第28話 父との会話と《VR出勤二回目》

***


 たっぷりと睡眠を取ったはいつぶりだろうか。カーテンを開けると、眩しい朝日が視界を金に埋め尽くしてきた。


 ――そうだ。昨日はVGOを途中で止めて、ちゃんとベッドで寝たのだった。


『おはようございます』


 ちくいち喋って来る腕輪クルタのせいだ。おまえは俺の母親かよ、と言いかけたところで、「ヒロ!」と本物の母親が声を掛けて来た。


 階段を降りると、父の姿。正直父とは巧く行っていない。父はバイトにゲーム三昧の優利をよくは思わず、優利は父の真っ当な物差しが理解できず。合間でおろおろする母に申し訳ないから、なるべく顔を合わせないようにして来た。


「あ……」


「行ってくる」厳格そうな声音で、父は靴に足を突っ込んだ。『旦那様の外出を確認』と未来型ドアセンサートークセンサーが喋る。


「俺、ちゃんと会社入ったから!」それだけがやっとの短い時間だった。『セキュリティロックします』の声と被った優利の叫びは届かなかっただろう。


 今までだったら、どうしてこの生活がいけないのかと疑問を抱き、胡桃のボランティアも良くは思えなかった。


 でも、VRで居場所を見つけた。それはゲームなんかじゃない。


「お父さん、聞こえてたわよ、きっと」


 母親の声はいつになく優しかった。しかし、朝食の間にケーブルを抜かれ、出勤ギリギリまで優利は部屋を探索し、データを携帯型端末モバイル同期クラウドさせて持ち歩く選択をした。



***



 初台の駅につくと、今日はやけに人が多い事に気が付いた。おかげで軽く済むだろうと思ったコンビニも、レジを待たずに飛び出して、空腹を抱えたままの出社となった。


 キャッスルフロンティアKK――の大きな銀板がぎらりと太陽光を跳ね返している。『出勤です』腕輪クルタの声に小さく頷きながら、ゲートをくぐると、受付に座っていたエミが駆けだしてきた。


「わかってるよ、RF遮蔽室だろ」


『ううん、ヒロ、逢いたかったから。大丈夫? お腹空いてない? 北海道の味噌ラーメンは寒い日が美味いよ』


 またバグだろうか。どこか和ませる会話に、上着を渡してRF遮蔽室に飛び込む。もう社員NOがあるので、自分でパネルを操作していたら、門奈計磨がやって来た。


「……人のログイン情報とか見ていいんですか」

「おはようの挨拶くらいしような。おまえは社員だ。契約書に書いてあっただろ」

「あんな早いスピードでは読めませんって」

「うちはブラックだからな。覚悟したほうがいい」


 並んでRF遮蔽のブルーライトを浴びながら、暁月優利は会話を続けた。


「――医者ドクターだったんですね。ジョブ。キャシーは……」


 門奈計磨は黙って上着を手にすると、持ち前の男らしい腕を伸ばして見せる。


「背中、撃たれただろ。背中には背骨があって、脳神経に直結する。脳を直接振動させられたようなもんだ。精密検査しないと来られないだろうな」


 VRは感覚の世界。つまり、脳だけで生きているのと同じである。その脳を直接やられてしまえば、感覚だって狂うだろう。


脳震盪のうしんとうみたいなものだが、肉体への影響もある。VRはまだ未知な事象が多い。だからこそ、おまえみたいな重篤患者ゲーヲタが必要なんだ」


 ――重篤患者。あまりいい響きではない。

「俺のゲーヲタが役に立つとは思えませんけど」


 門奈計磨は暁月優利のパネル数値を見ながら、息を吐いた。


「何が役に立つかなんて、分からないだろう。壊れたグラスだって飲みたくない時に役に立つ。言っただろ、感覚超越者ヴァーチュアス・ゴドレスだって。ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインは元々感覚超越者を探すためにあったようなもんだ。Zuxiメンスはゲーム会社ではないからな」


 ライトが消えた。「さすが、常人の20倍」と呟かれて、エミから上着を受け取った。ところで、腹が鳴った。


『ほら、やっぱりラーメンが美味しいでしょ』


 バグった台詞に、ほこほこ湯気に、どーんと海鮮類が載っていて、白いバターがじゅわりと溶けて味噌に交じる、味噌ラーメンが浮かぶ。口によだれがたまりそうになった。


「門奈さん、この辺ラーメン食べられるとこないっすかね」


『勤務中です。らあめんは許可できません』腕輪に叱られた優利に、門奈はくくっと

笑って頷いた。


「VRの中にラーメン屋があったぞ。言っただろ、伝統を継ぎたい時にも使われると。30年来の味を残したいっておっさんが屋台で弟子を募ってるよ」


 ……へんな世界。


『門奈計磨さん、暁月優利さん、共に勤務時間を過ぎています。大河内李咲が遅刻の承認を出すまであと三分です。以下、一分ごとにボーナス査定が下がります』


 ……へんな会社。


 門奈はエミに手を振ると、「走れ、バカ!」と血相を変えて階段を駆け上がり始めた。医者ならば、他の仕事もあるのに。門奈計磨は謎が多い。

 今日はたくさんの人がいる。その合間をすり抜けて、二人で走って、シーサイト部署に駆け込んだ。

「やあ、おはよう」と窓辺でのんびりと新聞を読んでいる宮辺俊徳部長に、大河内李咲課長。


 今日も完全なる女王様ルックである。女子プロジョブが似合いそうだ。


「暁月、初任給を入れておいたわ。確認して。計磨カズマロ、あとはよろしくね。サーバとVR投影機はもう修理依頼メンテナンスしているから、しばらくは安全だけど、そろそろゴドレスのほうを」


「分かってます。――出勤ログインします」


 告げた門奈計磨と、二人で例のカプセルのある部屋に向かう。


「まだ、慣れないだろうけど、先に飛ばしてやるから」


 どーんと置かれたカプセルの前で脚が固まった。あの、感覚をぶった切られた闇の瞬間を蘇らせたおかげで、足が動かなくなった。


「門奈さん、あの」

「時間がねーんだっつの。俺がお姫様だっこして寝かせてやったほうがいいか、蹴られて飛び込むほうがいいか、それとも眠らせるほうが先か、どれを選びますかね?」


 優利は、黙ってカプセルに足を突っ込んだ。


「二度目だから、思ったほど酷くはならないさ。人間の脳は、習得しているはずなんだ。しかし、にされてしまった。嬉しかったこと、美味しかったこと、綺麗な音、憶えてはいないだろう。上書きされていく」


 門奈計磨の声は、ゆっくりと染み渡るように響く。


「そうしないと、脳がパンクしてしまうからな。赤子の脳は百パーセント開いてるんだ。赤子にVR試練させるわけには行かないけどな」


 ちらちらと出て来た数百のマニピュレーターに目が躍った。集合体の恐怖である。


 ――嫌なことも、感触も、暁月優利は忘れることができない。代わりに人のあたたかさ、自分のだらしなさも忘れる術など知らなくて。

 幼少の、カプセルの中の恐怖も、先日の感覚が消えるさまも。


「門奈さん……っ……」


 HMDが降りて来て、視界が閉ざされた。ヘッドフォンを止めた門奈がゆっくりと諭す。


「おまえが必要なんだ。さあ、新しい仲間が待っているぞ。また別の仕事がある。マニピュレーターのうねうねに怯えてる暇はねーし、見慣れると可愛いものだよ」


「あんた、触手マニアですか、いい趣味じゃないし、触手のゲームというと、R18の……」

「うるせえ、ゲーヲタ。人をゲームで量ってんじゃないよ。VRで逢おう、優しくしてやる意味もねーわ、もうとっとと行ってくれ。総務部に怒られるの俺」


 ばん!とカプセルが締まった。ヘッドフォンで何も聞こえなくなった。


『暁月優利さん、出勤お疲れ様です! 今より、VR勤務承認といたします。今日は社内のお花見会の模様をお楽しみください』

 

 今日は社内イベントの動画が流れて来て、なんだか空しくなった。酔っぱらった大河内李咲課長のスカートに気がそぞろになったところで、感覚切断の瞬間がやって来た。酔っぱらった宮辺俊徳がネクタイハチマキしたズームアップで切れて、それはそれで嫌な思いをした。


 ――ほんっと、ロクでもないよ、この会社。それでも、必要なんだって言われれば、やっぱり嬉しいものだ。


 胡桃のためにも、がんばろう。初任給ゲット。何か、美味しいモノを奢ってやろう。


『また、逢えたね、一生懸命な、神様ボーイゴドレス



 感覚を繋ぎ直す瞬間に、かすかな声が聞こえた気がしたが、塔は見えない――。

 



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