6

「に、偽物……?」

「そう、偽物。つまり、ただの変装ってことさ」

 レズリーはまだニヤニヤと口許を緩めたまま説明した。あれは人間界で毎年この時期に行われる祭りで、この日自分達の家を訪問してくる死者や妖怪たちを退けるために、恐ろしい格好をし、町を闊歩しているのだという。

「ん? ってことは、人間達があんな格好をしだしたのって、俺達が黒羊を始めたのが原因ってことか?」

「たぶんね。祭りと黒羊選出の時期は全く同じだしね」

 ようやく落ち着いたのか、レズリーはまたいつもの澄ました表情に戻り、立ち上がった。

「それじゃあ、話すことも話したし、そろそろ戻ってもいい? さっきから仲間が僕のことを呼んでるんだ。いい加減に戻らないと。君達がこれからこの世界でどうしていこうが構わないけど、さっきの約束だけは忘れないでね」

 レズリーはキッと三人を睨みつけた。

「それはどうかな」

 レズリーにそう返答したのは目の前の三人ではなく、側で寝ていたはずのキルだった。立ち上がり、ズボンの汚れを払いながらレズリーと向かい合っている。

「狸寝入りなんて、また随分紳士らしからぬ行為だね」

「お前の声がうるさくて寝れやしなかったんだよ」

 二人は視線で相手を焼き殺しそうなほど互いを強く睨みつけた。

「おい、キル!」

「黙れ、狼!」ブルーノは間に割って入ろうとしたが、キルに強く叱責され、たじろいだ。「お前がそんな甘っちょろいから、こんなもんに選ばれるんだ。まあ、そのお陰でこいつが口を開けてくれたのは事実として認めてやるけどな」

「本当に君は吸血鬼とは思えない性格してるね。実は意地汚い魔女の血でも入ってるんじゃないの?」

「戦場から逃げ出した臆病者の血が入ってるよりは百倍マシだな。それ以前に、俺は生粋の吸血鬼だけどな」

 今にも掴みかからんばかりの二人の側で、ブルーノもまた緊張していた。二人の争いを止められる瞬間を待っているのだ。今この二人がやりあえば、確実にレズリーは殺される。それまでなら、実力主義のもとに仕方ないとも思えただろうが、先程レズリーとキルに手を出させないと約束してしまった。約束を破ることはブルーノが最も嫌っていることだった。なんとしてでもキルを止めなければ。

 そんな風に三角関係が成り立ったとき、後方からテリーの上ずった悲鳴が聞こえてきた。とっさに三人が振り向いた途端、目の前から巨体が飛んできた。

「あっ」

「なっ……」

「ええっ!」

 各人の素っ頓狂な声も響ききらないうちに、三人はもろともにテリーに押しつぶされた。

「いたたた……」

「バカ野郎! 何やってんだ、てめえは!」

 キルはテリーの体からなんとか這い出しながら怒鳴った。

「ご、ごめん……でも、僕もよく分からない……」

「わ、分からないって、意味分からねえ……って、ああ! レズリーが完全に潰れてる! おい、テリー早くどけ!」

「う、うう……」

 地に伏せた四人がまごついていると、そこに誰かの影がかぶさった。つられるように四人が顔を上げると、そこには月光をバックに、獣耳のついた黒い影が腕を組んで立っていた。金色に輝く瞳が暗い影の中で爛々と輝いている。それはまるで、妖怪でも人間でもない、未知の化け物のように見えた。

「あんたたち……いい加減にしなさい!」

 化け物は不意にキルのところまで移動すると、おもむろにキルの先の尖った耳を思い切り引っ張った。

「いだだだだ! てめえ、キャシー! 何すんだ!」

「うるさい! なんであんたは大人しくできないの! っていうか、あんた、さっきのレズリーの話聞いてたんでしょうが!」

「ああ? それがどうしたんだよ! いい加減耳離せ! いてえんだよ!」

「あんたバカじゃないの? それとも喧嘩馬鹿? この子が言ってたでしょ! ここに来た鬼火族以外の連中は、みんな自滅するか、人間に殺されたかのどっちかなのよ! あたしはこんなところであんたたちに殺されるのも嫌だし、人間にやられるなんて、もっと嫌! だから、あたしの側で騒がないでよね!」

 キャシーはキルの耳元でおもいきり喚いた。

「おめーが一番うるせえんだよ!」

 キャシーは言いたいことだけ言うと、捨てるようにキルの耳を離した。そして、赤くなった耳を擦るキルにビシリと指を突きつけた。

「いい? 今後一切、あたしの前で暴れたりしないでよ」

「だったら、お前が一人でどっかに行けばいいだろうが」

「嫌よ。あたしはこの子と一緒に行くって決めたもの」

 キャシーはそう言って、なんとかテリーから救出されたレズリーの肩にぽんと手を乗せた。

「は?」

 ボロ雑巾みたいフラフラになったレズリーはキャシーの台詞の意味を汲み取れず、ぽかんと口をあけて彼女の方を見た。

「どういうことだ?」

「だって、この子、この世界のことは誰よりもよく知ってるんでしょ。だから、ここで生きていくにはこの子についていくのが一番なの」

「それって、つまり、人間と共存するってこと?」

 テリーは重い体をようやく起こしながらキャシーの方を向いた。

「馬鹿言わないでよね。人間との共存なんて真っ平よ。あたしはいつか絶対あっちの世界に戻るんだから」

「戻るって……。そんなことできるわけ無いだろう。こっちとあっちを繋ぐのはあの洞窟一本だけだし、それだってあのゴブリンが管理してるんだから、そう簡単に通れるわけがない」

「だから、こっちで策を練るのよ。向こうの状況を窺いながらね」

 キャシーは再度、レズリーの肩を軽く叩いた。キャシーの思惑を察したレズリーは怒ったようにキャシーを睨んだ。

「僕達を利用するつもり?」

「利用じゃなくて、協力してほしいのよ。あんたたちだって他の種族がずっとここに留まるなんて嫌でしょう? あたしは向こうに帰ることができれば鬼火族がどこで何しようと気にしないし。もちろん、帰ることができても、あんたたちのこと告げ口するつもりもないわ」

 そう言われると、レズリーは何も言い返せず、口をつぐんだ。

「けど、それまでは人間と共存するってことだろ? それにいつ戻れるかも分からねえのに、そんな曖昧な、」

「うるさいわね! あたしは何もあんたたちもついて来いなんて言ってないんだから! ヒトの決めたことに口出ししないで!」

 キャシーはブルーノが最後まで言う前に、無理矢理口を塞いだ。

「それじゃあ、早く行きましょう、レズリー。仲間が呼んでるんでしょ」

 キャシーは未だ訝しげな顔をするレズリーを立ち上がらせて、ちょいちょいと服装を直した。

「そんな心配そうな顔しなくても、あたしがちゃんと説明するから。ほら、早く」

 キャシーがレズリーの腕を掴んで歩き出したとき、キャシーの話を聞いていたキルが突然二人を止めた。

「待て。俺も行く」

「何言ってんだ、キル?」

「行くって、何するつもりよ? まさかあんた、鬼火族争うとか言うんじゃ、」

「んなわけないだろ。こんなところで弱小部族潰したってなんの功績にもならないしな。それに、人間界のことについては向こうの方が詳しいんだ。そんな貴重な資料をみすみす逃すような真似はしないっての」

「じゃあどうして?」

「決まってる。お前と同じだ。俺も向こうの世界に戻りたい。今までこっちでどうやってやっていくかってことしか考えてなかったけど、言われてみて気付いた。俺だってこんなところでのたれ死ぬなんてゴメンだからな。俺の死に場所はあっちの戦場って、生まれた時から決めてんだ。戻れる可能性があるなら、なんだってしてやる」

 そう言うキルの目は戦火を纏う戦士のそれだった。

「じゃあ、鬼火族に頭下げるのか?」「それは嫌だ」

 ブルーノの問いに、またしてもキルは即刻拒否した。

「直前までの台詞はなんだったのよ……」

「俺がわざわざ下げなくてもこいつが下げるだろ。鬼火を手なずけるのは上手いみたいだし」

 キルは親指でブルーノを指した。

「はあ? ちょっと待て。なんで俺まで行くことになってんだ?」

「なんだ、行かねえのか? あっちの世界に戻りたくねえのかよ。それとも、人間に毛皮はがされるほうがお好みか、このドM狼め」

「勝手に人の好み決め付けんな、ドS野郎。俺だって戻れるなら戻りたいさ。けど、そんなに上手くいくのかって言ってんだ」

「そんなの、やってみなきゃ分かんないじゃない」

「度胸の小さい狼だな。お前の肝は犬以下か」

「そうそう。何事も試す前から心配なんて、小心者のすることよ」

 二人にさんざん言われ、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、

「分かったよ! 行けばいいんだろ、行けば! その代わり、俺が向こうに戻る方法見つけても、お前等にだけは絶対教えん!」

 ブルーノは顔を真っ赤にしてズカズカと歩き出した。

「安心しろ。お前に出来て俺に出来ないことなど一つもないからな。俺が方法見つけたときは、お前の土下座百回で教えてやるよ」

「お前に教えられるくらいなら、ここで死んだ方がマシだ!」

「なんだあ? ヒトが親切になってやろうってのに。なら今すぐここで死ね! 俺が介錯してやるよ!」

「お前にされるくらいなら人間に頼むわあ!」

「俺は人間以下だってのか! てめえ、ぶっ飛ばす!」

「やれるもんなら、やってみろ!」

 二人はいつの間にか、キャシーやレズリーすらも追い越してドスドスと茂みの中を突き進んでいた。

「あいつら、迷わず進んでるけどあっちの方向であってるの?」

「全然違う。僕らが集合場所として決めてるのは、ここから町を越えたところにあるからね。あれじゃ真逆だ」

「……まあ、放っておいてもそのうち気付くわよね。あたしたちは先に行きましょうか。テリー、あんたも行くでしょ」

 キャシーはそれまでずっと会話に参加してこなかったテリーの方を向いた。先程、まるで物のように投げられたことも気にしていない風で、快く頷いた。

「うん。僕、向こうに戻りたいって考えたことはあんまりないけど、みんなとずっと一緒にいられるのはすごく嬉しい」

 テリーはニコニコと微笑んで、二人に近づいた。

「テリー、それあたしたちの目的を根本から覆してるから」

「あの吸血鬼が聞いてたら、ボコボコにされてそうだよね」

 テリーは慌てて二人が進んでいった方を振り返ったが、そこにはもうすでに何の影も見当たらなかった。

「さ、あたし達も行きましょう。まずはレズリーの仲間にご挨拶しなきゃ」

「みんな警戒心強いんだから、怖がらせないでよ」

「え、あの二人に声かけなくてもいいの?」

「いーのいーの。どうせそのうち臭いたどってついてくるでしょ」

「いないほうが静かに話進められそうだしね」

「そんな、二人とも冷たい……あ、ちょっと待って、置いてかないで!」

 三人は鬼火族に会い、そして、自分達の世界へと戻るために町へと戻った。

 その後、彼ら黒羊たちは人間界で生活をしながら、自分達の世界へ戻る活路を見出し、それを期にこの「黒羊制度」が一変していくのだが、それはまた別のお話。


+++ +++


「そういえば」唐突に、キャシーは顎に手をあてて考えるそぶりをした。「種族同士の争いの引き金になった二つの種族ってどことどこなんだろ」

「それは、分からない。もうずっと昔の話になるからね。そんなことがあったってこと自体、もう誰も覚えてないと思うよ」

「ふーん。でもさあ、あたし、なんとなあくだけど、想像ついたかも」

「それって、まさか……」

 テリーは最後まで続けず、窺うように後方を振り向いた。他の二人もつられて首を回す。そこは相変わらず鬱蒼と繁った木々に包まれ、生き物のいる気配は微塵もなかった。ただ、奥の方から風の音と共に二種類の咆哮音が小さく流れてきていた。





     fin.

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Black Sheep - 憐れな羊たちの愉快なハロウィーンパーティ - 朝日奈 @asahina86

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