3
「僕を、待ってた?」
「そうだよ! 君が来なくちゃ何も始まらないからね。それにしても信じられないな。この中まで人間が入ってくることなんて滅多にないから、境目ギリギリで見張っても希望は薄いと思っていたのに。どうしてこんなところへ? いや、そんなことはどうだっていいや。それより早く始めよう。時間がもったいない」
少年はぺらぺらと一人で喋って話を進めていくので、雪は聞きたいことが幾つもあったが、少しも口を挟む隙間が無かった。それでも、少年がうきうきとしているので、雪もつられて口がほころんだ。
「何を始めるんだい?」
雪は木箱から取り出され次々と切り株のテーブルに乗せられていく物たちを見つめながら少年に尋ねた。切り株の上には白い布や木製のお椀、蔦葛の茎などが並べられていた。雪はおままごとでもするのだろうか、と首をかしげた。
「実験だよ。これから『のみもの』を作るんだ」
そういいながらも、少年は木箱からいろいろなものを取り出してテーブルに乗せていった。
「飲み物? それってこの実の中に入っているもののこと?」
雪はテーブルの中央に乗っている実を見やった。
「それは材料の一つだよ。まぁ、メインではあるけどね」
「メイン? これがそうじゃないの? だったら、一体なんの飲み物を作るんだい?」
少年はその質問には答えず、ニッと笑うと、木箱から大きな砂時計の入れ物(中は何も入っていなかったからだ)を取り出した。
「さぁ、始めよう。その実を取ってくれるかい?」
雪は言われるままにテーブルから実を少年に差し出した。
少年はありがとうと言って受け取り、テーブルに置いてあった黒く鋭い石で実の切り口を裂いていった。すると、あれほど頑固に口を閉じていた実の蓋があっさりとれて、地面に落ちた。
「うん、ちゃんと熟成されているな」
少年は実の口から中を覗き込んで満足そうに言った。少年はほら、と雪にも中を見せてくれた。
中を覗き込んでみると、厚い実の皮でできた入れ物の中にとろりとした液体が容器の八分目くらいまでいっていた。甘い蜜のような匂いが立ち上り、雪の鼻をくすぐる。
この実の匂いだろうか。注意して嗅いでみると、雨上がりの木立のような匂いもした。中が暗くてどんな色をしているのかは分からなかったが、時々外の光に反射して覗き込む雪の顔を映した。
少年はもう一度中を覗くと、今度は中の液体を木製のお椀に流し込んだ。一つでは入りきらなかったので、二つに分けて入れた。
驚いたことに、その液体には色がなかった。まるで水あめみたいだと雪は思った。透明の液体に混じって小さな白い粒がいくつもあった。
「君も種を取るのを手伝ってくれ。量が多いから一人じゃ時間が掛かるんだ」
少年はそう言って器の一つを雪のほうへ差し出した。待っているだけというのも暇なので、雪は快く承諾した。
「スプーンはこれを使って。取り出した種はここに置いてくれ」
少年は持ち手の細長い銀のスプーンと大きなふきの葉をよこした。
器を手前に持ってくると、さっきよりも強い匂いが鼻を突いた。
「すごい匂いがするけど、これってこの実の果汁なの?」
「そうだよ。果肉をくり抜いて搾り出した果汁を何日も日に当てておくんだけど、実の中に入れておくと匂いが強くなるんだ。甘みも出るしね」少年は作業をしながら答えた。
「へえ。知らなかった。他の果物でもできるのかな?」雪も種を取り出しながら聞いた。
「それはどうだろう。実際、僕も試したのはこれが初めてなんだ。もしかしたらこの実だけかもしれない」
「ふうん。そういえば、こんな実今まで見たことないんだけど、なんていう名前?」
「さあ、僕も知らないんだ。薄青が言うには、この世界にたった一つしかないから名前なんか必要ないんだってさ」
「たった一つ? これ一つしかないの?」
「いや、言い方を間違えたな。実はたくさんあるけど、それをつける木がひとつしかないってことだよ」
「そうなんだ。それでも一本しか木がないなんて、枯れてしまったらどうするんだい?」
「そりゃあ、それでお終いだろう」
あまりにもあっさりそう言う少年に、雪は呆気に取られた。
「それじゃあ、もう実が取れなくなってしまうんじゃないか?」
「うん。でも、どうせ木が枯れる頃には僕もなくなってしまっているだろうし、もともとこの実は取っちゃいけないことになってるから別に気にならないよ。あ、実を取ってきたことは誰にも言うなよ」
少年は人差し指を唇の前に立てて、秘密の合図を送った。
「う、うん、分かった」
雪は一応頷いたものの、少年の考えに少々ついていけなかった。
「挿し木くらいすればいいのに」
「挿し木ってなんだい?」
「知らないの? 木の枝を切り取って、それを地面に突き立てるんだ。そうすると、それがまた新しい木になるんだよ」
これも兄が教えてくれた知識だった。雪はそのことを思い出して、また憂鬱になった。
「へえ、そうなんだ。知らなかったな。けど、どうしてわざわざ自分達で増やそうとするんだ? 木なんて放っておいても自分から生えてくるだろう」
「普通はそうだけど、数が少ない木を増やすにはいい方法なんだって」
「数が少ないと増やさなくちゃいけないのか? どうして?」
「だって、放っておいたら皆枯れてなくなってしまうだろう? そうしたら、その木から取っていた実や材木がもう使えなくなってしまうじゃないか」
「だったら、他の木を使えばいいじゃないか。どうしてわざわざ増やしてまでその木にこだわるんだい? 物がいつかなくなくってしまうのは普通だろう」
「それはそうだけど、木が枯れてしまったら、もうその木にできる実は食べられなくなってしまうだろう。材木だって木によって堅さや色が違うから、なくなってしまったらその堅さや色の木が取れなくなるし……」
雪はだんだんこの話題について議論するのが嫌になってきた。
「ふうん。やっぱり人間って変わってるね」
少年も雪と同じ気持ちだったのか、それ以上何も言ってこなかった。
「よし。これで全部取った」
しばらく黙々と作業を続けていた二人だったが、不意に少年が声を上げた。
ふきの葉にはもう結構な種が積まれていた。
「そっちは? できた?」
少年は雪のお椀を覗き込んだ。お椀の中にはまだ少し種が残っていた。
「あと少しで終わるよ」
「じゃあ、先にこっちを漉しているから、終ったら言って」
「漉すの? ゴミが入っているようには見えないけど」
雪はスプーンで器の中をかき混ぜた。
「まだ目に見えない滓が残っているんだよ」
少年はそう言うと、二つある大きな銀色のコップの一つを手に取った。そのコップには底がついていなかった。粗い切り口が見えたので、少年が自分で底を切ったのだろうと雪は思った。
少年はピンと張った布で底を覆い、さらに布が緩まないよう注意しながら、蔦葛の茎を何重にも巻いて布とコップを固定し、最後にもう一つのコップにそれを入れた。二つのコップは同じ大きさなので、最初の少ししか入らなかった。
「これでよし」
簡易漉し機を完成させると、少年はさっそく果汁をコップに流し込んだ。
雪も種を全て取り終えると、漉し機に流し入れた。
「この次はどうするの?」
雪は果汁が漉し終えるのを待ちながら、少年に尋ねた。
「これが終ったら、後は時間に流すだけだよ。飲む前にやることがあるけど、それはそのとき教えるよ」
「時間っていつ?」
「いつ? 時間に決まった時はないだろう。あれは常に流れているんだから」
雪はまた意味がよく分からなくなってきた。またさっきのように話が進まなくなることを懸念して、今度は口をつぐむことにした。
果汁が漉し終わると、少年は大きな砂時計の入れ物を手に取り、ひょうたん型の硝子の端に取り付けられた木の蓋を片方だけはずして中に果汁を注ぎこんだ。
「果汁が全部下に落ちれば完成だ」
少年は蓋を閉めると、果汁が入っているほうを上にしてテーブルに立てた。
「これが時間に流すってこと?」
「そうだよ。あ、見てみなよ! 流れたやつは色が変わってる」
二人は砂時計を見つめた。確かに、透明だった液体が下に落ちた部分だけ黄金色になっている。
「どういう仕組みになっているんだろう?」雪はまじまじと液体の色が変わっていく様を見つめた。
「だから、時間に流しているからだって」少年は雪の反応をおもしろがるようにころころと笑った。
雪にはやっぱり意味がよく分からなかった。
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