9

 深山が動きだしたのは、処理班が来る本の少し前だった。

 バンの中はひどく空虚感じがした。


 見慣れた警察署にたどりついた頃には、もう日が暮れていた。

 深山が署内に入ると、一気に空気がざわついた。皆がこっちを見ている。

 疑問に思っていると、服が汚れているのが分かった。すでに乾いていた汚れは野澤と会った夜のものだろう。しかし、所々に新しい汚れがいくつかあることに気づいた。そんなに近い距離にいたわけではないのに……。

 深山は周囲の目を無視して自分のデスクのある部屋へ向かった。

 部屋に入ると、またも注目の的になった。

 いつも飄々としているか眉間にしわを寄せている小野さんですら驚いたように目を丸くしていた。

 深山はまっすぐに課長の元へ向かった。

 課長は深山の姿に呆然としていた。

「この間の死亡事件について話しがあります」


 それからの展開は速かった。もちろん、最初は誰もが深山の話を信じることは難しかった。しかし、深山の格好と、ひとかけらの鉱石を見せるとあながち嘘ではない気がしてきた。

 警察は深山の指示した施設を訪れ、調査した。そこで、この世のものとは思えない様を目撃した。

 施設はすぐに解体され、責任者は逮捕された。

 しかし、この事件は、当施設が開発していた薬品によって起こった、ということになり、エンジェル・ダストについては黙秘されることとなった。


 深山は、この事件の真相を明らかにした者として、しばらく家には帰ることができなかった。

「家に帰りたい……」

 深山はデスクに頭を乗せたまま深くため息をついた。この後も、課長だか部長だかに呼ばれている。

 深山がもう一度ため息をつくと、目の前に缶コーヒーが置かれ、親しみのある声が降ってきた。

「ため息なんかつくと、幸せが逃げてくぞ」

 顔を傾けると小野さんの顔が目に入った。

「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないですよ」

 小野さんはハハハと笑うと、向かいの席に着いた。

「それにしても大手柄じゃないか」

「手柄なんかいらないんで、俺を家に帰らせてください」

「俺に言われてもなぁ。上に掛け合ってみたらどうだ?」

 それができたら苦労はしない。深山はまたため息をついた。机に突っ伏したまま缶コーヒーに手を伸ばすと、視界の隅に金色に光るものが映った。

 それはあのロケットだった。深山はこのロケットのことは話さなかった。なぜか誰にも渡したくないと思ったのだ。

 そういえば、あの人が研究に参加した理由、結局分からなかったな……。

 一体彼女にはどんな理由があったのだろう。他人を犠牲にしてまで得たいものがあったのだろうか……。

「小野さん、他人の命を犠牲にしてまで得たいものってなんでしょうね。俺には全く検討がつかないんですが……。そうまでして得たものに価値はあると思います?」

 急に話しかけられて、小野はちょっと驚いた後、真面目答えてくれた。

「そうだなぁ、急に言われてパッとは思いつかんが、食べ物を得るには金を払わなければならないのと同じで、命を犠牲にしなきゃ得られないものもあるんだろうなぁ。そうして得た物だって、それを必要としてる人達にとっては、それこそ命より価値があるんじゃないか?」

「だからって、そんなことでほいほい人の命を奪うのは、殺人でしょう。なんで、この世には自分の欲のためにそんな簡単に他人を犠牲にできる連中ばっかりいるんでしょう? 純粋に良い人なんていないんですかね。どんなに良い人ぶってても結局、自分の欲のために誰かを苦しめるような連中ばっかりなんでしょうかね」

 後輩のいつになく真面目な質問に、小野は少し考えるふりをしてから答えた。

「うーん、俺は良い人だって、たくさんいると思うけどなぁ。ただ悪人や偽善者の方が目立っちまうってだけで。ほら、実際、お前の目の前にだっているだろう」

 小野はそう言ってニヤニヤと笑った。深山は小野の、こういうなんにでも真面目に答えてくれるところは、気に入っているが、今の発言は正直引いた。

「ただ」深山が返答に困っていると小野は続けた。「そういう良い人ってのは悪人の餌食にされやすいからな。そういう人を護ってやるのが、俺たちの仕事だって、俺は思うよ。お前だって、今回の件で何の罪もない人々が犠牲になるのを防いだんだろう」

 犠牲……。確かに、あの鉱石の犠牲になる人々を救えたのだろうということは事実だ。しかし、自分は、一番救いたい人を救うことはできなかった。

 深山はロケットに視線を移した。

「あの人だって、犯罪者じゃなくて、きっと本当はただの犠牲者だったんだ……」

 深山はロケットを開いた。中には幸せそうな母子の写真があった。

 その写真を見ていると、ふいに、深山は高槻の最後に聞いた言葉を思い出した。

 もしかして……

 深山は勢いよく体を起こして出かける準備を始めた。ロケットはポケットにしまった。

「おいおい、まさか本当に家に帰る気じゃあないだろうな」

「いえ、ちょっと気になることがあるんで、出てきます。あ、コーヒー、ご馳走様です」

 それだけ言うと、深山は急いで飛び出していった。

 小野は急に元気になった後輩を苦笑しながら見送った。


 深山は施設のあった山の麓付近にある病院に来ていた。

 ここの病院が付近では一番大きい病院だった。

 ここであっているかは分からない。そもそも自分の考え事態違っているかもしれない。それでも、深山は確かめたかった。

 院内に入ると、さっそく受付で高槻という人物が入院してはいないか聞いてみた。

 しかし、答えはノーだった。やはりここではないのだろうか。それとも、自分の考えが間違えて……。

 他の病院を当たってみようかと考えていたとき、受付の奥から別の看護師が出てきて答えた。

「もしかして、高槻あやちゃんのこと?」

 深山は詰め寄った。

「は、はい。たぶん、その人です!」

「良かったわぁ。親御さんと連絡がつかなくて困っていたの。あなた、お知り合い?」

「あ、はい。その子の親の友人なんです。それで、その子はどこに?」

 深山が興奮しながら聞くと、その看護師は、急に表情を暗くした。

「え、あなた知らないの?」

「――え?」


 高槻あやは亡くなっていた。それも、看護師の話によると、ちょうど高槻が死んだ頃に。

 高槻あやは生まれつき身体が弱かったらしい。しかも、一年ほど前から体調が悪化していて、一年越せるかどうか、という状態だったという。

 深山は高槻が死んだ現場に来ていた。今、その道は事件の調査で関係者以外立ち入りはできなくなっている。

 その現場も、今は調査がほとんど終わっていて、そこには深山一人しかいなかった。

 深山はロケットを取り出して中を開いた。また、高槻の言った言葉を思い出した。


「あや……私の……てんし……」


 深山は深く息をついて、ロケットを強く握ると、それを海に捨てた。

 そして、その場からゆっくりと離れた。


 海は、日の光を反射して、宝石のカケラをちりばめたように光り輝いていた。





     fin.

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Angel Dust -天使のかけら- 朝日奈 @asahina86

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