第27話 ねこやしき、ラブチャットと試練の始まり

***


『仕方ないだろ、じいさんばあさんの前で、告白するこくるつもりはなかったんだよ』


 背中を向けたままのアバターに、優利はあたふたと言い訳をしている。とはいえ、ここは『ねこやしき』なので、どちらも猫のアバターだ。胡桃は記念ガチャでゲットしたらしい低確率の「姫猫スキン」、優利はスキル上げで貰えるネズミ小僧猫スキンを選んでいる。VRではこれがホログラムになって、人間が着られるのだから、キャッスルフロンティアKKのVRゲーム技術はおそらく最高峰だ。


『ついつい本音が』

『ついつい』


 やり返されて、優利はマイクロヘッドマイクを指ではじいた。昼間、うっかり本音が漏れて、じいさんばあさんの前ではとそそくさ逃げるように離れた行為を、胡桃は責めているのである。


『確かにお仕事だから、分かるけど。普通、とっとと帰る? 一晩連絡繋がらなくて心配したとか思わないんですか』


 ――胡桃は怒ると長い。優利は呆れた声音を出しかけて、また唸った。


『悪かったよ。仕事だったんだ』


 胡桃姫猫が少しだけ優利に向いた。


『ごめんね。ヒロ、お兄ちゃんが言ったからでしょ? 就職しないと胡桃はやらんって。ヒロ、社会人なんか一番できないのに、辛い想いさせちゃうね』


 有り難くも、の保証をしてくれた。しかし、確かにVRのシーサイト業務は問題山積みで、巧く行かないに決まっている。でも、仕事の手ごたえはあった。それは世間一般でいう仕事ではないのかも知れない。門奈計磨は暁月優利の存在価値を見抜いてくれた。宮辺俊徳のおやっさんも、ちょっと怖い大河内李咲課長も。これから頑張る仲間であり、ライバル認定の堂園誠士や、VRのメイドキャシーやジェミー……まさに仕事、社会の大切な和だと思えた。


 ピザをもくもく焼いていても、どこかふわふわしていたのに、ふわふわしている感覚の世界で、しっかりと立っているのを実感できるなんて誰が思うだろう?


『それがさ』


 ――企業秘密シークレットだって言ってんだろ。人の話聞いてましたか? 重篤患者ゲーヲタ


 門奈計磨の嫌味な幻聴が聞こえて、優利は会話を止めた。スカイトークという電波を介したコミュニティツールは、ねこやしきやVGOにも用意されているサブシステムだ。キャッスルフロンティアKKのお得意なのかも知れない。


ねこやしきの猫たちを見ながら、優利はベッドに場所を移した。スイッチを押せば胡桃本人が映るのだが、胡桃は画面をロックしている。風呂上りでも、パジャマでもいいのだが、がんとしてみせようとはしない。


『うん、辛くないんだ。俺、あの会社なら続くかも知れない気がする』


『良かったね! ヒロ、ゲーム好きだから、ゲームの神様が呼んでくれたのよ。夜通し探してBANするの大変だろうけど頑張ってね』


 どんな仕事だ、それ。ゲーマーのアキレス腱切るなよ。


 ……下手にゲーム用語に首を突っ込むとこうなる。運営の「ツーラーはBANしました」「運営GJ」「さすが俺たちの最高の運営だぜ!」の祭メッセージあたりを見て、分からずに使っているのだろう。そして優利は胡桃のそのがむしゃらな追いかけ方が好きだ。わからなくてもいいじゃないか。そこに気持ちがあるならね。


『そういう仕事じゃないよ』

『制作サイド? まさか、ねこやしきとか? 同じ会社よね。若旦那ネコ、見つからないの』


『うーん……胡桃、今日も疲れただろ。そんな声音してるぞ』


 胡桃は「そうかなあ」とその気になった。素直で純なので、時折こうやって誤魔化せば逃げられる。……こんな攻略ばかりが巧くなって、ラブ系攻略には行かないところが悲しい。


『胡桃、今度デートでも』

『…………すやぁ……』


 完全に寝落ち。またみっともない会話ログが残ったものだ。明日は『なんで起きてるときに言わないのよ!』と姫猫本体が背中を向けるだろう。


 くくっと笑って、(俺、気持ち悪いな)と思いつつ、変化に気が付いた。VRの感覚がそのまま現実に生きている。思えば、ずっと、そうだった。でも、それは、ゲームだとか軽んじたわけじゃなくて、重しがなかっただけだ。


「いい気分だ。久しぶりに、VGOでも……」


 一瞬のウキウキはどん底に落ちた。画面にはLOSEの文字。HMDを装着すると、360度を見回し、焦点を修正する。「ヴァーチュアス・ゴドレス・オンライン」のロゴに吸い込まれるように、廃墟の空が視界を覆い隠した。


 門奈計磨に手酷く堕とされたおかげで、また地獄からのスタートだ。ランキングは気が付けばどん底レベル。ログイン忘れであっけなく素材も回収されてしまった。


「こうしちゃいられねぇ、今夜は徹夜だ!」


 だが、流石に螺旋階段の残り半分で力尽きた。ところで、ポーン、とメールが鳴った。と思ったら、キャッスルフロンティアKKの腕輪である。ポコポコとライトが点滅しているので、触れると、ARの青い靄が浮かび上がった。



『暁月優利さん、いい加減、社員番号を登録してください』



 声に聞き覚えがあった。クルタの声だ。ちゃんとカタチにはなっていないが、声は間違いない。


「あ、えっと……」

『いつものメールボックスに届いています』


 黙ってVGOのメールボックスを開けた。暗号化されたデータが出て来て、メールフォームがアップロードされ、腕輪を近づけるように指示が飛ぶ。


 赤外線を元にした、秘匿ライトツールだ。QRコードに近い。


『暁月優利、明日は出勤でいいですね。と、門奈計磨主任の伝言です。『ねこやしきと夜通しVGOで遊んでいるなら、元気なんだろうから、明日もVRシーサイト業務を遂行しろ』……ちなみに、ぼくも知りたい。クルミって誰ですか? 僕にとっても名前がよく似ています』


 腕輪から聞こえるPAIは本来は新入社員のお目付けだと聞いた。それでも、暁月優利はあの青いオウムに逢いたくなった。


 しかし、ユーザーのログイン情報が筒抜けなのはどうなんだ。もう胡桃のデータも見えているのだろう。もしかすると、胡桃が低確率のスキンを単発で当てたのも実は……考えすぎか。そこまで運営が易しくないは知っている。


 胡桃の運の良さも。


『ねえ、誰ですか? クルミ、可愛い名前ですね』


「クルタ、会話が成り立ってるぞ」


『僕は、自動判断会話機能の最新型PAIです。記憶して憶えます。コミュニティー能力……』


「へえ、冒険RPGみたいだな」


『ぼうけん……ヒロとぼうけんをはじめる』


 ぴったりなレトロな言葉に、とても心が温かくなった。仕事が冒険。最高じゃないか。


 腕輪には、まだ4の文字しか刻まれていない。でも、それは、これからの大切な仲間の情報で、そこに門奈計磨も足せるだろう。彼はどうやら、自分のことを掘り下げられるのを避けている。医者で、運営ではあるが、所属は違うと告げた。


「そうだな。男の子同士、冒険……」


 熱い誓いを口にして、すぐにやめた。後程門奈計磨に何を言われるか分からない。しかし、冒険には試練がつきものだ。優利はこのゲームの原理をすっかり忘れていた――。

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