3
「なんだ、こりゃ……」
山を抜けたブルーノは目の前に広がる光景に、おもわずそんな言葉を漏らした。
「だから言っただろ。人間界じゃねえって」
後ろの木にこそこそと隠れながらキルが小さく囁いた。ブルーノも多少は木陰に隠れていたが、キルのその様はまさに「尻尾を巻いた犬」だった。
自称エリートヴァンパイアが聞いて呆れるな。とは思いつつも、決して口には出さなかった。なぜなら、ブルーノ自身ももキルと同じ気持ちだったからだ。改めて木陰の間から町を見渡す。
町は夜とは思えないほど派手だった。といってもただ単に派手なわけではない。その外観は自分たちの故郷以上におどろおどろしかった。あちこち塗装の禿げた建物にはツタが絡みつき、街頭や木々にはたくさんの蝙蝠が止まっている。不思議なことに飛び回っている者は一匹もいないが。扉や窓の側に、まるで門番のように立ち尽くす骸骨の姿もあった。屋根からはキャシーも小さい頃持っていたような魔女や獣の人形がぶら下がっていたり、くもの巣が張り巡らされていた。何より目を引いたのは、どの建物にも必ず飾られているカボチャである。それらのカボチャはなぜか顔になるよう皮をくり抜かれ、隙間からは眩い光を放っていた。そのため、町は全体的に黒とオレンジ色で埋め尽くされていた。
ブルーノが聞いた話では、人間界というのはもっと質素で地味な世界であり、目の前のそれとは全くイメージが違っていた。足音から、後ろからキャシーたちも到着したのにも気付いたが、ブルーノは町の有様に気を取られ、振り返ることができなかった。
「ひぃっ……」
テリーが上ずった声で小さく悲鳴を上げる。キャシーも町の様子を唖然とした表情で眺めた。
「何よ、これ……。ここ、本当に人間界?」
「だから、違うって言ってんだろ。見てみろよ、あそこ。お前等、あそこにいる連中がホントに人間に見えるか?」
キルが指差す方向を、三人は操られるように振り返った。その先には五~六人程度の生物がいたが、確かに人間ではなかった。背丈の低さから、それがまだ幼い子供だろうということは推測できたが、自分達が教えられてきた人間の特徴はどこにもなかった。子供達は必ず四肢のどこかに尻尾や角を飛び出させ、肌の色はもはや生き物の色をしてはいなかった。黄色に緑に黒……。赤や青い顔をした者もいたが、どれを取っても肌から自然に滲み出た色とは思えなかった。服装も全く統一感がなく、マントを頭からすっぽり被っている者もいれば、ボロボロの布を巻きつけただけの格好をした者もいた。共通しているのは、皆一様に大きなカゴや袋を握っていることくらいだった。仮に彼らが人間以外の種族だったとしても、ブルーノたちには彼らがどういった生物なのかすら判別することができなかった。
「確かに、人間じゃねえ……」
ブルーノが咽喉からやっと搾り出すように言った。
「何、あいつら。気持ち悪い格好……」
キャシーも怯えた様子で呟く。
四人は茂みに隠れたまま、しばらく呆然として異形の者達の様子を窺った。彼らは四人とは対照的になにやら楽しそうに騒いでいた。人間の言葉が分からない四人には彼らが何を話しているのかさっぱり分からず、楽しそうな雰囲気も畏怖の対象でしかなかった。彼らはぺちゃくちゃと話し合いながら、建物の影に消えていった。しかし、彼らの姿が消えてもなお、四人は黙ったまま、その場を動くことが出来なかった。
そんな沈黙を破ったのはキルだった。
「ほ、ほらみろ。お、お前等だって、ビビッてんじゃねえか……」
「お、お前こそ、声が、震えてるぞ……」
ブルーノの声もまた覇気がなかった。
「ねえ、どうするの? ここが人間界じゃないなら、あたしたち、どうなるの?」
腰が抜けたのか、キャシーはずるずると木に寄りかかったまましゃがみ込んだ。キルもブルーノもそれに答えることが出来なかった。二人とも異様な町並みに視線を向け、それぞれ思案に暮れた。
「いや、待てよ。まだここが人間界じゃないって決まったわけじゃねえ」
不意に、キルが振り返った。
「はあ? 何言ってんだ? ここが人間界じゃないって言ったのはお前だろう」
「そ、それはあくまで第一印象から見てそう思っただけだ。いいから黙って聞け、馬鹿狼。確かにこの有様は俺達が今まで話に聞いてきた様子とはまるっきり違う。だがな、人間界ってのは俺達の世界以上に時間の流れが速いんだ。人間に関する書物はいくつか読んだことあるけど、人間世界ってのはほんの二~三百年で服装や町並みが変わることがよくあるらしい。生き急ぐことにかけては連中、生物界一だからな。だからもしかしたら、これも時代の変化によるものじゃねえか?」
まくしたててそこまで言うと、キャシーが生気を取り戻したように飛び起きた。
「そっか。それなら話に聞いてた人間界の様子と違ってたことも納得いくね! キルあったま良いー!」
「ふん、これくらいで褒められたって嬉しくねえよ。俺からしたら、こんなもんは常識中の常識だ」
と言いつつも、キルの口元はしっかりと緩んでいた。二人は全てを納得した様子ではしゃいでいたが、ブルーノはまだ釈然としない様子で、眉間にしわを寄せていた。
「なあ、本当にそれだけかな?」
「あん? てめえ、人の意見にケチつける気か? それとも、俺の完璧な推理に負けたくなくて意地張ってるだけか? だったら、諦めろ。もともと俺とお前じゃ有能さは段違いなんだからな」
「意地なんか張ってねえよ。俺はてめえが的外れなこと言ってねえか、確認してるだけだよ。てめえの勝手な言い分で、もし間違ってたら被害を被るのは俺達だからな」
「ああ? 俺の言い分のどこが間違ってるってんだ? 言ってみろよ」
こんな状況下においても、二人はまたもや睨み合いを始めた。
「ああ言ってやるよ。百歩譲って、町の変化が時代の変遷によるものだったとしたら、さっきいた子供も人間ってことになるよな。けど、お前は本当にあの紫の顔や角の生えた奴らを人間って呼べるのか? たった二~三百年で尻尾や羽が生えたって言うのか? だったら、すげえ進化だなあ、おい」
ブルーノの言うことももっともだと感じたのか、キルは口をつぐんだまま、何も言い返すことができなかった。確かに、これまで人間達は時代の流れによって風習や様相を変えることはあったが、身体そのものに極端な変化をもたらしたことはなかった。そしてそれは、千年以上を生きる彼らも同じで、生物の進化というものは稀にしか見たことがない。
「そ、それは……だな……」
キルが何か突破口を考えあぐねていると、ふと前方からまたがやがやと騒がしい声が聞こえてきた。声の主はすぐに判明した。先程と同じような集団だ。先程の連中とは違うが、派手さと統一性のない格好はよく似ていた。ブルーノの意見を裏付けるかのように、彼らもまた尻尾や羽、あるいは奇妙な突起物をあちこちに持っていた。
「やべ……隠れるぞ」
不審な生物達がいなくなり、安堵していた彼らは茂みから顔を出していたため、慌ててまた体を茂みの中に引っ込めた。しかし、三人が草むらにしゃがみ込んでも、テリーだけはまだ立ったままだった。
「おい、何やってんだ、馬鹿。てめえは一番目立つんだからさっさと隠れろ! ……おい、聞いてんのか?」
キルが咄嗟にテリーを茂みに隠そうと引っ張ったが、テリーの体はまるで銅像のようにびくともせず、前方から向かってくる集団に釘付けになっていた。他の二人もテリーに呼びかけてみたが、反応は一切ない。キルとブルーノが立ち上がって顔を覗きこむと、石膏のように真っ白な顔が踏み潰した紙のようにくしゃくしゃになっていた。まるで泣き出す直前の赤ん坊のような……。
「お……お前、まさか……」
「おいおい……頼むから、マジで勘弁してくれ、こんなところで……」
「だって……だって……」
小さくすぼんだ口から漏れた言葉はそれだけだった。後はしゃくりあげる音に嗚咽を漏らす声、それから……、
「こわいよーーーーーー!」
それはもはや声ではなかった。空間を切り裂く目に見えない刃物とでも言おうか。刃物は空気を震わせ、三人の鼓膜に突き刺さった。余った刃は木々を切り裂き、葉を吹き飛ばした。
「うるせー!」
キルは何とか耐え忍んでテリーの口を塞いだ。しかし、大口を開けているため、両手でも塞ぎきれない。おまけに両目から滝のようにこぼれてくる涙が口を塞ぐ手を滑らせた。その間にも泣き声はどんどん増してゆき、町の建物にも影響を与え始めた。窓ガラスが震え、建物を装飾する飾りが強風に煽られ次々と吹き飛ばされていく。前方を歩く子供達も突然に暴風に表情を変える。建物から何人か外に出てくる者もいた。たぶん大人だろう。
人間は(仮に彼らが人間だとして)自分達のような存在を毛嫌いしていることは昔から知っていた。もちろん自分達も人間のような弱い存在に好意を持つことはなかった。しかし、だからこそ、今彼らに見つかるのはまずい。
キルは視線を下に落とした。ブルーノもキャシーも自分より優れた聴覚を持っているため、テリーの攻撃に耐え切れず、意識半ばに朦朧としている。自身の耳を守ることで精一杯のようだ。
「くそっ……」キルは誰にともなく悪態をつくと、テリーの泣き声に負けない声で二人に向かって叫んだ。「お前等、立て! 森の中へ戻るぞ! 走れ! なるべくこいつから離れろ! 聞こえてんだろ! さっきの岩のところまで戻れ!」
二人はふらふらと立ち上がると、逃げるように来た道を引き返した。キャシーの方が被害が大きいのか、前方に進むことすらままならないので、ブルーノがキャシーの腕を掴み、引きずるように連れて行った。
「お前も来い!」
二人が去ったのを見届けると、キルはあらん限りの力で梃子でも動こうとしないテリーを森の中へ連れ込んだ。先の二人が進んだ先とは別方向に向かう。
視界が完全に薄暗い闇に包まれる直前、キルは一度だけ町の方を振り返った。連中に気付かれていないか確認するためだ。連中の数は先程よりも増えていたが、幸いなことにこちらにはまだ気付いていないらしかった。
そのとき、ふと視界に入ったものを見つけて、キルはおもわず目を瞠った。
「あれは……」
しかし、それをもう一度確認する前にテリーの泣き声が一層増したので、キルはとにかくこのデカブツを黙らせることに専念しようと、森の奥へと進んだ。
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