第19話《感覚超越者――ヴァーチュアス・ナーヴ》

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 現実の世界リアルを最大限に拡張VRMMOする。

それには、技術テクニック性に工夫を介し、開発は終わりなく続く。

現段階、ARは仮想情報VRの割合が幾分小さい。HoloLens(MR)デバイスの仮想情報はまだ多くない。



***


「優利、この世界の全体図を見せていなかった」


 ――滞在可能時間、残り4時間。考えたらここには、本来の時間を知る指針がない。も凝り4時間ということは、10時間許されたうちの6時間を費やしているから、そろそろ現実では夜だ。気が付くと、周辺の暗がりと連動していると分かる。


「ちゃんと、夜になって来ましたね」

「恐ろしく正確な体内時計だな。自律神経失調症には無縁だろうな。感覚超越者ヴァーチュアス・ナーヴは」


 さきほども聞いた言葉だ。


 感覚超越者。何やら異世界アナザーワールドの無双キャラになった気分だが、おそらくvirtual・realityのほうだろう。門奈計磨はもしかしたら医療に詳しいのかも知れない。


「あの、もしかして、医者ですか? 俺、医者は苦手なほうで」

「……こちらの素性はいい。ここが、全体展開図だ。見えないか? 3Dになっていて、コツがいるのだけれど」


 ドームのような空間に、ゆっくりと設計図のようなものが見え始めた。整備されたテーマパークと思えばいいだろう。箱庭のようなVRボックスとは違い、どこまでも世界は広がっているような、そんなマップだった。


「帰る時は、むこうの人間の助けがいる。俺が先に感覚を起こし、感覚を繋ぎ直せば戻れる。通常の人間はもう眠気と、吐き気のVR酔いで返すところだが、きみは平気そうだ」


「ゲーム慣れしてるからですかね? 俺、全然大丈夫みたいなんですが、ないな……」


 実はちょうどよい機会だからと、薄れて見えた廃墟の塔を探したのだが、どうにも見当たらない。特徴がある塔だから、うっすらと見えていればいやでもわかるはずだが。



「――何か、探している?」



「VGOに似てる塔が見えたんです。ここに来る前。時空が捻じれる感覚の中に、浮かび上がっていて」

「ヴァーチュアスのやり過ぎ。この構築は、俺が作ったわけではないが、そいつのCADにも、担当のVRCSD設計士からも、そんな報告は受けていないし、だいたいVGOとこのVRオフィスに接点はない。あるとすれば、きみの視覚と記憶だ。誤認識バグを起こしたか」


 ――そんなはずはない。優利には、はっきりとした塔のシルエットに、生きたものの感覚まで感じたのだから。


「俺、普段でも絶対に見間違いはないんですが。見間違いしている間に殺されるようなゲーム作ったの、そっちですよ」

「人々は時に、闇を求める。現実では味わえない世界の闇デス・ゲームを――俺の言葉ではないが。VGOのユーザーは、ゲームの夢の先に何を求めてるんだろうな」


 運営と、ユーザーの隔たりを感じて、優利は言葉を押しとどめた。門奈に懐きすぎた感覚に危機を憶える。誘拐された少女が、「生きていくために」犯人に恋をする。そんな逃避なのかも知れない。

 なぜなら、この世界に於いて、門奈計磨無しでは、どうしようもないからだ。



『滞在時間は残り3時間です。三半規管に疲労ストレスが見受けられます』


 PAIの言葉には、心配が入り混じっていた。「サンキュ」と声を掛けると、PAIのクルタはぷいと横を向き、翼に頭を潜らせてしまった。

 マップに向き直ると、色々な建物が浮かぶように見えて来た。コツが分かって、区画を目で追っていく。


 廃墟の中に、高級そうなビル群……まるで5G都市のようではないか。


「門奈さん、この、一角のビル群、なんですか」

「ああ、そこはまだ建設途中のVRヒルズだ。――国家機密を抱える人間シークレット・ベイを隔離している」

「国家機密?」


 門奈は頷いた。あとで告げる。「シーサイトとは、国家機密人の護衛でもあるんだ」と。


「この国には、失ってはいけない才能や、能力、伝えるべき技術がある。しかし、それも外国の前では護り切れない。この制度はかつての総理大臣の息子が考えた5G計画に准ずる。心配するな、この声はきみにしか聞こえない」


 ゆっくりと分かって来た。


 確かに、こんな風に感覚を繋ぎ、こちらの世界で様々な技術を譲り渡すことはできるだろう。肉体を保護し、精神を安定させてこちらの世界で生きることは可能だ。

 ――実際に、今、ぼくは体験しているのだから。


『残り、2時間30分……そろそろ戻ったほうがいいのでは……』オウムのクルタが優利の肩に止まって、目を潤ませ始めた。


『ぼくの役目は、生命維持を護ることです。無茶なVR滞在は記録されますし、暁月優利が消滅します。そうなると、脳裏のバグが……運営側には責任はないとの一筆が必要です。でないと、脳がバグを起こして大変なことになります』


「どこの堅物システムのプログラムだ。やりにくいな」


 門奈計磨はぼやくと、腕輪を傾けて、一つの書面を浮き上がらせた。

「残業申請出すから。多少の無理は大丈夫だ。賞味期限だってそうだろ。ほら、行ってこい」

『暁月優利、危険です』

「大丈夫だ。多少の冒険はしないと、男なんだから。おまえもそうだぞ。クルタ。俺たちと冒険しなきゃな」

『ボウケン』


 オウムは粒子を翼に貯めると、しぶしぶ「残業承認」と口に出し、「上長、大河内李咲の許可が下りました」と心配そうに告げて来た。


「もしかして、俺が死んでしまうと心配してくれてた?」

『……当然でしょう。ぼくは、あなたのPAIです。あ、でも、給料は厳しくします。でも、脳が疲れてしまえば、お給料は発生しません』


 云っていることは怖いが、愛おしいオウムだ。頭を撫でようとしたが、どうしてかすり抜ける。



「触覚を掴むのは、脳の中でも難儀だぞ」

 門奈計磨の言葉に頷いて、でもカレーは食べた気がする、と思い出す。人の脳には無限と可能性と、謎があり、全部の1/4も使えていない。VRMMOという手段が生み出されるまでは。


 なら、できるはずだ。

 俺は、数々の柔らかいものに触れて来た。


「クルタに触れたいんだ」


 声を出して、感覚を研ぎ澄ませた。瞬間、胡桃のあの柔らかい髪を思い出し、壊れないように指先をかすらせた記憶と、羽毛布団の記憶が重なって――。


 ……ふわ……。


 指先から、柔らかい羽毛の軽さが爪の間をくすぐり、伝わって来る。クルタが嬉しそうに『クルタニフレタインダ』と繰り返して、腕に飛び込む。


 やっぱり、VRMMOは心一つの世界なのだと、実感した。だから、カレーが食べたい気持ちは、カレーを美味しく味わうし、誰かを慈しみたいと思う気持ちは、感覚を思い出させる。


「そいつ、産まれたばかりのPAIだから、育ててやんな、感覚超越者。なんか、柔らかいもんを思い出したんだろう」


 ――ああ、やっぱりクルタ、オスで良かった。

 これが胡桃だなどと思ったら、とんでもないことになってしまう。


 胡桃か……もう何時間どころか、何年も逢っていない気がするな……。


「産まれたばかりのPAIはバグが多いから気を付けて。――夜になった。VR世界の夜を見てもらおう。堂園を叩き起こしに戻ろうか」


 ふと振り返ると、また塔のシルエットが歪曲した夜空に浮かんでいたが、これ以上は聞かないほうが良さそうだ。「俺も行きます」とスライドの早い脚に追いつくころ、クルタも追いついて、二人と一匹、影を伸ばしながら、夜の噴水まで引き返すことになった――。

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