第6話 「過去になった人(後)」


「森澤さん、いい加減にしてもらえませんか?」



「伝達は忘れる、資料は渡せない。仕事なのにしょっちゅう手を抜く。挙句、私の恋愛小説は人気が出るから書け?」

「私は、『売れるから』なんて理由だけで書きたくないものを書けるほど、才能のある作家じゃありません」

「今回の合同誌の話は、お受けできません。貴方のような人に、背中を預けるつもりはないから」




 沈黙。

 じっと彼の言葉を待つ。



『……わかりました。この件に関しては、こちらからお断りとお詫びを伝えておきます』

『でも神代先生、覚えておいてください。貴女はもう、12年前の「天才」じゃないんです。今書かないと、書きたいものも書けなくなりますよ』



 ぶつっ、と通話が切れた。

 ため息をひとつついて顔を上げると、千景が頬を弛めてこちらを見ていた。

 あんな大声を出して。店内に他のお客がいなくてよかったと、今更冷静になって考えた。


「……見苦しいところを見せたわね」


「いいえ。雪さんも人間なんだなぁって、思いました」


 そう言って彼女は肩を震わせる。

 普段は大人びている彼女も、こうしていると年相応に見える。



「ねぇ千景。私たちには賞味期限があるの、知ってる?」


「賞味期限、ですか?」



「そう、賞味期限」

「昔は鬼才なんて謳われたものよ、私だって。でもね、作家には賞味期限があるの。その人が書いた小説にも。本そのものには期限なんてないのに、不思議でしょ?」

「長い人も短い人もいる。私はね、千景。 文豪と呼ばれる人達はみんな、他の小説家より少しだけ、賞味期限の長かった人だと思ってる」

「だからそれが切れるまで、何度も何度も味わわれ、愛される」



 ねぇ、千景。


「私たちの賞味期限は、いつまでなのかしら」




 きっと私は……。






 ショパンの夜想曲21番。


 何故か頭に流れ込んできたのは、軽やかな最期の調べだった。

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