第23話 シエラ1


 



['思考録音開始' 録音データは全て、シエラ1よりマルスの記憶領域へ移譲。録音データの開示条件および破棄条件の全ての権限をマルスへ移譲]





 あ、あっー。これでいいのかしら。何度目かのはずだけど未だに慣れないわね。


 もう、そろそろ意識が完璧に消えると思う、あたしの事だもの。あたしが一番よく分かってる。


 一日のうちにこうして意識がある時間がどんどん短くなって来てる。



 ついさっきだって、気付けばあたしは守るべき民間人を襲いかけていた……



 あたしが、あたしじゃなくなる前に、記録を残そうと思う。



 記録、いいえただの愚痴や懺悔に近いものかも知れない。






 まあいいわ、思考録音開始。





 あたしは廃虚のヒロシマを歩き続けていた。




 ちょうど今から80年前の夏にあたし達の国が焼き払ったこの街は再び、人の生きれぬ廃棄と成り果てていた。



 ドアが歪み、崩れかけの住宅や倒れた電信柱、それから大きくひび割れたアスファルトの道路。



 ああホント最低、酷い有様ね。




 まあ、今回はヒロシマだけじゃない。日本中、いやステイツだって同じような有様なのだろう。



 それとも全世界かな? どうなんだろうか。


 人間の代わりに化け物達が我が物顔でのし歩くイかれた世界。



 それが今、あたしが生きる世界だ。




 揺れる視界、2つの足から返ってくる感覚からまだ足が二本くっついているのがわかる。



 呼吸フィルター越しに息を吸う。


 奈落での活動を前提とした装備の1つ、集光性のアイマスクを通した視界は真っ赤に染まり、網膜とリンクしたIFF(敵味方識別装置)のみが時たま反応する。


 野戦服は泥に汚れ、溶かされあたしの身体と溶け繋がっている。


 まるで雨にしどしどに濡れ溶けかけているレインコートのようだ。




 操られたマリオネットのようにあたしの身体は決められた作戦行動を遂行する。肉を砕き、青い血を啜る。



 そこにあたしの意思はない。




 あたしの身体はとうにその限界を超えてしまっていた。



 先程遭遇した民間人は無事だったのかしら。彼らに安全な居住区があるのを祈るばかり。



 脳と連結、いや一心同体になったはずの相棒は眠り続けたまま。ただ、その機能だけがあたしに戦う力を与える。



 オペレーションはまだ続いている。プランB.メインオペレーションが失敗した場合の予備プラン。


 あたしは、あたし達は失敗した。


 敗北した。


 いやすでに始まる前から決着はついていた。あたし達がしようとしていた事は残りわずかなロスタイムを使っての悪足掻きにしか過ぎない賭け。



 でも、それも無駄だったようだ。




 世界は、呆気なく終わってしまった。




 チームのみんなはもういない。皆、合衆国の、いや世界のためにその命を捧げ、燃え尽きた。



 あたしもいずれそうなる。この身体は奈落の泥に汚れ、魂は侵された。あたしは今や人と、の中間に位置する歪な生命体になった。




 あたしは世界を救う事ができなかった。


 ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。ママ、パパ、おばあちゃん、お姉ちゃん。



 みんな、ごめん。あたし駄目だった。もういない。誰もいない。



 それでも、あたしは生き残った。


 あの奈落の底から帰って来てしまった。あたしを知る人は皆死んでしまったのに、あたしだけが化け物に成り果ててまで生き残っている。




 なんて、醜く浅ましい……



 あたしは廃虚を歩く。少しでも奴らを駆除しなければならない。奴らの根絶がもう不可能だとしても。


 奈落の深層への道は閉ざされもう誰も向かう事は出来ない。


 表への侵食は止まらない。奈落の底から弱肉強食の恐ろしい世界があたし達の世界を侵食していく。


 人は化け物の支配する荒野を行かねばならない。

 こんな未来誰も望んでいなかった。あたしはあたし達は……


 人間はどこで道を間違えたのだろうか。


 人間は絶望と諦観の中で死んでいく。戦争でも飢餓でも疫病でもましてや、宇宙人の侵略でもなく。



 よく分からない別の世界から這い出してきた連中に敗北したのだ。




 あたし達の戦いは無意味だった。ただいたずらに人命を消費しただけ。



 ママやパパに会いたかった。


 遠ざかる2人の背中は今でも覚えている。泣きじゃくるあたしの隣で、お姉ちゃんだけが唇を噛み締めながらその背中をみつめていたのを覚えている。



 お姉ちゃんみたいになりたかった。



 そこにいるだけで周囲の人々を動かしていく、まるで光のような存在。


 こんな暗く何処に行けばいいか分からない世界でも、あの人さえいれば夜空に輝く一等星のように進むべき道を示してくれたかも知れない。


 でもお姉ちゃんも帰ってこなかった。奈落は星の光さえも呑み込んでしまった。



 あたしだけだ。



 あたしだけが帰ってきた。でもそれは別にあたしがお姉ちゃんよりも優れていたわけではない。



 今は奈落の汚染から逃れる為に眠りについているあたしの相棒のおかげだ。



 この身体と一体化した相棒はまさに人類の遺産とも言うべき力を秘めている。



 あたしはこれを守りぬかなければならない。これはチームのみんながあたしに託したものだ。



 去ってしまった者達が残したモノ。次はあたしの番。


 あたしがこれを相応しい誰かに託す必要がある。




 ぼとり。


 歩行の衝撃と、先の戦闘のダメージかしら。



 右腕が落ちた。みずみずしい泥が垂れ落ちるようにあたしの右腕がまろび落ちた。



 まあ、別にいいわ。すぐに生えてくるもの。



 そう思った途端に、右腕の断面からぐちゅる、ぐちゅると口内で唾をかき混ぜているかのような耳障りな水音が鳴る。



 ふう、とため息を漏らしながらあたしは自らの腕を眺める。



 断面が粘土をこねるかのように蠢き次第に肉が盛り上がって行く。



 腕にわずかな感覚が広がる。かゆみにも似たそれにじぃと耐えた。



 ぐち、ぐちゃ、ぐちゅちゅ。



 腕が生えた。黒い泥にまみれたそれは真っ黒に染まっているという部分以外はごく普通の人間の腕の形をしている。



 もう、驚くのにも疲れた。皮肉なものね。合衆国が奈落を利用して完成させようとしていた事自体は成功している。



 まあ、その合衆国は滅びてしまったワケだけど。




 '思考録音、容量残り僅か'



 いけない、無駄話が過ぎたみたい。こういうのは感傷って言うのかしら。



 あたしは歩き続ける。なんのために? この終わった世界であたしは何がしたい?



 いいえ、確認するまでもない。決まっている。


 夕焼けが遠い。世界が終わってもトワイライトの色は同じみたい。何故だかあたしにはそれが救いのように思えた。



 そう、救い。


 人には救いがいる。救いようのない物語は嫌いだ。どんな微かな光であっても人にはそれが必要だ。


 あたし達は失敗した。そして世界は終わった。



 でも。まだ人間は生き残っている。






 今日はいい日よ。


 あたしは今日、救いを見た。



 それは吹けば飛ぶような微かなものなのだろう。なんら特別ではない。


 だがそれでもそれはたしかに救いであり、人の光だった。



 あの時、あの男は確かにあたしの前に立ちはだかった。背後の仲間をあの男は庇った。



 他人のために、あの男は我を投げ打った。



 もしあの時、あたしが自分を取り戻す事が出来なかったら?


 マルスがあたしの呼びかけに反応しなかったら?



 あの男は死んでいたはずだ。この変異した身体は容易に人体を裂き、血を飛び散らせていた。


 あの男はきっと、それを承知で無意識に自分を捨てたのだ。



 それを善性と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。


 その光はあの時見たものと同じ。


 遠くなっていくパパもママの背中から、隣で唇を噛むお姉ちゃんから。


 そして、あの時奈落の底を目指して帰ることの出来ない片道切符の任務へ向かうあたし達に備わっていたもの。


 人が人の為に為すべき事を為す。その時にのみ宿る眩しいモノ。


 善性の光。


 もし世の中に悪いモノと善きモノしかないのだとしたら、アレはきっと善きモノだ。



 善き人。それはまだ生き残っている。




 ああ、みんな。


 あたし達は失敗した。世界は終わった。


 でもね。



 まだ全てが失われた訳じゃあないみたい。


 あなた達が遺したものをあたしは次に繋いでいく。



 だから見ていて。



 あたしにはまだやるべき事が残っている。あなた達の死を無駄にはしない。


 あたしはあたしのベストを、最善を尽くしてやる。




 敗北したあたしは、廃墟を行く。善き人を探す為に。


 シエラ 1


 思考録音終了。

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