第5話 「過去になった人(前)」
千景とやり取りを始めて何日か経った。最初はショートメールだったが、彼女の勧めでLIMEというSNSを使うようになった。
あれから変わったことといえば、次の作品に向けて千景に編集者がついたこと。
小説家と編集者は一心同体。虚実織り交ぜた小説で読者を手中に収めようとする、いわば共犯者だ。
仕事が出来るだけじゃなく、背中を預けられる信頼関係が必要になる。
将来有望な出世株に、誰をつけるだろうかと気になっていたところだった。
田沼楓。
12年前、私の共犯をしていた女。
妥当だろうな、と思うと同時に、少し安心した。
私が作家としての人生の中で、1番充実していたと感じるのが、彼女との仕事だった。
千景は私と似ている。だからきっと、と思ったのかもしれない。
「雪さん、どうかしましたか?」
随分と長いこと考え込んでいたらしい。正面で千景が心配そうな顔をしていた。
彼女と食事に出るのはあれから2回目。いつも私が無理に誘い出している。
厄介なのに懐かれたと思っていたが、懐いているのは案外私の方かもしれなかった。
「ごめんなさい、ぼーっとしてたみたい。何の話だっけ?」
「今度、文庫の合同誌が出るって話です。この間の受賞者を前面に出して、詩やら短歌やら小説やら、混ぜて1冊にするらしいですよ」
「この出版社、どこに向かってるんだか……」
「でも、今更『恋愛』をテーマに書けなんて。書き尽くされた題材に思えます」
「恋愛ねぇ……」
今回のテーマに『恋愛』が選ばれた理由はわからなくもない。誰にでも身近で書きやすく、読みやすい。確かに千景の言う通り、使い古されたネタのようにも思えるけれど、書き手の感性や書き方によって作品にも幅が出る。
あながち間違った選択とは言えないだろう。
「雪さんは……」
言いかけた千景の声を遮って、着信音が鳴る。私のスマホだ。
「ごめんなさい、森澤からみたい。ちょっと出てくるわ」
「外寒いですし、私のことは気にしないでください」
「ごめんね、ありがとう」
通話開始をタップする。
途端、音割れした男の声にスピーカーが震えた。
『神代せんせー!!』
けたたましい声の主は森澤明智《あきら》。
3年前から私を担当している編集者だが、私はこの男をあまり信用していない。こんな男と一蓮托生になるくらいなら、蓮の上からこいつを突き落とす、もしくは自ら身を投げる。それくらい私は、彼のことが好きではなかった。
「どうしたんですか、森澤さん」
「先日伝え忘れていたんですけど、今度の合同誌、神代先生にも短編を書いていただくことになったみたいなので、よろしくお願いします!」
「はぁ?」
千景の手元に置いてあった資料を手に取って数枚めくる。寄稿する作家の名前が並んでいた。
「……ある」
『あ、もしかして千景ちゃんと一緒にいて、資料手元にある感じですか?俺この前神代先生に渡さなきゃいけないの忘れてて……後でfaxで送っときますね!』
いや待て。
「どうして失敗を、そんなに得意げに話せるのか理解できない」
『ほんと申し訳ないですー。でもこの合同誌、絶対売れるんで!俺、神代先生が書いた恋愛小説って、絶対人気出ると思うんですよねー!』
電話越しの、けらけらと笑う声が耳障りで。
正面で肩をすくめる千景のことなんか気にもならなくて。
私の中で何かが、切れた。
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