第22話


 



 あれから海原は図書室に顔を出し、それから体育館に足を運び、会わないといけない人物への顔見せを済ました。


 基特高校生徒会図書指導、子守 希美


[宗教法人 光の腕環所属] 避難者代表 一色 卯椀




 彼女らとのやりとりを終えた海原はのんびりとした足取りで一面人工芝のグランドを歩いていた。



 太陽の色はいつのまにか濃いオレンジ色に変わりつつある。海原の影法師が長くグランドに伸びている。



 海原は伸びをしながら、始めに足を運んだ保健室へと再び向かっていた。



「そろそろ起きたかな」



 向かう理由は1つ。海原の相棒、雪代長音の容態だった。












「ノックでーす。雪代さんいますかー」



 こんこんと間延びした声を出しながら海原は保健室のドアをたたいた。


 すぐに反応が返ってくる。


「あ! ダメです、海原さん。今は入ったらいけません」



 驚いた小動物のような声、これは春野の声だ。


「あ、まじ? 取り込み中だったか?」



「ごめんなさい、今雪代さんが身体拭いたり、お着替え中なので待って頂ければーー ってダメです、雪代さん!海原さんでもダメです! 男性は皆悪い狼なんだってお父さんが言っていました!」


「お、おー。じゃあ少し時間潰してくるわ。また少ししたら来ます」



「あ、はい、そうして頂けたら…… だからお姉さん! ダメです、そんな妖艶な笑いでは一姫は誤魔化されません! アッ、ダメっ」



「……ごゆっくり」


 ドアの向こうからやけに色っぽい春野の声が一瞬聴こえた。海原はこれ以上聞こえてはいけないものが聞こえる前にドアから速やかに離れて行った。





 さて、どうしたものか。



 海原は廊下の窓から外を眺める。辺りはオレンジ色に染まる黄昏時。時間の流れは早い。雪代と探索に出かけたのがつい先程のことのように思える。



 海原は保健室の面している廊下をそのまま行き止まりのところまで進み続けた。


 外に出る通用口のドアを開くと、そこには建物の外にかかっている非常階段が螺旋状に備わっている。



「時間潰すか……」



 身体を拭くと言っていたためにおそらく時間はかなりかかるだろう。身体のケアにかかる時間についての感覚は男と女でだいぶ変わる。



 ちょっとというのは海原にとっては数分の事だが、女性陣にとっては数十分の事なのだろう。その事を海原はこの1ヶ月で学習していた。



 ペチ、ぺち、ぺち。


 校内の調度品のような階段とは違い非常階段の作りは無骨なコンクリ製だ。海原の底の潰れたランニングシューズの靴底が間抜けな音を立てる。



 右手に鉄パイプを持ったまま、高校の非常階段を上るTシャツ短パンの男という絵面は中々に凶悪だ。




 もし、世界が平和なままこのようなことをすればすぐに通報されることだろう。


 海原は世界が平和でない事をいい事に呑気に鼻歌を歌いながら非常階段を一番上まで登り切った。



「かーごめかーごめっと」



 重たい金属のドア。ドアノブを掴みそのまま押す。


 ギギギギギと、重たく擦れるような音を奏でながらドアが開いた。



 まだここは屋上ではない。


 ドアを開くと埃臭い何か物置のような部屋が広がる。


 カーテンは締め切られ、わずかにオレンジ色の光が差すのみ。まるでここだけ時間が止まっているような静寂さ。


 布が被せられたあれは、鏡だろうか。他にも何に使うかわからない小道具みたいなものがいくつか。


 以前同じ探索チームにしてこの学校の卒業生である久次良に教えてもらったのだがこの部屋は昔から使われておらずこのように乱雑に色々なものが置かれているのだという。



 文化祭や演劇祭の時だけ誰かがものを置いていくように使われており、4階の一番隅っこにあるために人が入ることはあまりないそうだ。




「妙にここ、落ち着くんだよなあ」


 埃臭ささえなければここで時間を潰してもいいのだがと海原はぼんやりと考えた。



「ま、風にあたりに行きますか」



 海原はともすれば気味の悪いほどに静かすぎる部屋を進む。その顔色はいささかの緊張もない。



 この部屋を出れば4階の廊下に出ることが出来る。あとは屋上に向かうだけだ。



 ガスっ


「アダッ」


 足に何かがぶつかった。薄暗い為によく見えなかったのだろう。足元にあるダンボール箱に海原は気づかなかった。


「あー、ごめん。見えなかった」


 しゃがみながら海原はダンボールに謝る。蹴られて位置がずれたダンボールを元の位置に戻そうとした。


「ん? 」


 ダンボールには張り紙が貼ってある。


 埃を被ってはいるが字の判別は余裕だ。



 '基特高校 文芸部 読書感想文 2018年'


「ほう、ほう、ほう」



 海原はその張り紙に興味を惹かれた。社会人になってからめっきりその機会は失われたが元々読書は好きなほうの人間だ。




 海原にとって他人の読書感想文の束は、時間潰しの為に興味を引くものとしては十分なものだった。



 首を左右に振り、海原は周囲を確認する。誰にも見られていないだろうに妙に後ろめたい。



 しかしダンボールに伸びた手を引っ込める事はなかった。後ろめたさよりも好奇心が優っていた。


「ご無礼をば……」


 本当に無礼な事をしながら海原が呟く。好奇心は猫を殺し、時には人すら殺し得る事に海原は気づかなかった。



 べり。


 ダンボールを閉じているガムテープを剥がす。


「へっくしゅ!」


 埃が飛び散る。それは海原の鼻をくすぐりくしゃみを呼ぶ。


「あーくそ、やりやがったな」



 頭の悪いつぶやき。海原は手で口や鼻を拭う。



 べり、べりり。そのままダンボールからガムテープを引っぺがす。


 ばつん。


 弾けるような音を立ててダンボールが口を開く。炙られた貝のように間抜けにぽっかりと開いたそこに、いくつものファイルが入れてあった。



「おー、なになに」


 海原がためらいもなくそのダンボールを漁り始める。


 1つ目のファイルの表紙を確認。


 '2年3組 ツッキー 感想文'


 掠れたマーカーでクラスとニックネームのようなものが書かれてある。



 さてツッキー、失礼するぜ、と心の中で海原がつぶやきながらファイルを広げる。原稿用紙が閉じられているそれはまさしく感想文だ。



 '火花を読んで' '蹴りたい背中について'



 なるほど、ツッキーはなかなか話題になってもんが好きなのかと海原は頷く。



 学力の高い基特高校の生徒だけあって、なかなかこれが読ませる感想文になっている。海原はファイルをめくりながら次々と感想文に目を通していく。



「ほー、なるほど、なるほど」


 そんな見方もあるのか半ば感心しながら海原はファイルを閉じた。



 10枚ほどあったそれをあっという間に読み終えた海原はまた次のファイルを漁り始める。



「うわ、これ重っ」


 面白そうなファイルを漁り続けているとダンボールの底の方に異常に分厚いファイルをみつける。



 持ち上げて見るとその分厚さに思わず息を飲む。



 厚さだけで言えば辞典もかくやと言わんばかりのその枚数の多さ。


「すげえ」


 海原はファイルの表紙を確認する。さてこの大書漢は誰だ?



 '基特高校 3年11組 ウッディ'


「想像以上にポップなニックネームだな、おい」



 少し噴き出しそうになりながら海原はファイルを開く。こんな文量の感想文、そこには強い熱意が必要だ。さぞ変わり者が書いたのだろう。



 ペラリ、ペラリと海原は黙り込んでファイルをめくる。カーテンの隙間から滲み出るように室内に夕焼け色が広がる。



 昼でもない、夜でもない時間帯に海原は1人、忘れ去られた部屋の中で1人、どこかの誰かが綴った物語の感想を読み進める。



「……おお。すげ」


 海原は呻くように呟いた。その枚数の多さや、異様に綺麗な字に目を取られたのもあるが海原が呻いたのは別の部分だ。



 'ドグラ・マグラ' '変身' '午後の曳航' '人間失格' 'デミアン' '坑夫' '山月記' 'ロミオとジュリエット' '悪の教典' '夏への扉'



 などなど。どれもこれも一筋縄で終わらない話の感想ばかり。


「ウッディ、かなりパンクな野郎だなこりゃ」


 海原の額に一筋汗が伝う。この部屋にすら雪代継音の力は伝わる。ならばこの汗は暑さのせいではなかった。



「こえー」


 その文章に込められたウッディなる人物の熱情が薄く分厚い原稿用紙を通して海原に、染み込む。


 ファイルを持つ手に、文字を見る目に、文章を理解する脳に。


 この人間の悲劇に対する執着がまるで毒虫の毒のように侵入して来るような感覚。



 侵されそうになる酷い感覚。



「ウッディ……」



 海原は文章にのめり込んで行く。夕焼けがどんどん遠くなる。部屋のオレンジはより一層濃くなっていき、それはどこか血のような色にも似ている。



 海原の瞼が少しの間大きく開いた。もう何枚目になるかも分からないその感想文の末節に書かれた文章が目に焼けつく。




 'もし、社会が崩壊しルールが消えたのならば私もこのような悲劇に参加してみたい、読者ではなく、登場人物として悲劇を、そしてその中で暗く輝く人間の物語を間近で見てみたい'







 'あゝ、いっそ世界が終わったのなら'







 そこで感想文は終わっていた。



 ペラリと原稿用紙をめくる音が止まる。海原は大きく息を吸って、それからファイルを閉じた。埃だらけの床に腰をべったらりと落とし、息を吐く。



「ウッディ、本当に世界が終わっちまったろうが。お前は望んだものが見れたのかよ」



 その声は誰にも届く事はない。赤く染まる部屋の中に海原の声は輪郭を失って行く。



 しばらく座り込んだ後、海原は分厚いファイルを元のダンボールにしまい込む。剥がしたガムテープを無理矢理押さえつけ、ある程度閉まっている事を確認した。



「……行くか」



 埃まみれの腰を上げて、海原は教室を後にする。



 ダンボール箱の表面にまたわずかに埃が舞っていた。

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