第9話 「さいごの原稿(前)」
『雪さん、ご無沙汰しています。
突然なのですが、今度の日曜日、一緒に食事いかがですか。久しぶりにお話したいです』
『もちろん、ぜひご一緒させてちょうだい。私もちょうど、貴女に会いたくなったところだから』
『ありがとうございます。では日曜の7時、いつものお店でお待ちしています』
雪さんにLIMEをするのも、久しぶりだった。
時々連絡をとってはいたが、「元気にしてる?」「新作の展開良かったね」「温泉にいってきたよ」なんて言う些細なもので、一緒に食事するのも半年ぶりだ。
長い1年だった。
色んなものが変わった。
雪さんが言葉を書くのをやめた時、きっと私の泉は枯れてしまった。書きたいものは上手く言葉にならなくて、もどかしくて、どうしていいか分からなくなった。
勉強になると言われ、半ば強制的されるようにたくさんの作家の本を読んだ。
でも、誰の言葉も響かなかった。
美しいとは思う。耳触りがよくて、滑らかに心地いい。
それだけじゃだめなんだと、気がついた。
考えて、考えて考えて考えて、それでも消化しきれずに心に棘を残す。雪さんの言葉には、そんな残酷さがある。
それは次々と人生に与えられる宿題のようで、ただの優しい言葉よりも愛おしく感じた。
冷めたミルクティーが机の上で静かに私を見つめている。
この視線が、嫌いだ。
何も知らないのに、何もかもを知っているみたいに見透かす視線。この1年、ずっと私が曝されてきたもの。
雪さん、私は。
私でいることがこんなに難しいなんて、思いもしませんでした。
*・.。*゚・*:.。❁
チリン、と軽やかなベルが鳴る。
「お待たせ、千景」
「いいえ、お呼び立てしてごめんなさい、雪さん。お久しぶりです」
「久しぶり。何、緊張してるの?借りてきた猫みたいに大人しくなっちゃって」
「大人になったんですよ」
「子供のままでよかったのに」
「可愛げなくなっちゃってすみません」
「千景は最初から可愛げのない子だったわ」
テンポの良い言葉の応酬。これだ。このキャッチボールがしたかった。
そっと目を閉じる。
雪さんの言葉に引き金を引かれ、塞き止められていた「伝えたいこと」が溢れようとする。喉に息が絡まって音にならない。
「あの、雪さん、私」
最初のとき、雪さんと出会った時も同じだった。きっと文字なら、この気持ちを伝えられるのに。
「無理に話そうとしなくていい。言いたいことが自然と口から零れるまで、待っててあげるから」
彼女はコーヒーに角砂糖を2つ入れた。甘いのは苦手だったはずなのに。変わったな、と思った。けれど、優しい声は変わっていない。
「ごめんなさい……」
私には、雪さんにどうしても伝えたいことがあった。そのために今日、雪さんに会いに来たのだから。
紅茶のカップを無視して、グラスを手に取る。水の冷たさと一緒に、ごちゃまぜになった感情を飲み下した。
「私、今書いている小説があるんです」
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