第一章 旅立ち ~始まりは悠長に

 ガイ・オルを出発して十日が過ぎた頃、キセン達はガイ・アルブ王国とウレイユ王国との国境付近まで来ていた。

「ミシェイル、川だ。水が使えるぞ」

「やった!もう髪の毛ベタベタだもん」

 馬を降りたキセンは鞍から荷を下ろし、ミシェイルに声を掛けた。

「先に行って洗って来いよ。タープは自分で張れるだろう?俺は昼飯の用意をしよう」

「いいんですか?…じゃあ、先に行って来ます」

「何かあったら、大声を出すんだぞ」

「はい」


 キセンは鍋の前でパンの生地を練っていた。傍にあった石で胡椒を二粒ほど砕き、鍋に放り込んだ。

「…隠し味にこいつを入れて、と。後はしばらく煮込んで…」

 と、その時!

「キャァー!」

 明らかに只事ではない、ミシェイルの悲鳴が聞こえてきた。

「…ミシェイル?!」

 キセンは素早く剣を取り、川辺へ降りた。

「ミシェイル!ミシェール!何処まで行ったんだ!」

 キセンが辺りを見回すと川上からミシェイルの衣服が流れてきた。

「あれはミシェイルの…。拾っている暇はないな。ちっ、間に合ってくれよ!」

 キセンは川上に向かい走り出した。


 タープの陰に隠れているミシェイルの行く手を阻むように、短剣を持った二人の男が立っていた。

「ヘヘヘ…お嬢ちゃんよぉ。俺達と遊んでくれよ…。綺麗になったついでにさぁ」

 男の一人がミシェイルに手を伸ばし、じりじりと近付いてくる。

「い…いやっ!近寄らないで!」

 ミシェイルは傍に落ちていたのだろうか、細長い棒切れを振り回し、何とか抵抗を見せていた。

「いいじゃねぇか。楽しいことしようって言ってんだぜ?いろいろ気持ち良いこと教えてやるからよ」

 あからさまに危ない言い方である。

「…ん?兄貴、誰か向かってくるぜ」

「ほっとけよ。こんな上玉、滅多に相手にできねえ。こっちに来たらお前が相手しな。」

「ミシェイル!」

「き…キセン様!キセン様!」

 弟分であろう男が短剣を構えてキセンの行く手を遮った。

「ななななな何だ!てめえは!」

「…動揺し過ぎだろう。しかしご挨拶だな。人の連れにこんな事して…」

 キセンは剣の鞘を左手に持ち替えると、出来るだけ怒りを殺し、優しくミシェイルの名を呼んだ。

「ミシェイル、こっちへおいで」

「キセン様ぁ」

 ミシェイルは安堵の表情を浮かべ、素っ裸のまま、よろよろとキセンの元へ歩み寄った。

「大丈夫か?」

「…はい」

 キセンは自分のマントをミシェイルに羽織らせ、男達に向き直った。ミシェイルからその顔は伺えない。

 低く呻く様な声でキセンは男達に向かい声を発した。恐らく傍にミシェイルがいなければ、疾うの前に斬りかかっていたのであろう。

「先に死にたいのはどっちだ?女を相手に悪さを働くような奴は、許せねえんだよ」

「うるせえ!てめえが死ねや!」

 弟分が斬りかかってきた。キセンは素早く剣を抜くと、襲ってきた男の片腕を切り落とした。

「…う…ぎゃああ!腕がぁ!俺の腕がぁ!」

「次は…貴様か?」

 もう一方の男にゆっくりと近付く。

「お…覚えてやがれ!」

 腕を切り落とされ苦しむ男を引っ張り、川上へ向かい逃げて行った。

「忘れもんだ!持って行け!」

 キセンは切り落とした腕を放り投げ、血の付いた剣を川の水で漱ぎ鞘に納めると、ふぅっと息をつき、ミシェイルに歩み寄った。

「ミシェイル、大丈夫か?怪我はしてないか?…どうした?」

ミシェイルはキセンに抱きついた。いきなりの事でキセンもどうして良いか分からずにいたが、ミシェイルが泣いているのに気付き、そっと抱きしめた。

「すまない。来るのが遅くなっちまって」

 ミシェイルは首を横に振った。キセンはミシェイルを抱きかかえ歩き出した。

「先ずは着替えをして、飯を食ったら町へ急ごう。次の町は城下町だからな。いろいろと服屋もある」


 数日後、二人はウレイユの町に到着した。城下町という事もあり活気に満ちた町である。キセンはミシェイルを服屋に連れて行った。

「これなんかどうだ。一度着てみろよ。おい、試着を頼む」

 ミシェイルはキセンに渡された服を手に試着室に入った。しばらくして出てきたミシェイルは少し恥ずかしそうにその場で一回転してみせた。

「よくお似合いですわ。お客様」

「ほう…馬子にも衣装…いや、似合ってるよ」

「ホントですかぁ?」

 ミシェイルは悪戯っぽい目でキセンを見た。

「ああ、可愛いよ。鎧さえ着けてなきゃダンスに誘いたいくらいだ」

「そんなぁ…ぽっ」

 因みに男性からダンスに誘うのは、愛の告白であったり、プロポーズの意味があったりするのである。

「ははは、もう何着か選べよ。動きやすい奴をな。俺はそこの酒場にいる」

「はい…あ…」

「金の事なら心配するな」

「はい!」

 服屋を出たキセンは真向かいにある酒場へ入った。

「ん?よう、キセン!遅かったじゃないか。帰りは先週のはずじゃなかったか?」

 入り口近くに座っていた客が嬉しそうに話しかけてきた。キセンはカウンターの椅子に腰掛け、軽く手を挙げて応えた。

「ああ、いろいろとあってな。マスター、久しぶりだな。元気かい?」

「キセン様かい。わしゃ、ピンピンしとる。いつものでいいかい?」

 店のマスターである老人は酒棚に置いてある瓶に手を伸ばした。

「いや、ミルクをくれ。登城するから飲んでいてはマズイだろ」

「ミルクかね。美味いジャムが手に入ったからそれも食べて行きな。おい、ミルクとジャムだ。大急ぎでな」

「はーい」

 キセンは、返事をした女の子の方を見た。テキパキと動く女の子を眺め、目を細くした。

「いつもライラの面倒を見てもらって悪いな」

「いやぁ、よく働いてくれる。助かってるよ」

 ライラと呼ばれた女の子がキセンの隣に座った。

「はい、ミルクとジャム。遅かったじゃない。何かあったの?」

「いろいろあってな。ほら、お土産だ」

 腰袋から小さな箱を取り出し、女の子に手渡した。女の子はその箱を開けると満面の笑みになった。

「珊瑚の髪飾りだ!綺麗…。ありがとう!お兄ちゃん!」

 そう、ライラはキセンの妹である。しばらく他愛のない会話をしていると、扉が開きミシェイルが入ってきた。キセンを探し、きょろきょろしている。

「キセン様ぁ…あ、キセン様」

 キセンを見付け、隣の椅子に手を掛けた。

「どうだ、気に入ったのはあったか?」

「ええ…でも、本当によろしいんですか?」

「気にするなと言っただろう?何か飲むか?」

「ミルクが欲しいです」

 二人のやり取りをライラが不思議そうに見ている。

「ねえ、この人は?」

「ああ、紹介しようか。ガイ・オルの村で世話になった家の娘だ」

「サイ・ミシェイルと申します」

「ミシェイル、こっちは妹のライラだ」

 ミシェイルがお辞儀をすると、ライラは椅子から降り、スカートの裾をちょっとつまんでお辞儀をした。

「ああ、ライラ。ミルクとジャムをもう一つ頼む」

 その時、マスターがキセンに小声で話し掛けて来た。

「キセン様、ちょっといいかい?…国王の事でね、城に行く前に耳に入れておいて欲しい事があるんだ」

「何か…あったのか?」

「お体の具合があまり思わしくない様でな」

「…俺が出発する前は元気過ぎるぐらいだったぞ」

 キセンは呆れたような顔を見せて呟いた。

「どこか悪くしているのですか?」

「…ああ。元々気管支の弱い方でな」

 マスターは大真面目に言葉を続けた。

「治癒魔法も回復魔法も殆ど効かないらしい。治療師達も自信を無くしちまってな、今は強壮効果のある薬草に頼っているらしいんだよ」

「なんてこと…それ、いつの話なんですか?」

「え…っと、確か一週間くらい前…か」

 それを聞くとミシェイルは急に立ち上がった。

「キセン様!今すぐ城へ!」

「どうしたんだ!ミシェイル!」

 ミシェイルは、既に店の外へ飛び出していた。

「早く!置いて行きますよ!」

「わ…わかった!」


 王城の一室。広いベッドルームにキセン達は通された。

「国王。マー・キセン様がお戻りになられました。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 国王はベッドに横になったまま、何も言わず頷いた。

「王。マー・キセン、サダル・ムースより只今戻りました」

 キセンの顔を見た国王は、ゆっくりと何度も頷いた

「王?…まさか、お声が?!」

 国王の傍に立っていた男が答えた。

「三日前になります。急にお声が出なくなって…」

 と、その時ミシェイルが前に出た。

「初めてお目に掛かります。サイ・ミシェイルと申します。第七代目ダイアモンド・ナイトです」

 国王は目を細め、うっすらと笑った。握手を求めたのだろうか、小刻みに震える右手をミシェイルに差し伸ばした。ミシェイルはその手を両手でそっと包み微笑むと、国王の胸元へ戻した。

「キセン様。聖水を桶で用意してください」

 厳しい表情でミシェイルは国王の顔を見ている。キセンは何故か聞こうと思ったが、ミシェイルの表情を見ると、直ぐに従者に声を掛けた。

「…分かった。ちょっと君、聖水を用意してくれ。早く!…ミシェイル、治せるのか?」

「…自信はありませんが、…やってみます」

「キセン様。お持ちしました」

「国王のいつもお使いになられている食器も持って来てください」

 聖水を持ってきた従者は驚いて顔を上げた。

「早くしろ!…何をする気だ、ミシェイル。事によっては俺でも庇えなくなるぞ」

 国王の顔を見詰めたまま、ミシェイルは静かに話し出した。

「…唇と目、そして爪。僅かに変色しています。恐らく時間を掛けて毒が回るよう、食器に毒を仕込んだのでしょう。それも魔法で創られた毒物です。手を取ってはっきり判ったのですが、国王のものとは別の魔力を感じました。この毒物の解毒は精霊魔法でないと、難しいと思います」

「…毒を盛られただと?!」

 ミシェイルの思い掛けない言葉に、キセンはそれ以上の言葉を失った。そして二人の会話が聞こえていたのか、国王の傍にいた男が二人に怒鳴った。

「いい加減な事を言うのはやめたまえ!…大体、君は騎士団長だろう?!何の権限があってその娘に王を任すのだ?!」

「…彼は大臣の一人、王の側近だ。…俺、アイツ苦手なんだ」

 しばらく沈黙が続いた後、従者の一人が戻ってきた。

「王の食器です」

「ありがとう」

 ミシェイルは食器を受け取ると聖水の入った器に入れた。目を閉じ両手を合わせると、祈る様に呪文を唱え出した。

「…水の精霊よ、血の契約により汝を召喚する。その清き魂よ、聖なる浄化を以って汚れし者を追放せよ」

 呪文を唱え終えると、ミシェイルの手に柔らかな光が灯った。ミシェイルはその光を両手で包むと、聖水の中に静かに差し入れた。

「クリア・ポーション!」

 ミシェイルが発した瞬間、光が眩く光り、聖水がキラキラと輝き出した。すると、中に入れてある食器がどす黒く染まり、その色は音も立てずに砕け散った。ミシェイルの額には大粒の汗が噴き出ている。

「大丈夫か?ミシェイル。契約も無しに高等魔法を使うのは無茶だぞ」

「私なら少し休めば回復します。…とりあえず、食器に仕込まれていた毒は消えました。後は…すみません、グラスに聖水をもう一杯頂けますか?」

 ミシェイルはそう言って、ふと、大臣の方へ目をやった。大臣は何やら落着かない様子だ。そこへキセンが小声で言った。

「…お前も気が付いたか?」

「ええ。さっきまで気が付かなかったけど、何か邪悪な気配を感じます」

「水をお持ちしました」

「ありがとう。キセン様は回復魔法、使えますか?」

「ああ。契約済みのがあるよ」

「では、お願いしますね。私はもう一度、国王にクリア・ポーションを施します。それで私の魔力は底を尽きますので。…王、お飲み下さい」

 国王はわずかに口を開いた。ミシェイルは国王の口に水を注ぎ、先程と同じ呪文を唱えた。それを確認したキセンは指輪を外し、国王の胸の上に置いた。

「水の精霊よ、指輪の契約により汝を召喚する。オール・キュアー!」

 キセンが呪文を唱え終わった瞬間、国王の体が波を打った。

「ぐぅ…む?!ぐはっ…ごほっ!…?」

「王!しっかりしてください!」

「…ん?あ…ん?声が出る…声が出るぞ!」

 その時、側にいた大臣が叫んだ。

「チッ…こうなったら貴様等皆殺しだ!」

「なに!ミシェイル!国王を連れて逃げろ!君も手を貸せ!とにかくこの部屋から出るんだ!」

 キセンはミシェイルと従者に指示をして、剣を抜き、大臣へ切っ先を向けた。

「王!こちらへ!」

「逃がすかぁ!」

「おい、お前の相手は俺だぜ」

「キセン!これを取りに来たのであろう!」

 国王は箱を投げてよこした。それを受け取ったキセンは箱を開け、中身を確かめた。箱の中には紅蓮に輝く、拳ほどの大きさの菱形の石が入っていた。

「これは…ルビー・キューブ!」

「まかせたぞ!」

「はっ!」

「貴様、ルビー・ナイトだったなぁ…。丁度いい機会だ。貴様から血祭りにしてやる」

 大臣…だったはずの男は、ゆっくりとベッドを回り、キセンに正対した。当のキセンは剣を鞘に納め、やれやれ、といった感じで男に話しかけた。

「俺は確かにアンタの事が苦手だったよ。しかしアンタから恨まれるような覚えはないんだがな。…まさか調理場の冷蔵庫にあったケーキのことか?棚の奥にあった上等な酒のことか?…まあどっちも俺の胃袋に収まったがな」

「馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

 そう言った瞬間、男は醜い魔物に変身した。キセンの倍ほどの体躯はあるだろうか。キセンもこれは想定外だったらしく、一瞬たじろいだ。

「な…アンタ、モンスターだったのか?!」

「八つ裂きにしてくれるわ!」

 大きな鋭い爪を持った太い腕を振り上げ、魔物が突進してきた。キセンは横っ飛びでそれを躱すと、箱の中身、ルビー・キューブを取り出し、箱を投げ捨てた。

「勘違い野郎め…」

キセンはルビー・キューブを握り締め、モンスターを睨み付けた。

「久し振りで上手くいくかな?…ルビー・マジック!エンター・ボマー!」

キセンが叫んだ瞬間、ルビー・キューブから赤い光の玉がモンスターに向かって飛び出し、そのままモンスターの胸に吸収された。

「…ハッ!これがルビー・マジックか。腕が落ちたなぁ、マー・キセン!」

 キセンはルビー・キューブを首に掛けると、魔物に背を向け歩き出した。その直後、魔物に異変が起こった。

「体が…熱いぃ…貴様…何をした…?」

 魔物の体が一回り大きくなった様に見えた。その瞬間、魔物の体中から火と血が噴き出し、粉々に弾け飛び、消滅した。

「エンター・ボマーは体内で爆発する。アンタには予想すら出来なかっただろうがな」

 その時、扉が開きミシェイルが飛び込んできた。

「キセン様!助太刀しま…って…あれ?」

 キセンの厳しい表情が緩やかに解けた。

「…もう、終わったよ」



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