第21話


 


「オッサン言うな。俺はまだ26だ」



 海原は奥に座すその高校生に指をさしながら口を尖らせる。



 こいつへの対応はこれが正解だ。あくまで平等に対等に、何をされても動揺を見せるな。



 自分に言い聞かせながら海原はウエイトルームへ足を進める。



「俺らから見りゃあよお、26はオッサンだっつの。アラサーだろうが」



 しししと、田井中が笑う。異様とも言えるほどにその髪色が似合っているのは一重にあの顔が原因だろう。


 日本人離れした鼻の高さに、完璧にシンメトリーになっている大きな瞳。眉は完璧な角度にカットされ、目と近い。


 身長は海原と大差ないが腰の位置が幾分と違う。海原の身体が無骨な槌だとするのなら、田井中の身体はしなやかな鉄で造られた剣だ。


 それでいてその繊細な髪質や色素の薄い肌はどこか女性的な色香すら漂わせている。



 端正さと冷酷さは同居する、それらを併せ持つ人間は危険さと美しさを兼ね備える稀有な人間となり得る。


 田井中 誠はその稀有な人間の1人だった。



「アラサー、た、たしかに、そうか、俺はもうアラサーなのか……」



 海原はおどけて近くのマットに倒れこんだ。もちろんこれもわざとだ。田井中と接する時は余裕を決して崩してはならない。




「んだよ、気付いてなかったのか? まあ安心しろ。アンタは、アラサーだろうがなんだろうがそれなり使える大人なんだからよお」



 それはおそらく田井中という人間からすれば最大限の賛辞なのだろうことを海原は理解していた。



「おお、褒め言葉として受け取るわ。ウチのボスと同じ事言うんだな」



 赤いマットに寝転んだまま海原が呟く。



「ああ? あの冷血女も同じ事言うのかよ。チっ、気分悪いぜ」



「なんでそんなに仲悪いんだ?」



「ああ? オッサンに関係あんのかよ」


 田井中が声を僅かに荒げる。田井中 誠がどんな人間か知っている人物なら竦み上がりそうなその声色にも海原は顔色を変えない。



「聞いたらダメなのか?」



「……言いたくねえ」



「そうか、ならええわ。さてと」



 海原が立ち上がり、田井中に近づく。


「竹田から聞いた、俺に用があるんだってな」


 海原は田井中の1つ隣のベンチに腰をかける。田井中がさっきまで使っていたのであろうダンベルを拾い上げ、カールを始める。


「お、竹田の野郎きちんと、御使い出来たんだな。感心、感心」


 田井中がニヤリと笑う。


「竹田君はきちんとしてるさ。ていうか田井中に一個聞いてみたかったんだが」



「あ? なんだよ」



「竹田君は、あれいつ野球帽子を脱いでるんだ? あの子まさかずっと被ってるんじゃあ……」


「……待て、オッサン。あんた竹田とどこで会ったんだ?」



「シャワールーム……」


「マジか、アイツ」



 しばしの間2人は顔を見合わせる。


 少しの沈黙、そして



「ブハッ」


 田井中が噴き出した。整った顔がくしゃりと笑顔になる。


 開いた唇の隙間から肉食獣のような尖った犬歯が覗く。なぜか海原はそれを色っぽいと感じた。


「ハハハハハっ! アイツ、アホだろ! 寝てる時も帽子被ってたけどよオ、シャワーの時はやべえだろ! 」


「いや、寝てる時も被ってんのかよ。それはやめさせてやれよ。禿げるぞ」


 海原が笑い潰れる田井中にぼそりと呟く。


「クハっ! たしかにな、今度言っておくぜ。アイツやっぱアホだなー」


 田井中が目の端に涙を浮かべながら声を上げる。こんな風に笑う彼を見ていると年相応の少しヤンチャな高校生にしか見えない。



「はー、笑ったぜ。オッサンやっぱあんたが絡むとなにかと面白いなあ、おい」



「いやこの件に関しては竹田君ただ1人の実力じゃね?」



 今の一言は海原の素からでた言葉だった。海原はその言葉を放った途端に、田井中が此方を見つめている事に気づいた。



 やっぱ違うなと小さく田井中が呟いたのを海原は聞き逃さない。しかしそれを聞き返す事はしなかった。



「まあ竹田の野郎に笑かしてもらったところでよ、本題に移ろうぜ」



「ああ、聞かせてくれ」


 田井中がその長い人差し指をピンと立てる。海原はカールを辞めて、ダンベルを慎重に置いた。




「例の東雲の捜索の件だ。うちのチームの奴が大体の行方不明場所を割り出した」


 くわり、まぶたを大きく海原が開く。それを見て田井中が唇を吊り上げた。



「へえ、オッサン。あんた驚くとそんな顔するんだな。初めて見たよ」



「そりゃ驚くさ。つい昨日の話ではそれが一番の障害だったろ? 中区の中心市街地での大規模探索つう目的のせいで結局どこで、みんなが消えたのかがわからなかったはずだ」



 海原は田井中を見つめる。一瞬、僅かであるが田井中の喉が嚥下したような気がした。


「それがどうして今、わかったんだ?」



 海原が田井中を見つめる。


「簡単なことだ。昨日またウチのチームの奴が1人、力を扱えるようになった」



 田井中は足元に置かれたダンベルを持ち上げて手のひらで弄びながらそう、告げた。



「力だと?」



「そうだ、俺や竹田ついでに冷血女が扱うあの超能力みてえなのと同じ奴だ」



 力。この基特高校を終わった世界の中で共同体として維持している超常現象。


 それを扱える人間がまた増えたと目の前の少年は語る。



「その力ってのは?」



「あー、悪りぃがそれは企業秘密って奴だ。いや、個人情報か? チームの人間じゃねえアンタにはまだ、教えられねえな」



 田井中が笑う。嗜虐心からとも見てるその笑みは見ていると腹が底冷えしてくるような感覚を覚える。



「コンプライアンスがしっかりしていて感心するよ」


「アンタがウチに入ればその限りじゃあねえけどな。とにかくそいつの力は足取りが掴めない行方不明の連中が最後に消えた場所を突き止めた」



「その場所は?」



「中区の地下街だ。奴の力で追跡出来たのはそこまで。だがかなり範囲は絞り込めたぜ。この程度の範囲なら俺たち警備チームと残ったアンタ達探索チームの人数でも十分だ」



 田井中がダンベルを抱えて指で突き始める。


「なるほど、これで足りなかったものが揃ったわけだ」



「いいや、オッサン。まだ足りねえ。あと1つ、あと1つ担保が欲しい。確実な情報がまだいる。もう、俺たちに失敗は許されえねえんだからなあ」



 ダンベルを手でいじりながら田井中が言う。形の良い眉が僅かに下がっていた。



「……なんでも避難者と揉めたそうだな」



「あ? もう知ってんのか? アンタもなかなか耳がはえーよなぁ」



 しししと田井中が笑う、朗らかな表情だがそれを見た海原は僅かに呼吸が乱れた。



「悪いな」


「なんのことだ、オッサン。俺はてっきりアンタには責められると思ってたんだが。追放はやりすぎだーなんてよお」



「責めるわけないだろ。そんな事出来る訳がない」



「ふん、アンタやっぱ変わってんなあ。まあ察しの通り、俺たちがこれ以上ミスると避難者をもう抑える事が出来なくなる。その先に待つのはこの共同生活の破綻だ」



 完璧な対照に整った田井中の瞳が海原を見つめた。




「俺らに、東雲は必要だ」



 この僅かな付き合いでも田井中のプライドの高さを海原はよく理解していた。



 人に頼らず、弱味を見せない。そんな田井中ですらあの傑物は欠かせないと理解しているらしい。



「……俺に出来る事はするよ、田井中。さっきうちのボスにも伝えてきたところだしな」



「おお? あの冷血女は確かアンタが来るのは反対してなかったか? あの女を説得するのは骨折りだったろ」



「ああ、ぶっちゃけ説得は完璧に出来てねえ。一方的に行くわって伝えただけだからな」



「オッサン、あんた、それ大人としてどうよ」



「大人は子供が思ってるよりいい加減なんだよ。情けない事にな」




 海原が肩をすくめる。


 田井中はそんな海原を黙って見つめてそれから口を開いた。




「なあ、おっさん。あんたやっぱ俺の下につけよ。今より確実に良い思いをさせてやるぜ?」



 海原を指差しながら田井中が言い放つ。


 海原はダンベルを握りしめ、腕を曲げたり、伸ばしたりを続けていた。



「今回の探索に同行とかの話じゃなくて、警備チームへ来いって事か?」



 海原は筋トレを続けながら田井中を見た。

 第3ボタンまで開けた白シャツ、胸元のシルバーアクセサリーが光る。


「そうだ。あんたは使える。体育館に詰め込んでるあの無能共数十人よりあんたの方が重要だ」


 海原は田井中の言葉に対して特に何も感じない。


 口は悪いが言っている事には同意だ。



「無能……ね」



「そう、無能だ。無駄飯喰らいって言葉ぁ。ありゃ真実だな。まあ、中にはビビりなだけでマシなやつもいるけどよ」



 田井中が弄っていたダンベルをひょいと持ち上げ、海原と同じようにカールを始める。海原よりも幾分か細い腕に、血管が浮き出た。



「そうもいかないだろ。ああいう連中がいるからこそ、君達がいわゆる特別な存在として扱われるんだ。無能も使いようだと俺は思うけどな」



 海原が田井中から目を逸らして呟く。田井中がニヤリと笑う。


 それは平時の世界では、決してこどもが大人に向けるような嗤いではなかった。



「そうそれ。あんたのそれだ。なあ、おっさん」


 田井中の問いかけに、海原が目線を向けた。



 ジャッキ。


 海原の目、眼前に槍のようなものが伸びていた。それはあと数十センチ伸びれば眼球ごと頭蓋を貫くであろう程に近い。



 その尖った槍のようなものは、田井中が持つダンベルから伸びていた。見れば先程まで彼が持ち上げていたダンベルは歪に歪み形を替えていた。



 溶けかけの蝋を途中で固まらせたかのように、歪んだダンベルからぐねりとねじれた槍が伸びる。




 田井中がやったのだ。



「ほら、やっぱり。あんた全然びびってねえ。俺が少し、指先を動かせばあんたマジに死ぬんだぜ?」



「そうだろうな。お前がその気になればそうなるだろ」



 海原は、眼前に迫った槍の切っ先から目を離さない。



「はっ、やっぱあんた面白え。あの冷血女が下に置きたがるワケだ。俺たちをそんな風に見る大人なんて、もうあんた以外にいないからな」



「そんな風?」



 眼前に自らの命を容易に奪う凶器を向けられているにもかかわらず海原は、微動だにしない。問いかけるように田井中の言葉を繰り返した。



「ああ。オトナがガキを見つめる顔だ。他の大人はよ、俺たちの事をもっと怯えた目で見るんだ。まるで、化け物でも見るような目でな」


 田井中の瞳が細められる。


「でもアンタは違う。兄貴や親父と同じ目で俺たちを見ている」


 田井中の瞳が海原の瞳に映る。


「兄貴と親父、ね」



「ああ、もう死んじまってるだろうけどな」



 海原は目の前に迫る、その尖った鉄を見つめる。


「兄貴や親父さんとは仲良かったのか?」



「今する話か? ……まあいい。それなりだ。一度本気で親父と二人掛かりでしばかれたりしたが……。まあいい兄貴だったよ。たまに飯おごってくれたりな」



 田井中が。どこか遠いところを見つめるようにめをほそめた。老人がもう戻らない日を懐かしむような遠い眼。



「おっと、 話が逸れた。まあなんだ、気が変わったらいつでも声かけろよな。女の一人や二人、あんたならあてがってやるよ」



 田井中がパチンと、指を鳴らす。途端にまるで魔法のように槍がねじれ初めて巻き戻しされたかのように元のダンベルへと戻って行った。



 海原には目の前で起きた超常現象に目を奪われ、る事はなくむしろ別の事に意識を持って行かれていた。




「え、お前らそんなにモテんの?」



「は、こんな世の中だぜ? 強い男がモテるのは当然だろうが、女ってのはその辺敏感だぜ。警備チームにいる奴は基本的に女持ちだ」



 海原が愕然とした様子で、ダンベルを床に落とした。ボインとゴム外殻が床に跳ねる。



「避難者の連中には、女子高生から大学生、後はOL、そういやあこの前、竹田の野郎は女子中学生からなんか手紙をもらってたぜ?」



「ま、マジにござるか」


「マジだ。オッサンよお、アンタ見た目はそう悪くねえんだから身だしなみ整えて少し愛想よくしたらケッコーいい線いくんじゃねえか?」



 田井中が立ち上がり、笑う。思わず釣られて笑ってしまいそうな快活な笑顔。


 おそらく田井中 誠という少年の素はこの顔なのだろうと海原は感じた。



「あ? んだよ、オッサン。俺の顔になんかついてんのか?」


 あまりにも海原がその顔を凝視したせいか、笑顔は急に怪訝な表情に変わる。



「いや、すまん。そう言えば俺も田井中に聞きたい事があったのを思い出してな」


「俺に? なんだよ?」



 海原の脳裏に、あの黒い人影。ガスマスクの化け物の異様が浮かんだ。



「風紀指導に聞いたんだが、化け物を殺す化け物に遭遇したらしいな」


「あ、ああ。あれか。一昨日ぐらいだったか、確か。流山の方で竹田と一緒に見回ってる時だな、遠目でしか見てねえけどな」



「どんな奴だったのかまで見えなかったのか?」



「あー、そうだな。黒かったのは覚えてる。人間みてえな形をしてよお、芋虫のような化け物と戦ってたぜ」



 黒い、人影。そして化け物と戦っていた。似ている。海原が出会ったあのガスマスクの化け物と特徴が似ている。




「かなり離れてたからな。竹田の野郎が早めに気づいたからすぐにその場を離れたんだ。なんでそんな事気になるんだ?」



「まあ、少しな。さっきの探索で似たような奴に会ったからな」





 海原が目を瞑りながら言葉を返す。田井中はそーかと小さく呟くと勢いよくベンチから立ち上がった。




「じゃあ、俺ぁそろそろ行くわ。忘れんなよ、出発の日は近い。またすぐに知らせる」


「ああ、こっちはこっちで準備しとく、また呼んでくれ」


 立ち上がる田井中に海原は手を振る。同じように手をぞんざいに振って田井中が返事を返した。



「あ、そうだ、オッサン」


 不意に田井中が振り返った。



「お?」



 パチリと田井中が指を鳴らす。長い指が翻った。



 ウエイトルームに太陽の光が差す。光が棒のように室内に入り込みその中で埃が舞い踊るのが見えた。



 ギチリ。海原が足元に落としていたダンベルからだ。ゴムの外殻が一瞬で溶け落ち、ダンベル自体もまるで熱に溶かされたようにその姿を崩す。


 生き物のように蠢くそれはやがて一本の棒のように姿を変えていった。


 先の尖ったダンベルサイズの鉄パイプが海原の足元に転がる。



「この前渡した奴、使ったんだろ? 新しい奴だ。今度は無くすなよ」



 その鉄パイプは、海原があのエブリバディの店内でトカゲの胸元に突き刺したものソックリだった。



「相変わらずすげえなあ」



「はっ、アンタやっぱ変わってんな。感想がソレかよ」


 田井中は愉快そうに笑ってウエイトルームから出て行った。



 部屋に1人残った海原は足元に転がる、先程まではダンベルだった鉄パイプを拾い上げた。


 黒い鉄でこしらえられたそれは鈍い輝きを放っていた。



「ビニテ、何処にしまったかな」


 ウエイトルームに差す陽の光は色濃く、部屋を照らし続ける。



 海原はしばらくの間掌に収めた鉄パイプの感触を確かめるように素振り続けた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る