第42話 父親との対峙、VGOの謎

***


 ――ヴァーチュアス・ゴドレス・オンライン。


 暁月優利は部屋でVGOのパッケージを見つめているところだった。ロゴの下には『キャッスルフロンティアKK』と刻印が入っている。ソフト形式ではなく、アップデート形式で、モバイルでも、PCでも、ゲーミングPCでもできる。しかし、VR対応型はPCとHMDを繋がないとプレイ出来ない。


 胡桃との会話の中で、優利には引っかかりがあった。


 ――塔だ。何度聞いても、門奈計磨は否定する。意固地なレベルで、認めようとしない。しかし、アーサーだって見ているし、胡桃と話せば話すほど、あれは実在していたと確信が持てた。


 結果、これに戻るしかない――大層な舞い戻りの理由をつけて、優利は元凶のゲームのスイッチを入れた。ところで、玄関から父親を迎える母親の声が響いて来た。



「優利は、ちゃんと会社に行っているのか」

「ええ、毎日。あなた、もう少し優利のことを認めてあげてくださいな。それに、優利がゲームに夢中になった原因は――」


 HMDを被せるところで、手が止まった。何をいまさら、と振り切るようにHMDを装着する。原因なんか、いいじゃないか。

 しかし、体感だけのVRは前ほど没入感はなくなり、早く会社に行きたい、と思った。VRキャッスル・オフィスに勤務している時の、暁月優利はほとんど動いていない。体を管理され、外の刺激を導くように、脳と記憶、感覚だけでVRの世界を生きている。


 ――それを支えているのは、脳死の感覚だったのだ。ゲームなんかじゃない。生死を彷徨う人々の、最後の希望を信じるのだと門奈は告げた。


 それならば、VRに生きている人は全て……いや、違う。門奈計磨の同僚の女医や、ラーメン屋の親父のように、こっちで元気で動いている人も存在する。

 二つに分かれているのだろう。その二つを繋いでいるのが、シーサイトなのかも知れない。アーサーは何をしているだろう。そして、彼はおそらく脳死のほうだ。なんとなく、そんな気がする。



『……やっぱり来た。ホットライン鳴らしても気づかないくせに、ここでなら捕まるのも妙な話だ。おまえの脳は、休むということを知らないのかよ』



 やっぱり塔の頂点で巨大な鎌を背負ったモナが真っ先に優利を見つけ、ログを飛ばしてきた。


『塔が気になって。もしかしたら、こっちのゲームの世界から、VRのほうに繋がっていないかな、と』

『しつけぇヤツだな。そんな塔はゲーヲタの脳内だけだ。少なくとも、俺が求めるVR治癒には必要がない』


『俺、思うんです。女の子が塔に閉じ込められて、助けを求めているなら、助けに行くのがゲーマーってもんじゃないんですか! 何度でも言います。塔はあって、女の子がいた。胡桃が信じてくれたなら、俺は絶対その女の子を助けないと』


 モナは黙り、また決闘の態勢になった。


『何をしれっと機密漏洩してんだ、重篤患者。おまえは自分のしたことが分かってるのか』


『――俺がしたこと、ですか?』

『場所を変えよう』


 景色が流れて、あっという間に360度の銀河になった。足元には塔の最上階が視える。


『ここならいいだろう。VRだ』とモナは決闘の姿勢を解き、長い金髪を揺らして、暁月優利の目の前で仁王立ちになった。


『白幡胡桃』


 ――え?


 まさか、どうして胡桃の本名を? 嫌な予感がする前で、門奈計磨はふわりと浮いたまま、足を組んで優利を見降ろした。


『きみの彼女を、明日、キャッスルフロンティアKKに連れて来いと大河内李咲の厳命だ。腕輪の危険信号にも気づかない。社員は24時間の監視されている。言っただろう、うちはブラックだと』


 腕輪の色は、確かに変だった。あれは危険を知らせていたのか。そう言えば、クルタが腕輪の中で喋らない。そして、胡桃をキャッスルフロンティアKKに連れて来い?


『あの、俺、さっぱり事情が』

『機密を知った人間は、昔から消されるか、引き入れられるか。俺もきみの彼女に興味があるから』


 やっと事情が掴めてきた。優利は噛みつくように言葉を投げる。


『胡桃まで巻き込めと?!』


『――少し、引っかかりがある。そうそう、が――』


 画面が暗転した。途端にVGOの世界からはじき出された優利はHMDを思わず上げた。



「……親父、何するんだよ」


 抜いたコードをあからさまに投げ出した、父親の怒りの形相に慄きながら、優利は「あんたにはわからないよ」とぼやく。


「いつまで、現実逃避しているんだ、優利!」


 顔を合わせれば何か詰り合う。それが嫌で、互いに距離を取り合う。倒してしまえば楽なのに、それすらも出来ず、譲歩も出来ない。母親は言いなりで、父親とのアクセスはいつから切れてしまっていたのだろうか。


「俺、このゲームの会社に勤めてるんだけど!」


 父親はちら、とみると、眉を潜めて、優利を見る。


「本当だよ。まだ研修中だけど……」


 咄嗟で言い繕って思い出した。そうだ、まだだ。社員になったわけじゃない。そんな自分に、門奈計磨が真実を言うはずがないだろう。でも、暁月優利は確かに視た。脳死の境界線で戦っているVRに繋げられた人々を。

 キャシーの瀕死の姿を。ジェミーの憎しみを。


「親父、心配かけてごめん。でも、俺、ちゃんと自分の社会で生きてるよ。だから、あんたとののしり合いはもうしない。あんたの望む社会での生き様じゃないかも知れないけど……俺は確かに社会で生きているんだ。堂々と」


 父親は何も言わず、ドアを閉めた。抜かれたコードは、タップから折れてしまって再起不能。リンクしていたモバイルにも、何も映らなくなった。


 ――せっかく、門奈さんが何か、言いかけてくれていたのに。


 それでも、優利には手ごたえがあった。と父親に宣言できたこと。確かに生きているんだと、言えたこと。

 それは、あのゾルピデムに期待をかけて眠っている人々の、生きるという意志と光のせいかも知れなかった。生死は宿る。生きるには、自らを奮い立たせて、立ち上がらなければ始まらない。


 立ち上がれなくなった人たちのためにも。

 少し、ボランティアに従事する白幡兄妹に近づけた気がした。


『ヒロ』


 静かになった部屋に、クルタの電子声が響く。

『機密、聞かれるとが動く。でもヒロは、クルミが好き。クルミといると、ヒロの体温サーモとか、ちょっと上がり気味。DT値も一緒に上がっていました。それは全部、本社のログに記憶メモリーされます。でも、ヒロ、分かってた。分かってて、クルミに教えたんだ、クルタは分かる。ヒロ、クルミに知って貰いたいって思ってた』


 ――クルタの会話がまた、一段階上がっている。クルタは自分で考えて、状況を整理して、たどたどしくも伝えるPAIに成長していた。


「うん、胡桃には隠し事はしたくないんだな」

『キケン、でも?』


「俺が護ればいいと思って。でも、大丈夫だよ、クルタ。俺より胡桃のほうが強いから」


『ヒロ、なんか、情けないです』


「どうせ、俺はひ弱なゲーヲタだよ。でも、ゲーヲタであることをこれほど良かったと思ったことはないんだ。聞いてただろ、俺、親父と向き合えたよ」


『非常システムが作動したのは、ついさっき。ボクが「暁月優利が機密漏洩した」とデータを受け取って、わずか五分です。PAIは新入社員の監視が目的。監視、それはずっと見ていること。でも、クルタは変だと言われました。ぼく、変ですか?』


 腕輪から聞こえる声。目を閉じると、あのムクムクした青いオウムがしきりに汗を飛ばして聞いて来る図が浮かぶ。――ああ、やっぱり胡桃に似ているんだ。クルタは。


「変じゃねーよ。安心してお休み」

『クルミをキャッスルフロンティアKKへ。……だそうです』


「ともかく、明日、胡桃を連れて行けばいいんだな。ねこやしきを餌に連れて行くよ」


『では、もう寝ましょう。今日は冷えます。お風呂が推奨です。それから、エナジードリンクは今日はもう止めましょう。ゆたんぽ要りますか』


 急に母親モードになったどうあっても外れない腕輪をそっと切って、暁月優利は無視してそのまま横になった。


 まるで、手枷だ。でも、それでもいい。手の中に社会があると思えるから。



「……明日、デート、し、ま、せ、ん、か……と。終わり、おやすみ」



 これからどうなるのかさっぱり分からないから、とりあえずは寝よう。

 おやすみなさい。ブラックアウトだ。


 ――引っかかる。ハッカーだった時に、俺は胡桃ちゃんに会っている――?


 どういうことだろう?ブラックアウトの瞬間、塔が浮かんで、消えた。

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