈夫です」人なのかアンドロイドなのかを聞くのも野暮な気がして、整備をしていた社員に頭を下げた。


「女子用だから、安心していいよ。男女ともに精神も性質スピリチュアルも違うから。脳の測定から始める。すぐに終わるから、滞在時間もさほど長くはないだろうし」


「お願いします。なんか、わくわくしますね」


 完全にテーマパークの乗りだ。しかし、怯えて逃げた自分よりはマシかも知れない。門奈計磨が胡桃を蹴り飛ばすことはないだろう。


 ……そうだ、俺、「だっこがいいか、蹴り入れるか」で投げ入れられたんだった。よく考えると、酷い仕打ちである。


「――俺は彼女を安全にVR世界に届けて、それからきみになるけど」

「あ、大丈夫です。俺、独りで感覚切り替えできるようになったので」


「いや、それおかしいだろう。おまえの脳はアナログスイッチでもあるのかよ。猛者でもそんなことをすれば、感覚がズレて……」

「大丈夫です」



 胡桃の前くらい、言わせて欲しい。優利は心配そうな胡桃の潤む目に言い聞かせるように告げた。


「俺は感覚超越者ヴァーチュアスだから。いつでも平衡感覚を保てます。死にそうになったら、胡桃に会えるんだって言い聞かせて、感覚を繋げます。俺は、胡桃がいれば大丈夫なんです」


「ああ、ささやかな海綿体の臨時司令塔な」


「かいめんたい……ささやか」


「門奈さん、れっきとした彼女の前で俺のアレの話なんかしないでください」


 にやにやと門奈計磨は胡桃が赤くなるのを虐めるような眼で見ているが、他意はないだろう。ささやかだと? 悪かったな。


 「胡桃がいれば」と口にして気が付いた。


 胡桃がいれば――……そう思った時に、いつも『塔』が視える。胡桃を想う気持ちに呼応するように、蜃気楼の如く、次元に靄がかかり、『塔』が現れる。いつだってそうだ。生と死の合間だけではなく、胡桃を想うと、見える。


 ――懸けるしかない。ゲーマーの血が騒いだ。胡桃に掛かり切りになる今がチャンスだ。


「そういえば、ささやかくん、勝手にVRに行ったよな。アーサーと何を会話したんだ……」

「ささやかくん、ってやめてもらえます?」

「じゃあ、重篤患者」


 そばに胡桃がいる今なら、『塔』が見えるかも知れない。そうして、向こうで胡桃に会えればいい。


「いくら、感覚が超越していても……。俺の嫉妬にも困ったものだ」


 不意に緩んだ心の奥底に、門奈の台詞が響いた。忘れられない性質のせいか、こういった揺り戻しの記憶は稀によく感じる。

 思えば、それが感覚超越している僅かな瞬間だったのだろう。


「先に行ってます。カプセルの恐怖にも慣れたので」

「呆れたヤツ。死んだら脳解剖に回されるぞ、と知れば、医者がこぞって神経をむしり取りに来る。売れるだろうな」


 医者にあるまじき言葉第二弾を食らって、優利はひょいとカプセルを開けた。この行為はばかげていても、「俺はVRを知ってるんだ」という優越感の塊だって分かっている。それでも、やっと見つけた輝ける場所を、胡桃にも知って欲しい。こっちの世界ではダメダメのピザを運ぶしかできなかった二十歳の青年だって、世界が変われば輝ける。その世界を知って、こっちの世界も愛おしくなったこと。


 ――パラリアルの二つの世界、現実とVRMMO。その架け橋になる素晴らしい脳こそが、両親からの贈り物だと感謝していること。



 人は時に己惚れる。浅はかな生き物だよ。それでも、知って欲しい時はあるんだ。あさはかでも、後悔しても。



 俺、ちゃんと生きてるんだよ。胡桃。




「え? やっぱり寝ちゃうの? ねえ、ヒロ、また、逢えるよね?」


 カプセルに走り寄った胡桃のパーカーのひもが頭を小突いた。


「何言ってんだよ。感覚を切り替えて、肉体を保護するんだって。おまえもすぐ、門奈さんが送ってくれるから。あっちで逢おう」

 脳死の天命が掛かっている。決してこれはラブコメじゃない。それでも、胡桃とVRMMOで夢を見たい。


 その、浅はかさの代償を、俺はこれから受けることになる――。




「白幡胡桃……VR内滞在可能期間、予測計測不可能……?」と門奈計磨の声がした気がした。

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