5

「ふう……」

 レズリーは人間達に気付かれないよう、小さく息をついた。どうやら、あの連中には気付かれなかったようだ。いくら外見を変えたところで人間と自分達の気配の種類は全く違う。気配を押し殺していなければ、きっと彼らに見つかっていただろう。

 先程まで彼らがいた場所を覗き見る。もうそこに彼らの姿も気配もなかったが、周辺には人間の大人たちがなにやら話し合っていたり、子供達に指示していたりした。自身が隠れている入れ物を手にしている子供の側にも何人か大人が寄り添って話をしている。つい先程、突然吹き荒れた突風による被害を確認しているのだろう。人間達には何が起こったのかよく分かっていないらしいが、レズリーには明白だった。原因はあのでかいフランケンシュタインだ。レズリーも話には聞いていたが、実際に目の当たりにしたのは初めてだった。

 確かに、あれはいろんな意味でやっかいだな。先程の光景を思い出しただけで背筋を冷や汗が伝いそうだった。もし、もっと彼の近くにいたら、自分のような小さな炎などあっという間に吹き飛ばされてしまっただろう。あんなのが、この先ずっとこの世界で住むことになるとしたら、またしても自分達の部族は窮地に追いやられてしまう。早くこのことを他の仲間に伝えなければ……。

 レズリーは人間達の隙をついて入れ物の隙間から外に出ようとした。しかし、その瞬間、またしても突風が自分の方へ吹きつけてきた。発光体になった状態では、レズリーは簡単に吹き飛ばされてしまう。下手をすれば命の源ともいえる炎が消えてしまうかもしれない。レズリーは慌てて入れ物の中に引っ込んだ。

 今度の風はすぐに治まった。おそらくただの風だろう。レズリーは入れ物の揺れが治まったのを見て、外の様子を窺おうと隙間からそっと顔を出した。その瞬間、レズリーの思考を停止した。目の前にいたのは、人間の子供でも大人でもなく、

「よう、レズリーちゃん。お久しぶり」

 今、レズリーの目の前には数時間前に別れを告げ、十数分前に森の中に消えていったはずの顔ぶれが揃っていた。入れ物を掴んで中を覗いている青年など、レズリーに会えた事が嬉しくてたまらないといった表情をしている。よく見てみると、外の様子も、街中から薄暗い茂みへと変わっていた。

「い、いつの間に……」

 レズリーはじりじりと入れ物の中へと後ずさった。

「ははは。何言ってんだよ、頭の賢いレズリー坊が。俺達ヴァンパイアは紳士の一族だぞ。血を戴く相手には痛みどころか血を吸われたことすら気付かれないよう、素早く事を済ませる心配りが売りなんだ。人間に気付かれずに物をスるなんて訳もないんだよ」

 まるで語尾に音符か星でもつきそうな言い方だったが、キルの表情はどす黒い笑みで満たされていた。

「ほんと、キルって実力だけはトップレベルよね。ここからレズリーを連れて戻るまで一瞬だもの。あたしの目でも追えなかったわ」

 キルの後ろからキャシーが呆れたように呟く。

「おいおい、止めろよキャシー。これ以上俺の機嫌を良くしてどうしようってんだ?」

 キルはニコニコと後ろにいる一同に笑いかけた。

「すっかりご機嫌だね」

 キルにつられてか、テリーの頬も緩んでいる。

「気持ち悪いからさっさと用件を済ませろ」

 テリーとは対照に、ブルーノはしかめっ面になっていた。

「おお、そういやそうだ。クソ狼は後で殴るとして、レズリー、お前に聞きたい事があったんだ。そりゃもういろいろとな。たぶん、話せば長くなると思う。だから……」キルは表情を変えず、逃がさないようにしっかりと発光体を掴んだ。「一発だけで勘弁してやる」

「え、ちょっ……」

 レズリーは言い返す間もなく、火花を散らした。


+++ +++


 人型となったレズリーは真っ赤に色づいた頬を手で押さえながら、その場に座り込み、すんすんと鼻を鳴らしていた。テリーが袖で涙を拭ってやる。キャシーも側に寄って、同情するようにレズリーの頭を撫でてやった。そんな様子を、ブルーノは近くの木に寄りかかって眺めた。

「お前、もうちょっと手加減してやれよな。仮にも弱い部族の、しかも年下なんだから」

 側に立つキルに振り返って言う。

「へっ、何甘っちょろいこと言ってんだ。俺達の世界には部族も年齢も関係ねえ。あるのは力だけだ。力の弱い奴が悪いんだよ」

 その言葉に、レズリーがキッとキルを睨み付けた。キルのほうも負けじとレズリーを見下ろす。

「なんだよ、やるのか?」

「君みたいな考え方をする奴ばかりだから、あっちの世界は争いが止まずに、僕達みたいな力のない部族が追いやられるんだ」

「そりゃあ、向こうは力が全ての世界だからな。弱い者が朽ちるのは当然だろう」

「そうだ……。でも、弱い者だって生きる権利はある! だから、僕達はあの世界を捨ててこっちに来たんだ! ここでなら、人間の生活に紛れ込んで生き長らえることができる。それなのに……君達はそれすらも邪魔をするつもりなんだ」

「待て待て待て。お前の言ってることがよく分かんねえんだけど。あっちの世界を捨てたってどういうことだ? 捨てられたのはお前の方じゃないのか? それに、『僕達』って……」

 ブルーノは睨み合う二人の間に割り込んで尋ねた。レズリーも自分が言い過ぎたことに気付いてバツを悪くした。

「君達に、これ以上話す気はない」

 レズリーは顔をしかめてそっぽを向いた。

「頼む、教えてくれ。それって、お前がこの世界のことについて知ってたことに関係してるのか?」

 ブルーノはレズリーの肩を揺すって迫ったが、レズリーは頑なに口を閉じて開こうとしなかった。

「どけ、クソ狼。俺がそいつの口を割ってやる」

 キルが拳を何度も確認するように握り締めながら近づいてきた。

「馬鹿。こいつの言ったこと聞いてたなら分かるだろ。力づくじゃあ、余計に黙るだけだ」

「じゃあ、どうしろってんだよ」

「お前が頭下げて頼め」「断る」

 キルの返事の速さには、さすがのブルーノも閉口せざるを得なかった。

「俺はそいつとまともに口をきくのも嫌だね。ぶん殴っていいってんなら喜んで力になるが、それ以外ならお前等だけでやれ。俺はその辺で寝てる」

 そう言うと、キルは近くの手ごろな木に寄りかかって座った。そしてそのまま目を閉じると、本当に寝てしまった。

「あいつは本当に自由すぎるな」

「今ならイタズラしても気付かないんじゃない」

「……止めた方がいいと思う」

 各々がキルを一瞥すると、そろってレズリーのほうへと向き直った。

「話してもらえないか? お前が知ってること」

 ブルーノが極力優しく聞こえるよう話しかけたが、レズリーは一向に曲げた口を開こうとはしなかった。

 こりゃあ、話を聞くのは難しいな……。

 これと同じくらい頑固な知り合いを持つブルーノは、レズリーには何を言っても徒労に終わりそうな予感がした。しかし、そんな予想とは裏腹に、レズリーはじろりとブルーノたちを見つめると、重い口を小さく開けた。

「……一つだけ、約束するなら、話してもいい」

 三人は驚いたようにレズリーを見たあと、互いに顔を見合わせた。

「約束ってなんだ? 俺達にできる事なら何でもするよ」

 ブルーノがさらに詰め寄って尋ねる。レズリーは確かめるようにブルーノを見つめると、再び口を開いた。

「……これから僕が話すことを聞いても誰にも言わないでほしい。それから、僕達の生活の邪魔もしないでほしい」

「生活の邪魔? 襲ってくるなってことか? それなら、もちろん約束する。あいつにだって手出しはさせない」

 全員は同時に側で眠るキルを見やった。当の本人は堅く目を閉じたまま何の動きも見せなかった。

「君達で止められるの?」

「まあ、何とかなるだろ」

 それでもレズリーはしばらく疑うように三人を見つめていたが、やがてため息をつくと、こくりと小さく頷き、話し始めた。

 もう随分前の時代、彼らの世界での争いが激化の一方を辿っていたころ、弱小部族に位置する鬼火族は滅亡の危機に晒されていた。まともに戦えば惨めに潰され、戦火を逃れようと隠れても、完全に見つからない場所など世界のどこにもない。彼らは自身が滅びるのをただ見ていることしかできなかった。その頃には、もとより争い事を苦手とする鬼火族にはもう存続をかけて戦う気力すら残っていなかった。

 この争いの発端はある二つの種族の諍いから始まった。それがどこの種族なのかを思い出すにはもうかなりの時間が流れてしまったが、彼らの部族でない事だけははっきりしていた。彼らは基本的には平穏主義の種族だからだ。彼らはその二つの種族を恨んだ。どうして自分達が巻き込まれなければならないのだ、と。

 そんなとき、一人の若い鬼火がなんとか戦火を逃れようと、家族と共にゴブリンの洞窟へ逃げ込んだ。その洞窟は人間界と繋がる洞窟で、例え争いの中でも、人間と妖怪の中立を保つゴブリンによって厳しく管理されていた。普通の者ならば洞窟内に入るどころか近づく事すら許されない。しかし、彼ら鬼火族には特殊な技が二つ備わっていた。その一つはそれぞれが纏う炎の光を利用して他の種族に化ける事ができる技である。それは魔女の変身術のようなその場しのぎのようなものではなく、本当に体の中も外も変化させることができるものだ。だから、ゴブリンたちに気付かれることもなく、すんなりと洞窟を通り抜ける事ができた。

 初めて人間界に足を踏み入れた彼らはそこが楽園のようにすら感じられた。妖怪達の争いを目の当たりにしてきた彼らにとって、人間の起こす争いなど子供の喧嘩も同然だった。なにより、この世界には自分達が隠れるのにうってつけの光の塊がいたるところにあった。体の機能の劣る人間達は太陽の光なくして生活はできないのだ。それを見て、彼らは確信した。この世界にいれば鬼火族は滅ぶ事はない。彼らは早速仲間の鬼火族を、二つ目の技を使って呼び集めた。彼らのもう一つの技とは、遠距離間での通信術である。彼らの放つ光は特殊なパルスを発することができ、空気の振動を利用する事で遠くにいる仲間と通信する事ができる。この二つの技は他の種族は誰も知らない。これらは彼らにとっての切り札で、もし他の種族にばれれば、確実に虐げられ、利用されるのは目に見えていたからだ。それは部族の滅亡よりも屈辱的なことだった。だから、かれらはこの技をひた隠しにしてきたのだ。

 人間界に逃げ込んだ鬼火の連絡を受けた仲間達はさっそく人間界に逃げる事を決意した。しかし、大勢で押しかければさすがにゴブリンや他の種族にばれてしまう。彼らは慎重に、少しずつ、人間界へと逃亡を果たした。だが間の悪い事に、時を同じくして、争いを続けていた種族の一つがゴブリンの洞窟に目をつけた。とはいえ、彼らは争いから逃げるために人間界を利用しようとしたのではない。彼らの目的は争いにおいて足手まといになる仲間を捨てることだった。彼らはゴブリンに上手く取り入り、門を開けてもらうことに成功した。

「これがいわゆる『黒羊制度』の発端だよ。最初は、人間界でそいつらに支配されるんじゃないかって不安だったらしいけど、争いを止められない彼らはこちらでも好き勝手暴れて、終いには人間達に始末されたらしい。制度が安定してからもそれは変わっていない。今この世界で生きてる妖怪のほとんどは鬼火族だ。他の種族は人間に殺されるか、種族同士で争って共倒れのどちらかだ」

 そこまでいうと、レズリーは口をつぐみ、疲れたように息を吐いた。ブルーノははじめて聞いた過去の事実にしばらく何の言葉も出なかった。それは他の二人も同じらしく、黙ったままレズリーを見つめていた。

「じゃあ、お前がこの世界のことを知ってたのも、その通信技術のためだったのか」

「まあね。僕達はこの制度が始まった当初は、黒羊としてこちらに来る以外に隠れて出てきていたけど、最近は争いも以前より落ち着いてきたし、他の連中に怪しまれないようにって、制度のときにだけ出てくるようにしたんだ」

「大変だったんだね」

 レズリーに同情しているのか、テリーは涙ぐみながら答えた。

「君に同情されても嬉しくないよ。っていうか、こんなところで泣かないでよね」

「あんた、本当に憎たらしい子ねー。ちょっとくらい素直になんなさいよ」

 キャシーが睨みつけても、レズリーは顔を背けてそっぽを向くだけだった。

「なあ、お前のことは分かったけど、この世界の様子はまだ聞いてねえんだけど。あの人間達の様子、あれって俺達が今まで聞いてきた人間とちょっと違う気がするんだけど。あれってやっぱり人間の進化によるものなのか? それとも、やっぱりあれは人間じゃないのか? まさかお前等が何かしたとか?」

 ブルーノが町の方を指差して尋ねると、レズリーは目を丸くして、まじまじとブルーノたちを見つめた。テリーは先程の人間を思い出したのか、ブルリと震え上がっている。

「人間の、進化?」

 レズリーはしばらく町と三人を交互に見ていたが、やがて顔を歪めると、とうとう噴き出した。

「し、進化、だって? あれが? 進化って……!」

 レズリーは声を上げて笑い出した。腹を抱え、目じりに溜まった涙を拭いながら。

「ち、ちょっと! なにがそんなにおかしいのよ! あんただって見てたでしょ? あの不気味な生き物を!」

「……ああ、うん。もちろん。あれは間違いなく人間だよ」

「じ、じゃあ、あの姿はなんなんだい? すごく怖かった……」

 テリーが本気で怖がっていても、レズリーはまだクスクスと笑っていた。むしろその様子を面白がっているようにも見えた。

「あれはね……」レズリーはなんとか呼吸を整え、三人と向かい合った。「あれは、偽物だよ」

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