第7話 ジュラシック・ヒロシマ


 



「えっ」


「しゃがめ、雪代」


 海原の反応は早かった。瞬時に座り込んだままの雪代に身を寄せて、囁く。


 びくりと雪代の身体が跳ねるのを落ち着かせるように肩を掴んで抑える。


「落ち着け、動くな」


「はい、はい……」



 パラパラと二人の上、橋から粉のような何かが舞い落ちる。


 ズシン、ズシン。


 頭の上から鳴り響く重低音。


「う、上に?」



「多分な。このままやり過ごすぞ」



 この橋は元々、大量の車が往来することを前提に造られている。上にいる何かの足音からしてかなりの巨体ではあるが、橋が落ちるほどではないと海原は判断していた。



 ズシン、ずしん。足音が遠ざかっていく。二人の腹の底に響くその音。


 雪代の身体が小刻みに震えている。海原はそれを抑えようと力を入れるも上手く身体が動かせない。



(あ……)


 すぐに気付く。自分の手も震えていた。理性とは外れた場所、肉体の底に根ざす本能が震えている。


 雪代もそれに気付いたのだろう。不安げに揺れる瞳を海原に向ける。


 震えている場合か。


 海原は唇をわずかに開き、思い切り唇の端を噛んだ。


 犬歯が肉を僅かに噛み潰す。鋭い、目を開かせる痛みが走り、紅く濡れた血が流れる。


 手荒い気つけ。それでも効果はある。


 手の震えは鳴りを潜め、ズキズキと唇が痛んだ。


「大丈夫だ」


「で、でも」


「大丈夫」


 雪代の肩を強く掴む。その震えを抑えるかのように。


「いつも通りだ。今回も同じだ」


 雪代の目を海原はじっと見つめた。小さな鼻、きめ細やかな雪のような白い肌。


 儚く、次の日には消えてしまいそうな物に海原には見えた。



「いつもどおり、そ、そうですね。わかりました、いつもどおーー




 グウウウウウウウウウオオオオオオオオオ!!



 海原は今度こそ身体中の力が抜けるのを止める事が出来なかった。ビリビリと痺れとともに聴覚にぶつかるその咆哮。


 背骨や体幹を溶かされたのではないかと本気で錯覚した。



 ギシ、ギシ、ギギギギギ。



 橋が唸る。鉄鋼、コンクリート、鉄筋。化学と数学そして、人の技術で生み出された造形物が今にも壊れてしまうのではないかと言わんばかりに音を鳴らす。



 二人は動かない。いや、動けなかった。



 そして



 ズゥン。


 オオオオオオオオ!!



 河が爆発した。


 河の中腹、二人から50メートル以上は離れた地点で爆弾が破裂したかのような水柱が上がる。



 パラパラパラパパ。


 空に舞った水飛沫が河面を騒がす。


 二人は何が起きたのか理解出来ない。何を今見ているのかも分からなかった。


 そして水柱が解ける。



 その中に



「あ、あ、ああ」


「で、デタラメすぎんだろ……」



 化け物がいた。


 橋から飛び降りたのだ。河の中腹へ飛び降りたそれはその質量分の水柱を盛大に上げ、着水した。



 その全容、これだけの距離があるにもかかわらず海原にはそれの姿がよくわかる。


 男ならば誰しもが一度は図鑑や博物館で見た事はあるはずであろうそれ。



 その怪物は



「きょ、恐竜?」


 長い尾、それは簡素な建物ならば一薙ぎしてしまいそうだ。


 浅い河底を踏みしめる二本の太く、張り詰めた脚。獲物を抑え込むのにも、その巨体を支えるのにも使われる恐るべき筋力を秘めたそれ。


 そして、その顎、顔。ワニを先祖返りさせたようなその風貌。ここからでもわかる。その大顎には必ず刀剣のごとき牙が並ぶのだろう。



 白亜の時代、この地球を支配していた恐ろしい竜によく似ていた。



「いや、なんだ、あれ」



 海原が呆然とつぶやく。彼は大多数の男子にもれず恐竜が好きだ。


 小さい頃に化石を見つけようと山へ向かったり、恐竜モノの映画が出れば内容も確認せずに見に行ったりしていた。


 その海原は目の前の恐竜のような化け物に強い違和感を感じた。



「スピノ、サウルス?」


 背についた大きな帆のようなそれ、魚の背びれみたいなものがその巨体に立っている。


 いやそれはいい。たしかにそういう恐竜はいる、だがあれはなんだ。



 腕だ。


 その巨体の脇腹の辺りから長い、腕がはえている。それは全く恐竜らしくない。鉤爪を備えたらしい腕とは別に、二本の腕が生えていた。



 まるで、人間の腕のようなーー 誰かが思い付きであの怪物にくっつけたようなそんな、粗雑な印象を海原は受けた。



 グオオオオオ!!


 怪物が唸る。大口を開けたままその恐ろしい顎門を河の中へ押し入れた。


 ばチャリ。


 クマが河中の鮭を取るかのように、怪物が水中から顔を上げる。


 その顎門には哀れな獲物が捉えられていた。短い脚をもがかせているそれはここからではなんなのかよくわからない。


 ただ、少なくとも尋常の生き物でないのは確かだった。


 大手川にあのサイズの足がついた生き物が棲息している話なんて聞いた事もない。


「ひっ」


 雪代がこれから起こる光景に、悲鳴をあげる。海原は雪代の顔を自らの胸に抱き寄せる。


「見るな」




 恐竜のような化け物が顎門を真上に掲げる。まるで獲物を誇るかのやうに。


 持ち上げられたそれは、


 ぼきっ。ちゃ。


 一噛みで、その顎門に押しつぶされた。青い血が河に流れる。


 ぐったりとしたそれを、化け物が丸呑みにする。首を何度か振り、また真上に咥え上げて



 ごく、ごく、ごくり。


 艶かしい鱗に包まれた喉が嚥下する。



 海原はその光景から目を離す事が出来なかった。


 なんという光景。化け物が化け物を喰う。あまりにも強すぎる命のシステム。


 絶対的なルール。久しく人類が忘れていた生き物ならば誰しもが従わなくてはならない圧倒的な摂理。


「弱肉、強食」


 海原の唇が歪む。何故かそれはつり上がり、まるで嗤っているような形に変わっていった。


 化け物が辺りをキョロ、ギョロリと見回す。爬虫類にありがちなある種機械的とも言える動き。


 その動きを見ていると、海原はどうしようもなく不安な気持ちにかられ始めていた。



 今、この空間において


 キョロ。


 もっとも弱く、肉になるべきなのはなんだ。


 ギョロリ。



 ソレがこちらを見つめていた。


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