第13話
「はあ、はあ、はっ、はっ!」
海原は、あれから15分以上走り続けた。意識のない雪代を抱えたまま止まる事なく、廃墟のヒロシマ市街を走り抜く。
ボロボロの民家、割れたアスファルト、打ち捨てられた車、折れた電柱。
それらの光景の中を海原は走り続けた。
「来るな、もう出てくるなよ、マジで」
幸いあれから、化け物が出没する事はなかった。
本来、街の探索において化け物と遭遇する事はそう頻繁に起きるワケではない。
この一か月、あの夜を除けば一週間に一度、遭遇するか、しないかその程度だった。
今日が異常過ぎるのだ。
日に二度、時間差もあまりなくの遭遇戦。
何かがおかしい、海原は走り続ける事以外の原因による胸の痛みを自覚していた。
「あとっ少し」
海原は廃墟の市街地を抜け、二車線道路を備える橋を渡る。
この橋を渡りきれば、もう校舎はすぐそこだ。
「はっ、はっ、はっ、はあっ」
長い有酸素運動が続く。
アドレナリンの過剰分泌による興奮は冷め始め、身体全体にだるさが鉛のように居座り始めていた。
橋を渡りきる。
大きな交差点、信号の欠けたそれが見えた。
今、脚を止めればもう走れなくなる。海原はそのまま走り続ける。
横転したトレーラーをすり抜ける。タイヤの下辺りに赤い染みがついているが目に入れない事にした。
交差点を右に、
見えた。
白いコンクリートむき出しの壁、しかし汚れているふうでなく清潔さすら感じる校舎。
上階の壁は全てガラス張りになり、陽光を受けキラリと輝く。
建物は大きく分けて二つ、それらの校舎をつなぐようにこれまたガラス張りにされた渡り廊下が二つ備わっている。
校舎の屋根には三角錐の意匠が並ぶ。ここだけ見れば現代アートを備えたデザイナーマンションに見えなくもない。
基特高校、校舎。
今の海原と雪代、二人の家でもある場所だ。
「はっ、はっ、はっ、雪代、ついたぞ、はあっ」
海原はそのまま校門の前まで走り続ける。喘ぎながら行う問いかけに答えは帰ってこない。
校門が見えた、他にも出入り口はあるのだろうが、今はここからしか出入りは出来ない。
なぜか。
校内の敷地と外部を隔てる塀、奇妙な塀だった。
高さは約、
しかもその外観は異様、4メートル部分までは校舎と同じ白いコンクリートだが、そこから上はまるでツギハギをされたかのように、真っ黒な鉄の壁と変わっている。
まるで後から無理やり増設したかのような異様。
その異様な、黒い鉄の塀が校内を囲っていた。
海原はその異様な塀の周りを走り、校門へたどりついた。
「はあ、はあ、はあはあ、はあっ、はあっ」
「オエっ」
ゆっくりと走るペースを落としていく、急に止まると逆にキツイ。
えづきながら、ゆっくり、ゆっくり。
抱える雪代の衣服に海原の汗が飛び散っていた。
悪いことをしたなと海原は、その汗を拭おうとしたが、やっぱりやめた。
後で寝ている間に身体を撫で回したとか言われそうで億劫になったのだ。
鼓動が落ち着いていく。代わりに抱きかかえた相棒の鼓動がとくり、とくり、とたしかに感じた。
校門の前へ海原がたどり着く。
二人とも生きている。
「さて、これがいっつも面倒なんだよな……」
校門の前へたどりついた海原は雪代を抱えたまま、そこに立ち尽くす。
観音開きで開くタイプの文字通りの門。白く重たいコンクリートで作られたそれは固く閉じられていた。
海原は息を整える。深くゆっくりと呼吸を続ける。肺から登る血の匂いを楽しむようにすぅーはぁーと数十秒間続ける。
よし、と海原が小さく呟く。まだ息をすると身体の中に風穴が開いたような音がするがだいぶマシになった、
「帰ったぞ! 開けてくれ!」
海原は、校門に向けて叫ぶ。側から見ればおかしな光景。何も、誰もいない、校門に向けて叫ぶ成人男性。以前の社会なら通報されてしまいそうなヘンテコな光景だ。
しかし
「はいはーい! ちょい待ちー! ご無事で何よりでーす!」
どこからともなく声が帰ってきた。ここには海原と雪代しかいない。なのに、まるで風に乗ってきたかのように、海原と雪代以外の声が響く。
天真爛漫な女性、いや女の子の明るい声。何が楽しいのだろうか、その語尾はトーンが上がっている。
「一人意識を失っている!早めに開けてくれ!」
海原はその奇妙な現象に驚くそぶりも見せず、その声に叫ぶように反応した。
「ありゃ、そりは大変! 待っててー! すぐひーちゃんに確認してくるから!」
ドタバタと人間が動くような音すら校門の前に流れてくる。
辺りにスピーカーの類は一切ない。そもそも大半の電子機器はあの夜を以って使用不可になっていた。
海原は雪代の身体をゆすりながら持ち直す。いい感じのポジションに持ち替えて体に力を入れ直す。腕が痺れてきた。
「ごめーん! お待たせ! えっとね、先に聞いておけば良かったんだけどー、キミたちだあれ?」
明るい声が再び響く。海原は小さく息を吐いた。
何度目だよ、このやり取り。態度に出ないように努めながら声を張る。
「生徒会、風紀指導の雪代 継音の探索チームだ。海原善人と雪代 長音。外出名簿にも書いてるし、ボスにも伝えた。なんなら
「あー、つぐぐんのお姉ちゃんとその彼氏さんかー! ごめん、ごめーん! いちおー確認しないといけないからさ! りーちゃん、ほらお気に入りの彼氏さんだって、早くあげたげてよー」
「彼氏さんはよしてくれ、色んな人からしばかれそうだ」
「またまたー、謙遜しちゃって。あり? りーちゃんなんで、笑ってんの?」
姿の見えぬ声が鳴り続ける。異様な現象、しかし海原はその現象自体にはなんの驚きも持たない。
もう、慣れていた。
「いたっ! りーちゃんが本でぶった! ひどーい」
「あー、おい、仲がええのは分かったからよ。ぼちぼち開けてもらえねえか?」
「おーとっと。ごめんなさーい。りーちゃん、早く開けてあげてよ、彼氏さんとつぐぐんのお姉ちゃんが待ってるよ」
声はだれかと話しているようにも聞こえる、まるでどこか別の場所で話している内容がスピーカーもなしにこの校門にまで届いているような不思議な現象。
ぎ、ぎ、ぎい。
そして、声が止んだと思うと校門がひとりでに開き始める。電力ではない、人力でもない。
「何度見てもデタラメだな」
海原がぼやきながら開いた校門をくぐる。その瞬間身体全体に押し返してくるような圧力を感じ始めた。
「う、ぐ」
一歩進む。グミで出来た絹を突き破るかのような妙な感覚。ぬるま湯に身体が浸かったかのような暖かさ。
それらを抜ける。
プチリとある一定のラインまで歩みを進めると、その奇妙な感覚は消えた。
ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ごん。
背後で重たい校門が開いた時と同じように、ひとりでに閉じた。
海原はその音を確認すると大きく、息を吐いた。
安全地帯、少なくともここまでくれば化け物は入ってこれない。
「あ、彼氏さん、無事入れたんだねー」
再びあの声が海原の耳に届く。辺りにはまだ人はいない。
「ああ、おかげさまでな。これからすぐ保健室に向かう、一人そこで寝かせてやりたい」
「あいあーい、りょーかいです! ヒメッチに伝えとくねー! あ、忘れてた、彼氏さん!」
その声の呼びかけに海原は歩き出そうとしていた歩みを止める。
「おっかえりなさーい!!」
元気な、聴いているとこちらまで活力が湧いてきそうな声が天真爛漫に叫んだ。
海原は、少し目を開き、腕に抱えた雪代を見る。
そしてその見えない声の主に届くように前を見つめる。
「ああ、ただいま」
そのまま、海原は小走りで校内を進み始める。舗装された石床の上を青いスポーツシューズの靴紐が踊った。
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