第4話 雪代長音
「ば、おま、雪代」
「はい、雪代です。どうかしましたか?」
雪代長音の紅い瞳を、海原は歪んだ顔で見つめた。
首をかしげる、雪代の動作を見るたびに海原は胸を掻き毟りたくなるような衝動に駆られる。
「ジャア! ジュア!」
もんどりうつトカゲ達が態勢を、元に戻す。合計4個の頭が威嚇するように鳴き声を飛ばす。
再び、後方の手傷を負ったトカゲが勢いよく雪代の背後から飛びかかる。太い脚が床を蹴る。鉤爪が白いフロアを引っ掻き、チャリっと軽い音が響いた。
ゴン。
「ジュ!?」
またしてもトカゲの突進は遮られた。見えない壁にその頭をぶつけて後退る。
動物園のショウケースに囲まれた生き物みたいだ。その大きな口も鉤爪も雪代から1メートル程の距離で全てが隔てられる。
「雪代…… お前、また!」
海原がさけぶ。怒りとやるせなさ、そして無力感。それらが混ざって、思わずもれでたような言葉。
「海原さんがやろうとした事に比べたらましです」
雪代の紅い瞳が海原の狼狽した顔を見つめる。そして、形の良い唇がニヤリと動いた。
「私が寝てる間、イタズラしちゃあダメですよ?」
「ばっーー」
対照的な2人、女は嗤い、男は焦る。
海原の制止の声は届かない。
そして始まった。
ペキ。
どこかで何かが折れ曲がったような音。
パシっ。
車の窓ガラスに飛び石が当たったような音。
そして。
シャアアアアアアアアン。
一斉に、店内の窓ガラスが全て同時に割れた。薄い氷をハンマーで叩き潰すかのように。ショーウィンドウも、出入り口のガラスも、天窓のガラスも。
全て同時に。
雪崩のように割れるガラス。
トカゲ達がその音に反応し、ビクッと怯えるように首をもたげて周囲を確認する。
だが、もう遅い。
既に、捕食者と獲物の関係は逆転していた。
化け物どもは早く気付くべきだった。目の前にいる存在がどんなモノだったのかを。
雪代の黒い髪に異変が起きる。
黒、白、黒、白。
一定のリズムでまるで明滅するかのようにその髪の色が移り変わる。
黒、白、黒、白。行っては帰る波のように、同じリズムで刻まれる鼓動のように。
雪代が頭のこめかみを両手で挟み込むように抑えた。
そうでもしないと、頭が破裂しそうだったから。
「わたしたちに」
言葉を放つ。
「ちかづくな」
二匹のトカゲが浮き上がる。まるで見えない巨大な手に摘まれたかのように。
「ジャア、ジャア!」
四肢をバタバタとめちゃくちゃに動き回す。それぞれ二つ、前と後ろ両方の頭がのたうち回る。
だがそんな抵抗むなしく、トカゲ達は拘束されてまま。
そして。
ぎゅっち。
壊れたミキサーが無理やり肉をかき混ぜるような、決定的な音。
雑巾絞り。
見えない力が、トカゲの身体を絞り込んだ。
見えない巨大な手がトカゲの前と後ろの首を掴んで一気に絞り込んだかのような。
二匹のオオトカゲは断末魔すらあげることなく死んだ。
青い血が、文字通り絞り取られる。ねじ切れる事もなく、本当にお絞りのように丸められた二匹の化け物。
ばちゃり、と自らが作り出した青い血だまりにその絞りカスが落下した。
みるみるうちに広がっていく血溜まり。雪代と海原が立っている場所を避けていく。
見えない壁に遮られているかのように、青い血が海原の足元のすぐ先を滑っていった。
「う、お」
海原は目の前の非現実的な光景に思わず呻く。たが、それだけだ。残酷な光景などこの一ヶ月で文字通り腐る程見てきた。
それよりも海原の脳裏に広がっていたのは、後悔、自責。
(また、使わせてしまった)
海原がこれに似た光景を目の当たりにするのはこれで二度目。一回目はあの、全てが終わった日の夜のことだ。
「雪代!」
海原が隣人の名を呼ぶ。この現象を引き起こした張本人を。
返事はなく、代わりにふらりとその細い身体が揺らいだ。消えかけのろうそくの火のように。
「ばっか!」
海原が傾く雪代の肩を掴みそのまま倒れないように引き込む。
海原が雪代を支える。ゆっくりと柔らかな肩や背中に手を差し入れて床にそっと寝かせた。
すー、すー。
上下する胸。一定の呼気の音。生きている。瞼は閉じられ口は紡がれているが間違いなく雪代は生きていた。
「雪代! 雪代!」
パチパチとその白いほおを鳴らすように叩く。冷たく、しっとりとした質感を海原のカサカサの手のひらが感じた。
反応はない。
前回と同じだ。雪代長音は眠るように気絶していた。
「大馬鹿野郎が。また使いやがって」
海原は、辺りを見回す。
ただでさえ荒らされていたスーパーの店内は更にめちゃくちゃになっていた。
窓の近くには雪代の奇妙な力の余波により粉々に砕かれた窓ガラスが散らばる。あまりにも細かく砕かれたそれは、粉雪のようにきめ細かいものとなっていた。
「すげえな、お前」
海原はその場に座り込んで雪代の顔を覗き込む。
吸い込まれそうな美貌。整ったその造形は男だけでなく女ですら目を離せなくなるだろう。
海原は、破顔する。
「いたずらなんてするかよ、恐ろしい」
海原はそのまま目を瞑る。
さて、これからどうすべきか。雪代の目がさめるのを待つべきか、背負ってでも移動するべきか。
「移動だな……」
フロアが青黒く汚れていく。血の匂いにつられて他の化け物が現れないとも限らない。
意識を失った人間を運ぶのはかなり骨だ。そのことを海原は経験により知っていた。
海原の選択に雪代をこの場に置いていくというものは最初から存在しなかった。
見捨てるか、見捨てないか。その選択を既に海原は終わらせていたのだ。
あの世界が終わった夜に。
この頼りになる隣人のおかげで今回も生き残った。今更になって心臓の鼓動を苦しく感じる。
死ぬところだった。いや、本気でそれを覚悟した。
死ぬ、生きる。
そこにさして差がない、残酷な世界。
元々世界はそういうものだったことに気付かなかっただけなのか、それとも世界が終わってしまったからなのか。海原善人には分からなかった。
それでも、海原はまたしても生き残ったのだ。
この残酷な、誰も救うことの出来なかった終わった世界で。
「さて、運ぶか。セクハラとか言わんでくれいよ」
海原が立ち上がり、雪代の背中に手を伸ばした。
雪代が寝転ぶ地面にうっすらと霜が積もっている事に海原は気付いたが、何も言わない。
それを手で払って、スラックスに擦りつけた。
荒らされた店内。食品の腐った甘い匂い。青い血溜まりに沈む、化け物の絞りかす。
チュウゴク地方を中心に店舗数を伸ばしていた業務スーパー、[エブリデイ]。
そのヒロシマ店の中、生きているものは2人しかいない。かつては賑やかだった店内に、生者は2人しかいないのだ。
凡人と、異能の力を振るう超人が2人。
人間は、世界が終わった後もしぶとく生き残っていた。
ヒロシマ〆アウト〆サバイバル
はじまり。
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