白幡胡桃のVR体験―ユハス=コーデリア―

第43話 リア充、爆ぜろ! エミVS胡桃

***

 早朝五時、スマホが派手なアニソンを流して飛び起きると、


『窓の下に、お汁粉が到着しました』


メッセージが目に飛び込んだ。白幡胡桃の朝は早い。


「俺、朝とは言ってない……が……」


 窓を開けると、今日は少し寒いのか、首にスカーフを巻いた胡桃が大手を振っているが見えた。まだ両親は寝ている時間だ。眠気も吹っ飛ばして、コートを掴んで、階段を駆け下りた。


『セキュリティーコードをお伝えください。ロック解除は居住者の声紋となっております』


「ああもう、変な家! 一家仲良く!」

 父親が新築を買った時に、いそいそと決めたこっぱずかしい台詞を告げると、腕輪のほうも一緒に反応した。今日は普通の色に戻っている。思えばあれは危険信号エマージェンシーだったのだろう。


「おまえ、早いよ! 畑仕事のじじいかよ」


「あったりまえじゃん!ヒロがデートって言ってくれたんだよ? ね、お汁粉買って来たの。ちょっとあったまろ」


 胡桃は湯気の立ったお汁粉缶を手渡すと、フタのアルミを開けた。ふんわりとした餡子の香りにはそそられるが、夜更かし昼夜逆転のゲーヲタは朝に弱いと相場が決まっている。甘さにウッとなりながら、時計を見ると、五時半。

 これでは早すぎる。どうしようかと思ったところで、胡桃は「朝開いてると言えば、神社だよね」と町内の愛宕神社に向かうことになった。


 街はずれの、小さな神社は、まだ残っていた。ほっとしながら、ご神木を見上げて、ゆっくりと散策する。


「……小さい頃、よく来たよな。愛宕神社」

「そうだねえ。ね、ここの神様は、あたしたちをよちよち歩きから知ってるんだよね。ヒロが受験の時、適当に高校決めたことも、あたしが盲腸の手術の時、ヒロが夜中に「助けてやってくれ」とか泣いたこととか」


「なんで知ってんだよ。あ、向日葵だな」


「ぴんぽーん」胡桃はにゃは、と笑うと、「お兄ちゃんね、安心したって言ってたよ」と安堵した声音を響かせて見せる。


「ヒロがちゃんと、会社に入ってくれて、良かったって。だから、おまえ、好きにしていいぞって。ありがとね、ヒロ」


 お礼を言われて、優利は鼻の頭をぽりぽりやった。別に胡桃のためではないけれど、胡桃にありがとうを言われると、悪い気はしない。


「俺、がんばってんだ」


「うんうん、知ってる」

 胡桃は境内に座ると、空を見上げた。二人で吐く息が白く立ち昇る。


「好きなことを仕事にすると、つまらないっていう人もいるけどさ、あたしはいいと思うな。好きなことをますます好きになって、がんばっている優利が好きだよ」

「ゲームだぞ、俺ゲーヲタだって」


「関係ないよぉ」胡桃は笑い飛ばすと、今度は「わたしはどうなんだろ」と呟いて見せた。


「ボランティアが好きなわけじゃないの」胡桃は勢いを無くすまいと「でもね」と弁解を挟んで来る。


「何かやってあげると、おじいちゃん、おばあちゃん、の。それを見ていると、ほっとする。もうすぐ消えちゃう命だけど、逢えてよかった、なんて思うの」


 ――一瞬、脳死の患者を数人抱え、VRの実験に生死の希望を託す門奈計磨が浮かんだ。ああ、分かった。門奈と、胡桃は少し似ている。だから、優利は門奈に惹かれたのだろう。

 門奈計磨も大概まっすぐだから。言うとまたパワハラが飛びそうだが。


「俺の上司が、胡桃に会いたがってるんだ」


 一晩考えたはずだった。これ以上の機密漏洩は出来ないから、上手い事言って、引っ張っていくつもりだった。でも、胡桃のきらきらした目を見ていたら、それもできなくなった。


「俺のやってる仕事、胡桃のボランティアに似てるんだよ」

「え? ヒロ、おむつ……」


「そうじゃなくて。うん、この世界と、あの世界は目指すものが近いんだ、きっと」


 一見、人は「殺す」だの「死ね」だの、「大嫌い」だの、負の言葉を連発しがちだ。「あいつさえいなければ」って憎しみを感じたり。でも、実際に「あいつ」がいなくなった時、ぽっかりと胸に穴が開くのではないだろうか。


「え? あたしに? その時は、ちゃんと暁月優利がお世話になってます。彼女のって言っていいんだよね」

「好きにしろよ、もう」


 胡桃と話していると、なんだか、刺が無くなってしまう。「そうする」と胡桃は肩を竦めて、やっぱり笑うだけだった。



***



 新宿に近づくと、一気に人が減り始めた。今日は自宅業務リモート・ビジネスに、5000人の社員と、患者さんたちが勤しんでいるはずで。


「満員電車というほどでもないね。変なかんじ」と朝の新宿から西新宿界隈に入ったところで、完全に陽が昇った。


 まだ五回程だが、キャッスルフロンティアKKの自社ビルへの近道はばっちり見つけている。公園を突っ切るほうが早い。遊具が撤去されずに、そのまま風食された、形ばかりの「公園」を横切ると、メディカルセンターのほうが先に見えて来る。

 キャシーが眠るビルと、キャッスルフロンティアKKは連絡通路で繋がっていた。


「病院?」

「隣のビルなんだ」と優利はエントランスを覗くと、受付に座っていたエミがいち早く掛けだしてきた。


「わ、びっくり。受付さん?」


『わたしのヒロに、何の御用かしら、子猫ちゃん』


 どこぞの貴婦人口調になったのを見ると、また奥さんの記憶のバグか。フランス映画の記憶でも入れ込んだのか、しかし、目の前で胡桃はにーっこりと笑った。


「こんにちは。暁月優利がお世話になっています。彼女の白幡胡桃と云います」


 エミは「カノジョ……?」とじとり目になり、胡桃は「この子、何?」とじとり目になっている。これってモテてると言えるのか?


 ――否。二人はにらみ合いを始めてしまった。


「あら、ヒロの彼女にしては、随分なだらかですこと」そういうエミもぺったん系だが、脳内では豊満な胸が見えているらしい。

「あんたこそ、やたらに固い体して。冷えてるんじゃない? あ、カイロ……」


 分からないのも無理はない。エミはアンドロイドだが、一見普通の女子に視える。


「ここ、冷えそうだもんね。これで、あったまって」


 エミは驚いたように、手を伸ばし、泣きそうな目で優利を見た。


『優し過ぎるわ! だから、この子のほうが、好きなの……っ、ヒロ……! お腹の子、どうしろというの……!』

「お腹の子……?」

「俺は、アンドロイド相手のHは知らんし、童貞だっつの! 胡桃、本気にすんなよ」

『あの夜はなんだったの……?!』

 わああああん、と泣いて逃げて行ったが、あれもバグか? 考える目の前に、「ふふん」とにじり寄る胡桃の笑っていない笑顔。逃げる暇もなく、「あの子、なんなの! リア充、爆ぜろ!」と目の前に火花が散った。頬の振動によろけたついでに、影でしっかり三文芝居を愉しんでいた門奈計磨が視界に入った。


***



「ごめん、ヒロ!」目の前で胡桃が数回目の謝罪を口にした。

「あの子、まさかのAIだったなんて! ああもう、ほんっとごめん!」


 あまりの優利の不憫さに負けた門奈計磨は、胡桃にエミの素性を見せ、胡桃はバッグをぼすんと落とした。


「おやっさんの奥さん、演劇部だったんだってさ。そのまま人格模写も考え物だ。胡桃ちゃん、そういうわけだから。こいつは、死にかけててもきみとの」


「門奈さん。胡桃をどうするつもりですか」


「この一件は、俺が責任を取れとの上の皆様の厳命だよ。胡桃ちゃんが可愛くて良かった。暁月優利、な?」


「覚悟、っすか?」


 門奈計磨は「二つに一つだ。きみは機密を漏洩した。きみが我々の監視下に置かれ、記憶操作を受けるか、その子にも共有してもらうか。胡桃ちゃん、VR体験してみないか」


 暁月優利は当初、騙されて感覚をぶった切られて、VR送りにされた研修を思い出し、牽制しようとした。「VR?」と首を傾げるも無理はない。ゲーマーではない「ねこやしき」オンリーの胡桃は、何一つ知らないのだから。


「――あの、胡桃に手荒い真似は」


「するわけねぇだろ」と門奈計磨はせせら笑いをして、「仮想現実」と言って……と丁寧な説明を始めていた。


 ――なんだ、この差は。俺にはそんな説明、あったかな。


 しかし、自分の切り開いた世界に、大好きな子が一緒に存在している。思うととても、くすぐったかった。世界はいつだって、くすぐったいのだと。

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