第12話
巨体が倒れる。
あんなにも力強く地面に立っていたその巨体は呆気なく頭から崩れ落ちた。
黒く変色した肉体は膨れ上がり、ボコボコと奇妙な水音を立てながら溶け落ちていく。
海原は、目を大きく開きその光景を見つめる。おぞましい光景、命が命を食い潰す生々しい光景。
目を背けるべき死の絵。
だというのに、海原はそれから目を離せない。
魅入られたかのように、身動きひとつせずにじっと立ち尽くしていた。
「すげえ……」
その思わず漏れ出た声にすら、海原善人は気付かない。
それは力への憧憬の始まり。どれだけおぞましくても恐ろしくても、海原はその化け物を下す力に、高揚していた。
「Target Defeat」
ずるりと、その倒れた化け物の死骸の上に立ち上がるのは黒い人影。
海原と人影の距離は近い。見れば見るほどその容姿は異様だ。
黒いヘルメットに黒いガスマスク。眼を覆う部分はそういう素材なのだろうか、赤く妖しい光をたたえている。
黒い濡れそぼったレインコートは足元近くまで伸びている。腕はそのレインコートに包まれているのか、見えない。
たしかに先程は腕の代わりに大きな刃があったはず。しかし今やその黒く肉厚の刃はどこにも見当たらない。
「なんなんだ、お前」
海原の呟くような問いかけ、黒い人影は微動だにせず立ちつくしたままだ。
海原は後ずさりしそうになる脚を必死にその場に留める。今、動いたら何かが崩れるそんな予感がしていた。
「Database collation…… human Non target」
「っ!」
黒い人影が機械音声のような声で言語を放つ、そのほとんどを海原聞き取れない。
ちゃ。
黒い人影が一歩、脚を引きずるようにこちらに近付いて来た。
「……! Database collation……… !」
そしてびくりと止まると、また何らかの言葉を放つ。
海原は急に息がつまるような錯覚を覚えた。黒い人影がなんらかの意識をこちらに向けている。
「Database collation …… not human!」
ガスマスクの赤い双眼がこちらを見る。その視線はずっと固定されたまま、ある一点を見つめる。
「Database collation… Category Fairytale No3」
海原は首筋の裏がチリチリと焼けつくように痛むのを感じる。
先程からあの黒い人影の様子がおかしい。こちらを見つめるその赤いアイマスクから表情や視線は見えない。
だが、海原は閃きにも似た気付きを得る。
あの赤い双眼は
「Check the strategy target」
雪代を見つめている。
「まさかっ!!」
黒い人影が、ぐっと態勢を低く構える。肉食獣が獲物に襲い掛かる数秒前のフォーム。
とっ、黒い人影が死骸の上から舞うようにこちらへ跳ぶ。
海原はとっさに雪代を抱えたまま、人影に向けて背を向けた。幼子を守るかのように雪代をかばう。
ぐっと眼を瞑り、その時を待った。
「くそっ!」
背中にくると予想した衝撃や痛みはまだ来ない。海原はおそるおそる背後を確認する。
「A.aaa.」
黒い人影がすぐ目の前でうずくまっている。レインコートから腕をさらけ出し、頭を抑えながら呻く。
「U.uuuu aAAhaaaa NO! NO! NOOO!」
苦しんでいるようにしか海原には見えない。何が起こっている?
「Mals. to stop me!! The other, I do not want to kill!! NOooooo!!」
イヤイヤをするように黒い人影が首を左右にちぎれるのではないかとばかりに振るう。その度にべちゃりと、肉片のような、泥のような濡れそぼった何かが辺りに飛び散った。
「Run away early!!」
ガスマスクがぐわりと顔を上げ、海原に向けて叫んだ。
その濡れそぼった身体から尾のような物が生える。鞭のようにしなるそれは自らの身体にぐるぐると絡みついている。
まるで自らの動きを止めるように。
言葉は分からない。それでも海原は飛び出すように走り始めていた。
うずくまるガスマスクの脇を走り抜け海原は橋の出口へ向かう。そのまま速度を緩めずに目的地へ一直線に走り続ける。
ここにいたらまずい。それだけは分かったから。
「That's fine」
遠くなっていく海原の背中を、うずくまったままのガスマスクの双眼が見つめる。
今にも弾けるように勝手に動き始めそうな身体を、背中から生やした黒い鞭のようなもので縛り付ける事により、その場に留める。
アレは民間人だ。自らが守るべき弱き存在だ。
アレは作戦目標だ。自らが滅ぼすべき人類の敵だ。
相反する意思が、ガスマスクの脳みその中で絡み合う。汚染された精神を僅かに残った理性が抑え込む。
自らの使命を思い出せ。
人々を守り、世界を救う。その崇高なる使命を。
失敗した自分が出来る、最後の仕事を。
ガスマスクは沸騰するかのような精神の中で、自分の身体の中で共生するモノに語りかける。
力は感じるのに、ソレの意思を感じる事は出来ない。
「Mals.Do you hear?」
ガスマスクの問いかけに答える存在はいない。
家族も、友も、仲間も。
もう、何処にもいない。ガスマスクが守りたかったモノはもう何もない。
橋の出口、向こう側に広がる市街地をじぃとその赤い双眼が見つめていた。
その向こうに消えた海原の背中をずっと。
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