第34話 約束のラーメン、赤子のままで

*****


 まだ脳裏がふらふらするが、少しずつVRの感覚にも慣れて来た。自分でカプセルを開け、夕暮れになるこっちに戻れるようになった。


「お勤めご苦労」とちょうど会議で戻って来た大河内李咲課長とすれ違い、別室から出て来た門奈計磨と鉢合わせた。


「お、お疲れ」と門奈はファイルを片手に微笑む。

「さすがは感覚超越者だな。もう戻れるようになった?」

「クルタのおかげで」


 こっちの世界には、バタバタと飛び回る青いオウムは見えない。しかし、クルタは上手に暁月優利をサポートしてくれている。

 腕輪からの声はなく、少し寂しく思いながらも、暁月優利はカバンを背負い直した。きっと疲れているのだろう。生まれたてなのだから。


「PAIは進化するはずだが、あいつは一向に赤ん坊のままだな。もっと厳しく審査してくれていいんだが、癒着という言葉でも教えておくか?」


 にやっと笑って、門奈計磨は外を指した。


「VRより、たまには腹を満たそう。約束のラーメン屋、行かないか?」


 思わぬ申し出に、優利は速攻で頷いた。速効ではなく、速攻で。やはり脳裏のみの食事は味気ない。そう思うようになってから、実は母親のご飯が美味しく思えて来たし、意味なく暮れる空も、どこか不完全で面白いと思う。


 そう告げたら、門奈計磨は興味深そうに、話を聞いてくれた。


「VRの完全視覚化パーフェクト・オーグメントは計算されたものだけど、この世界の模倣真似だからな。この世界には災害や戦争、人間関係の病もある。しかし、VRでもやっぱり突然の雨や、ハプニングのデータも必要だと結論が出た。不思議だよな」


 二つの影を伸ばしながら、ゆっくりと初台から新宿の路地へと戻る。振り返るとキャッスルフロンティアKKは夕日に照らされて、眩しかった。


「快適にしようとすればするほど、矛盾がある」


 背後には、大きな施設が見える。病院のようだが、入り口が見当たらないから、精神病棟ソドムだろうかと勘繰ってみた。


「ああ、あれは、サーバ棟だ。今はもう使っていないが」


 途端にガヤガヤしてきた裏通りを男二人で歩き抜いて、今はもう閉店しているパチンコ競馬場を通り過ぎる。「男同士でしか歩けないよな」と治安の物騒さを口にしつつ、目的の店に辿りついた。


「AIショップじゃないんですか」


「ここは有人だ。VRでも同じラーメン屋がある。この亭主がVR体験者でね。弟子を探しているというから、VR内で募集してみたらと冗談言った。一時間だけ昼寝代わりに来てくれている」


 ……色々な人が加わっているんだ。まさかのラーメン屋の親父まで。ぽかんとしている前で、門奈計磨は「来るぞ」とキケンを知らせる一言を残し、さっと躱す素振りをした。

 びゅん。

 ほっぺに何かが飛んで来て、ぺたりとくっついた。


「おー! パソコン兄ちゃん! おめー、随分顔見せてねえじゃねーか!」

「親父、相変わらずの鳴門の腕前だな。弟にナルト飛ばしてくれるなよ」


 ……ナルトだった。白くてぐるぐるしている、ラーメンの添え物である。


「ナルトが勿体ないです」

「なんだとぉ?! おまえは何だ、そこの兄貴の弟かぁ?」


 カウンターの中で、ラーメン屋の親父は大声を上げ、優利は自己紹介をしようとしたが、いち早く門奈が口を割った。


「弟分だ。親父、ラーメン二つ。味噌ラーメンで、北のやつ」


 見れば、メニューがない。しかし親父は「北な」と引っ込んで行き、門奈が椅子を引いた。


「うでは確かだぞ。日本全国のラーメンを食べ歩いて、999のレシピを手にしている。昨年奥さんが亡くなって、AI導入を勧めたんだが、見ての通り頑固でね」

「あの人も、VRに居るんですか?」


「閉店して一時間。公園に屋台を出してるよ。睡眠時にVRに来るタイプで、いつか亡くなった奥さんに会わせてやる約束している。モーションキャプチャーで奥さんを投影するんだが、どうもうまくいかなくて。かつて、屋台をやっている親父のところに、奥さんが来て、恋になったと聞いて、再現してやれたら……と」


 門奈計磨は途端に優しい眼になった。門奈が分かって来た。死者や、想いのなんたるかになると、優しい雰囲気になる。しかし、普段は酔狂で寡黙というわけの分からない行動もする。


 ――優しいのか、鬼畜なのか。ここまで逆を併せ持った人間はいないだろう。


「お待ち! そっちの弟、おめぇの分は大盛だ。なんだ、もやしみてーにヘロヘロしやがって。食え、喰え食え喰え。カニなんかないからな。大振りのチャーシューとバターコーンだ」


 ふわんと味噌の深みのある香りが鼻を擽った。温かくて、麺はしっかりとゆで上がっている。そこに、バターの芳醇なまろやかな乳が足され、丸々としたコーンに味噌とバターが絡まる。少し辛味噌のスープに、刻んだネギ、ワカメ、メンマが浸み込み、チャーシューの脂出汁がきらきらと表面を光らせていた。

 口に含むと、魚介類のしっかりした味。箸で探ると、カニが出て来た。


「旨いっす!」


 一気に麺をすすり、スープで流し込む。熱が腹に流れて、力が貯まる感じは、やはりVRとは違う。あくまで「脳で把握する」だけで、が要だからだ。


 ――ということは。


「俺って、割りとこの世界、しっかり楽しんで憶えてるってことですかね」

「赤子のままなんだよ。感覚超越者ヴァーチュアス・ゴドレスは」


 二人で替え玉を頼んで、腹いっぱいになって出ると、空には星が昇っていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る