第3話 「影響した人(前)」

 神代先生に指定された喫茶店は、人通りの多い駅ビル前をひとつ脇にそれたところにあった。


 私はメモを握りしめ、地下へと続く階段を見つめていた。待ち構えるのは重厚な扉。

 意を決し、足を進める。


 チリンチリン、とベルが思いの外軽やかに鳴った。



「いらっしゃいませ」


 カウンターから声が掛かる。軽く会釈をして、店内を見回した。

 静かだ。時計の針と、サイフォンの音。オレンジ色の照明がぽつぽつと灯り、壁の飾り棚にはコーヒーカップとウイスキーのボトルが並んでいる。

 無駄なものがひとつもない、そんな印象だった。



「川崎さん、こっち」


 角の席から手招きされる。

「お待たせして申し訳ないです。」


「構わないよ、そんなに待ってはいないし、そもそも本当に君が来るとも思っていなかったから」



 くすり、と彼女は肩を揺らした。


「私は貴女がっ……」


「待って」


 片手で私の言葉を制止して、彼女は店主と思しき男性に声をかけた。


「コーヒーと紅茶、どちらがいいかな?」


「……紅茶で」


「そんなに不満そうな顔をしないで、話は一杯飲みながらでもいいでしょう?」



 テーブルの上にそっとカップが2つ並んだ。


「さて、まずは受賞とデビューのお祝い。おめでとう。貴女の門出に関わることが出来て、嬉しく思うわ」


「ありがとうございます」



「それで?あのスピーチの意図を教えてちょうだい。どうして私の名前を出したりしたの?」



 やはりか、と思った。昨日感じた違和感。彼女はきっと、私が打算や何かの含みを持って、彼女の名前を口にしたと思っている。

 ただの尊敬と思慕だとは、思いもするまい。



「意図もなにも、ありません。私は神代先生のファンなんです。貴女に人生を変えてもらったから……」


「それ。それがよくわからないのよね。詳しく教えて貰える?いやならいいんだけど」



 あぁ、私はこの人が好きだ。この人の言葉が、端から端まで愛おしい。


「お話します、させてください。長くなりますが構いませんか?」


「いいわ、聞かせてちょうだい」



 貴女の言葉だけが、私の心を震わせる。

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