4

 一行が森に退避して、十数分後。

「ぜえ……はあ……やっと、落ち着いたか……アホテリー……」

 キルは息も絶え絶えに、力なく地面にくずれ落ちた。側には岩のようにしゃがみ込んでうずくまるテリーの姿が。未だにぐずついていたが、先程までよりはずっと大人しくなっている。そんな彼を横目に見ながら、キルは周囲を見渡した。町からかなり離れたそこはかなり悲惨な有様だった。周りの木々はいくつも倒され、痛々しく地面に転がっていたり、真ん中でぷっつりと折れているものばかりだった。足場となるはずの地面は、まるで地雷がはじけたかのように数箇所に渡って掘り起こされ、まともな足場にはなっていない。木の根元や地面に生えている雑草は踏み荒らされ、泥だらけで潰れている。これは全て、テリーが一人でやったものだった。彼は恐怖で泣き出したとき、自身の身を守ろうとしていつも暴れまわるのだ。

 にしたって、よくもまあこれだけ暴れられるものだ。暴れまわるのを止めようとした自分はこんなに疲労困憊しているのに、テリーのほうはまだ泣いているものの、怪我一つしていない。キルはテリーの体力を感心せずにいられなかった。

 キルは今度は森の外、人家の方へと気配を探ってみた。泣き声に気付いて人間達が森に入ってくる様子はない。今のうちにブルーノたちと合流した方がいいだろう。キルはすっかりボロボロになった体を重々しく持ち上げた。

「ほら、立て。そろそろ獣連中のところへ行くぞ」

 キルはテリーの背中を叩いて促した。しかし、当の本人は小さく頷いたものの、一向に動こうとしない。

「何やってんだ、早く立て。置いてくぞ」

 最後の言葉が効いたのか、テリーがびくりとして顔を上げた。置いていかないで、と目が訴えている。

「置いてかねーから早く立てって。言っておくが、俺はもうお前を起こすだけの体力も気力もねえからな」

 そこで、ようやくテリーはもそもそと立ち上がった。

「ごめんね、迷惑かけて……」

「そう思うんなら、もう二度と泣くな。さあ行くぞ。確かこっちだと思うんだが……」

 キルは倒れた木を跨ぎながらブルーノとキャシーの気配を探った。念のため後ろを振り返ると、眉を八の字にしたテリーが無言のままついてきていた。顔色を窺うようにキルをちらちらと見ている。

「なんだよ? 言いたいことがあるならはっきり言え」

 キルは草むらを掻き分けて進みながらも、耳は後方へ集中していた。

「……ごめんなさい」

「それはさっき聞いた」

「すごく迷惑かけたよね……」

「それもさっき聞いた。あのな、俺はあの馬鹿狼とちがって理解力があるんだから、一回聞けば分かる。何度も同じことを言うな」

「うん。ごめんなさい……」

「……殴られてえのか?」

 キルがイラついて後ろを振り向くと、いつの間にかテリーが立ち止まっていて、キルとの間に距離ができていた。

「おい、何突っ立ってんだ。本当に置いていくぞ」

 キルが何度声をかけても、今度こそテリーは岩のように固まったまま動かなかった。まさかまた泣き出すのだろうか。慌ててキルが引き返したとき、テリーはポツリと呟いた。

「本当に、僕は足手まといだよね。キルみたいに頭も良くないし、ブルーノみたいに機転も利かない。キャシーみたいに鋭い感覚も持ってないし。あるのは馬鹿力だけで、それだってうまく制御できないし……。今回黒羊に選ばれたときも、やっぱりとしか感じなかった。こんな何もできないダメなやつ、きっと人間界でも皆の足をひっぱ……、」

 テリーは最後まで言葉を続けることができなかった。なぜなら、キルが全腕力を込めてテリーの顔面を殴ったからだ。テリーは突然の攻撃に足を掬われ、地面に尻餅をついて倒れた。

「うっとおしいんだよ、お前はさっきから! うじうじうじうじと、頭ん中にウジでも沸いてんのか! 俺はてめえみたいなマイナス思考の奴が大っ嫌いなんだよ!」

 キルは拳を握り締めたまま、テリーを見下して吠えた。

「ご、ごめんなさ……」

 テリーは鼻を押さえながら涙目になって答えたが、それもキルの言葉に遮られた。

「それだ、それ! そうやってすぐ謝るのがお前の悪い癖だ! お前がさっさと下手に出ちまうから、他のクズ連中が付け上がるんだよ! お前の馬鹿力は一族でも群を抜くって言われてるんだろ! だったら自慢すればいいじゃねえか! お前のこと悪く言う奴らは、皆その馬鹿力でぶっ倒せばいいじゃねえか! コントロールができない? そんなんできなくていいんだよ! 俺達の世界じゃ強いやつが一番なんだ! もっと胸張ってろ! 俺はお前のその馬鹿力だけは認めてんだからな!」

 最後の言葉を口にしたとき、キルは一瞬しまったと思った。キルはこれまで自分以外の他人を褒めたことが一度もない。当然だ。何においても自分が一番だと周りに吹聴しているのだ。他人を認めたりすることは自分が劣っていると公言しているようなものなのだ。だから、テリーへの賛辞を言ってしまったとき、自分の中で驚きと同時に恥じもした。しかし、そんなことでへこたれる性格を、あいにく彼は持ち合わせていない。すぐに気を取り直して、勢いに押されて呆然としているテリーに向かって続けた。

「俺の座右の銘が何か教えてやろうか。『天上天下唯我独尊』! 俺以上に立派な奴がいないって意味だ。俺にピッタリな言葉だろう。その俺がお前を認めるって言ってんだ。だからもっとシャキッとしろ! 俺に恥じかかすんじゃねえよ! 分かったな!」

 圧倒されるその迫力に、テリーはただこくこくと頷くことしかできなかった。

「ようし、それでいい。分かったなら、さっさと立て。早いとこあいつらと合流するぞ。あの馬鹿に文句なんて言われたくないからな」

 そう言うと、キルは何事もなかったように踵を返してまたさっさと歩き出した。テリーも遅れないよう慌ててついていく。

「ああ、それから」キルは前を向きながら自身の背中に向かって言った。「さっき俺が言ったことはあいつらには絶対に言うんじゃねえぞ」

 その「言ったこと」というのが、テリーを褒めたことだというのは聞かずとも分かることだった。自信家な彼が他者へ賞賛の意を表したなどと他の者(特にブルーノ)にバレれば彼のプライドが傷つくだろう事は火を見るより明らかだ。そんなキルの性格をよく知るテリーは始めから二人にそのことを言うつもりは毛頭ない。むしろ、秘密ごとができて密かに喜んだくらいだ。

 テリーは後ろから追いかけながら、キルの様子を窺った。テリーの歩いているところからは背中しか見えなかったが、おそらく照れているのだろう。日が昇っていたら顔が赤くなっているのが見えたかもしれない。テリーは今が夜であることを少し悔やんだが、普段見られないキルの姿を思い浮かべるだけで笑みがこぼれた。

 未だ自分が絶望的な状況に置かれていることに変わりはないが、彼や他の仲間がいればどうにかなるのではないか、そんな楽観的な考えが脳裏に広がった。顔見知りの友人たちとも争い合わなければならない向こうの世界より、皆で協力できるこちらの世界の方が良いのではないだろうか。そう思うと、テリーは黒羊に選ばれた事を嬉しく思わずにはいられなかった。


+++ +++


「おーそーいー!」

 四人が合流したとき、まず口を開いたのはキャシーだった。先程はブルーノが腰掛けていた岩にちょこんと座って頬杖をついている。ブルーノもその側に立ち、疲れた様子で二人を見据えていた。

「大分暴れたみたいだな、テリー。こっちまで破壊音が聞こえてたぞ」

「うん、ごめんね二人とも。耳大丈夫?」

「大丈夫なわけないでしょー。まだ頭がキンキンする……」

「そうか? 俺はもう平気だけど」

「あんたたち獣人族と一緒にしないで。あたしは純血の妖怪なんだから」

 キャシーの化け猫族はそれだけで一つの部族を形成している。というのも、獣人族とは獣の血を体内に取り込んだ生き物で、つまり人が獣化した妖怪を指すが、化け猫族は元々猫の形をしていて、人の姿に変身することができる妖怪なのである。つまり、獣人族は獣と人との混血妖怪で、化け猫族は純粋な獣妖怪ということだ。そのため、化け猫族の方が獣の感覚をより強く身につけている。ブルーノよりもキャシーの被害が大きかったのはそのためだった。

「無駄話なんかしてる場合じゃねえだろう。これからどうするか考えねえと」

 キルは半ばイライラしながら言った。眉間にしわを寄せて、視線は町のほうを見据えている。

「何言ってんだ。町に行ってから考えるって言ったのはお前だろう」

「俺は人間界に行ってから考えるって言ったんだよ。っとに耳の悪い狼だな。その頭についてんのは飾りか?」

「お前の言い方が紛らわしいんだよ! っつーかさっきから何イラついてんだよ。八つ当たりすんな」

「八つ当たりなんかしてねえっての! そもそもイラついてもいねえ」

「じゃあなんで、そんなにそわそわしてんだ?」

 ブルーノに指摘されてはじめて気付いたのか、キルは無意識に動かしていた足や手の動きを止めた。そのままバツが悪そうにそっぽを向く。しばし黙考した後、ポツリと答えた。

「……あいつがいた」

「あいつ? って誰だ?」

「あいつだあいつ。あの、弱小部族の」

 他の三人は、そこでようやくキルが誰のことを言わんとしているのかを理解した。キルは自分達と共に黒羊に選ばれた鬼火族の少年、レズリーのことを言っているのだ。いろいろあったせいで、彼の事はすっかり頭から抜け落ちていた。

「レズリーが? 一体どこに?」

 ブルーノは不思議そうに尋ねた。これまで、森の中はもちろん、町でもレズリーの姿を見た記憶はない。キルは一体どこで彼を見たのか、不思議でならなかった。

「あいつ……人間たちの中にいた」

「人間達の中? って、あの怖い集団の中に?」

 テリーが震えた声で聞き返す。

「ああ。正面から向かってきた連中がいただろ? あいつらが持ってた変な形の明かり、あの中に入ってたんだ」

「つまり、隠れてたってこと?」

「たぶん。なんの目的でどうやって忍び込んだのかは分からねえけど、奴が連中の目を盗んで何か企んでるのは間違いねえ。いや、もしからしたらあれが奴の選んだ、この世界でやってく方法かもしれない。あいつは発光体の妖怪だ。人間は俺達以上に夜目が利かないから、ああいう明かりが必要になるんだ。レズリーのやつ、きっとそれに目をつけて上手い事隠れたんだ」

 キルが捲くし立てて言い切った後も、他の三人はすぐには返答できなかった。

「ちょ、ちょっと待て。お前の言い分は分かるが、そもそも連中が人間って事自体まだ決まったわけじゃないんじゃねえか?」

「お前、まだそんなこと言ってんのか? ここは人間界だ! あの洞窟は俺たちの世界と人間の世界しか繋いじゃいねえんだから!」

「じゃあ、あいつらの容貌はどう説明するんだよ? いくらなんでも時代の変化ってだけで解決するとは思えねえ」

「っとに、頭の固い野郎だな。んな些細な事ねちねち気にしてんな! きっと、何かの事情でああなったんだよ」

「お前、適当にも程があるだろ。何かの事情ってなんだよ。説明してみろよ!」

「そんなもん、てめえの頭で考えろ! 俺にばっかり頼ってんじゃねえよ!」

「頼ってるわけじゃねえよ! お前の言い分をはっきり証明しろって言ってんだよ!」

 もう何度目にかになる二人の言い争いを、キャシーはもう止める気すら起きなかった。つまらなさそうに二人のやり取りを眺める。

「あ、あのさあ、二人とも……あの、」

 不意に、テリーが何かを言いたそうにもじもじとしていたが、睨み合う二人には聞こえなかった。

「あ、あのー、」

「なんだよ!」

 二人が勢いよくテリーに向かってきたので、テリーは驚いて巨体を竦ませた。それでも、なんとかおどおどと言葉を繋げた。

「あ、あの、そのことなんだけど……聞いてみればいいんじゃないかな? レズリーに。ほら、彼、あの集団の中にいるってことは、彼らの正体がなんなのか知ってるんじゃないかな? だから……」

 テリーが恐る恐る顔を上げると、二人とも呆気に取られたようにテリーを見つめていた。やはり言わない方が良かっただろうか、とテリーは早速内心で後悔し始めた。ブルーノはともかく、キルはレズリーの事を酷く嫌っている。嫌いな者に教えを請うなど、彼にとっては耐え難いことだろう。

 しかし、意外にも、キルはテリーの予想とは裏腹に明るい表情になった。

「そうだ。そうだよ! あいつに聞けばいいんじゃねえか! あの野郎、洞窟の中にいたときから、何か様子がおかしかった。きっとあいつは知ってたんだ。町の様子がああなってるって」

「確かに、あいつ、黒羊に選ばれた割には随分余裕だったもんな」ブルーノも珍しくキルに賛同する。「けど、あいつ、どうやって人間界に行く前からそんなこと知ってたんだ?」

「何言ってんだ。それもあいつに直接聞けばいい話だろうが」

 キルは上機嫌でそう言うと、指の骨をパキパキと鳴らした。

「キルは、話すっていうより殴りたそうに見えるけど」

 キャシーは呆れがちにキルを見上げた。

「ああ、殴りてえよ。俺は洞窟の中で、こっちであいつに会ったらぶっ飛ばすって誓ったからな。あのクソガキ、この俺をコケにしておいてただで済むと思うなっての」

 そう高らかに笑うキルからは、確かに前にレズリーが言っていたように、ヴァンパイアの特徴である「紳士さ」が欠片も見えなかった。どちらかというと、巷にたむろするチンピラだ。

「そうと決まったら、早速出発するか。いつまでものんびりしてられないしな」

「そうね。あたしもこんなところで野宿とか絶対嫌だしね。テリー、今度はあれを見ても泣かないでよ」

「ど、努力するよ……」

「よっしゃあ! んじゃ、とっととあいつ見つけてぶん殴るぞ!」

 そう言って先頭を歩き出すキルはこれまでで一番輝いてるように見えた。

「あいつ、よっぽどレズリーに貶されたこと気にしてたんだな……」

「あの鬼火の子、いろいろ聞き出す前に死ななきゃいいけど……」

 三人は、まるで子供のようにはしゃぐキルをどうやって止めるか考えながら、暗い森を再び後にした。

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