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「レイン!」

 二人は同時に目の前にいる黒髪碧眼の人物の名を呼んだ。アレックスは嬉しそうに、シャーリーは驚いたように。なぜなら、先程アレックスに答えようとした人物こそ、雨屋のレインだったからだ。まさに噂をすればなんとやらだ。

「久しぶりだなあ。ここのところ忙しくて全然顔見なかったからなあ。元気か?」

 朗らかに話しかけるアレックスに対して、レインは眉間にシワを寄せ、こめかみに青筋を作って晴屋の主人を睨みつけた。

「うるさいんだよ、存在自体暑苦しいやつが。無駄に筋肉作りやがって」

「あいかわらずだな。ホント、お前って天性の雨屋だな」

 レインの悪口雑言にも気にするそぶりを見せず、アレックスは少しも変わっていない友人との再会を喜んだ。

 褒め言葉すら頭にくるのか、レインの怒りはいよいよ最高潮に達しそうだった。

「れ、レイン、久しぶり。元気だった?」

 二人の様子を見かねて、シャーリーが慌てて間に入った。

 それまでアレックスしか目に入ってなかったレインは今初めてシャーリーと会ったような顔をした。

「シャーリーじゃないか。久しぶりだな」

 一瞬前の態度はどこへ行ったのか、目を細めて答えた。

「何やってるんだ、こんなところで。仕事はいいのか?」

「うん、ある程度は片付いたから。ちょっと休憩にね。レインこそどうしたの? ここに来るなんて珍しいね」

 レインがアレックスを嫌っていることは全ての天気屋が知っていることで、もちろんシャーリーも知っていた。

「俺だって来たくて来たわけじゃあない。ただ、いい加減耐えられなくなったんでな。苦情を言いに来た」

 レインはまた恐い顔をしてアレックスを睨みつけた。

「いい加減、あの防温壁を買い変えるなりなんなりしろって言っただろうが。熱がうちにまで駄々漏れてきてるんだよ! 年々漏れ出る温度が上がってるぞ。ハウスを改装できないほど貧乏じゃあるまいし」

「いや、だからそれは前に言っただろう。あんまり熱を篭らせすぎると機械に良くないんだ。それに、熱が漏れるのはハウスが古いからじゃなくて、上からの注文の量が増えてるからなんだよ」

「だったら、機械を買いかえろ。もっと性能の良い奴を買え」

「それはできない。うちにはうちのやり方があるんだ。新しかったり性能が良いからって、そんなコロコロ乗り換えたらこっちの調子も狂うし、なにより物の質が落ちるんだ。それぐらい同じ天気屋のお前なら分かるだろう」

「ああ、分かるさ。うちの雨水は鮮度が売りだからな。だからこそ、それをぶち壊すお前のとこに腹を立ててるんだよ。あんな生ぬるい雨水、使い物になるか。維持管理だけでどれだけ時間と労力を費やしてると思ってるんだ。この時期はただでさえ忙しいってのに」

 レインは苦虫を潰したような表情で毒づいた。

 アレックスもシャーリーもこの時期雨屋がどれだけ忙しいかよく知っていた。突発的な依頼の多い雨屋は年間を通して忙しいが、この時期になると一部地域では大々的な雨の時期がやってくるため、その準備に追われるのだ。それだけでなく、晴屋の仕事も増えるので気温も上がり、保管用の雨水の管理も重要な仕事になってくる。水温が上がってはもちろんだめだが、冷たくしすぎたり雪屋のように凍らせることもダメなので、雨水の保管にはかなり気を配らなければならない。それらの仕事全てを請け負い、きっちりとこなすレインは尊敬にすら値するものだった。

「まあ、お前のところには悪いとは思ってるよ。もちろん雪屋にも。今だって少しでも他の天気屋に負担が掛からないよう対策案を考えてるところなんだ。だから、もう少し待ってくれ」

「すぐやれ、今やれ、とっととやれ」

「だから、もう少し待ってくれって。それよりお前もソーダ飲むか? うまいぞ」

 アレックスは苦笑しながらレインに席を進めた。

「いらん。あんな毒々しい色の飲みもんなんか飲めるか。俺は茶と水しか飲まん」

 レインはピリピリしながら、それでも椅子に腰を落ち着けた。

「はいはい、麦茶でいいな」

 レインとは対照に今度はアレックスが立ち上がり保冷庫へと近づいた。レインの撒き散らすトゲトゲしい空気をものともせず、慣れたような口調でレインに応対する。

 さすが付き合いが長いだけのことはある。二人のやり取りを眺めながらシャーリーは心底感心した。

 その様子を見ていると、二人って実は仲が良いのではないかと思うことがある。でも、それをレインに言うとしこたま怒られるので口にはしないが。

「ほら」

 アレックスが茶色い液体の入ったグラスをテーブルに置くと、警戒するようにグラスを見つめたがすぐに手にとって口をつけた。

「ぶふっ!」

「レイン?」

 咽喉に流し込んだかと思ったとき、突然レインが麦茶を口から噴き出した。

「あ、しまった。それ砂糖入りのやつだった」

 イタズラがバレたときのような顔をしてアレックスが呟いた。

「お、お前まだこんなもの飲んでるのか」

 レインは口を拭いながら信じられないような顔をして目の前で謝罪する男を見つめた。

「いや普段は飲まないんだが、仕事で疲れたときにはいいんだよ。疲れたときは甘いものって言うし。ちょっと疲れが取れただろう」

「取れるかこんなもんで! 口の中がやたらと甘くなるだけだ」

 レインはグラスをテーブルにたたきつけた。その衝撃でグラスが割れてしまわないか心配だった。

「ね、ねえ麦茶に砂糖なんて入れておいしいの?」

 シャーリーは砂糖を入れて飲むのは紅茶だけで、麦茶に入れたことはなかった。

「おお、うまいぞ。飲んでみるか?」

「やめとけ、脳が溶けるぞ」

 飲んだことのない未知の飲み物に興味が湧いた。

 シャーリーは飲みかけのグラスを手に取るとほんの少しだけ舐めてみた。量が少なかったせいか、ただ甘い味がするだけだった。

 今度はグラスを傾けて飲んでみる。口の中に茶葉の香りととろけるような甘味が広がった。

「麦茶と砂糖の味がする」

「そのまんまの感想だな」

 レインが疲れたようにテーブルに頬杖を着いてシャーリーの様子を眺めていると、アレックスが入れ直した麦茶を持ってきた。

「今度は入ってないだろうな」

 レインはグラスを受け取りながら疑り深い目で中を覗いた。

「入ってない入ってない。それより、シャーリーそれ旨いだろう」

 アレックスは自分の席に戻って残りのソーダを飲み干した。

「うーん、不味くはないけど、そんなにしょっちゅう飲みたいとは思わないかな」

「そうか? 俺がお前くらいの頃は毎日のように飲んでたんだがな」

「お前の味覚がおかしいんだよ」

「そうか?」

 アレックスは首をひねって考え込んだ。

 そのとき、またもやハウスの玄関のほうから何かが聞こえてきた。今度はどうやら人の声らしい。

「また客か? 今日は多いな」

 アレックスはまたハウスにいる誰かに向かってこちらにいる旨を叫んだ。

 少しすると、アレックスやレインよりは少し年の若い青年がテラスに顔を出した。

「あ、レインさんこんなところにいたんすか。もう、探しましたよ」

 茶色の髪と緑の目を持つ青年はため息をついて三人のいる方へ向かってきた。

「ギルバートじゃないか、どうしたんだ?」

「久しぶり、ギル」

「こんちは、アレックスさん。それにシャーリーも。男三人集まってお茶会っすか? この暑苦しいのによくやるなあ」

 ギルバートと呼ばれた青年はからかうように笑った。

「俺だって好きでこんなところにいるわけじゃない。それより、俺に何か用か?」

「ああ、はい。今度風屋ウチと雨屋と雲屋クラウディハウスが合同ででかい仕事するじゃないですか。そのことで姉ちゃんが打ち合わせをしておきたいって。雲屋のマシューさんにはもう連絡が取れたんすけど、レインさんがハウスにいないから探して来いって言われて」

「つまりパシリってわけか」

「ギルって相変わらずフローラには頭が上がらないんだね」

「うるさい、フラーに逆らえないのはお前だって同じだろ」

 ギルはシャーリーの頭を軽く小突いた。

「んじゃ、きっとすれ違いになったんだな。分かった。すぐ戻る」

 レインは麦茶を全て飲み干すと立ち上がった。

「あ、それから、姉ちゃんが雨屋に寄ったとき、従業員の人からレインさんを見つけたら伝えて欲しいって伝言頼まれたらしいんすけど」

「伝言? なんだ?」

「えーと、確か急遽一時間後に降らせる用の雨が必要になったから用意しておいてくれって連絡があったとか」

「な、一時間後だと! 量はどれくらいなんだ?」

「さあ、そこまでは……。でも彼らもずいぶん焦ってたらしいから、それなりに量はあるんじゃないかと」

 ギルバートが一言話す度にレインの表情が固まっていった。

「そういうことは早く言え! 悪いが打ち合わせはうち雨屋ウチでやらせてもらうぞ」

「ああ、それなら大丈夫っすよ。最初からそのつもりだったんで。マシューさんがそう提案したんですよ。さすが、レインさんの親友だけあってよく分かってますね。……ってちょっと待ってくださいよ」

 呑気に語るギルバートと反対にレインは慌てふためいてさっさと出口の方へ歩き出していた。

「んじゃ、俺達はこの辺で。またな、シャーリー」

 出て行く直前、ギルバートはレインの代わりに片手を上げて挨拶した。

 しかし出て行くすんでのところで、アレックスが何かを思いついたようにギルバートを引き止めた。

「そうだ、ギル。それにレインも」

「なんすか?」

 ギルバートは足を止めたが、レインはすでにその姿すら見えていなかった。

「今日の夜、もし仕事の手が空いてたらうちに来てくれないか。面白い物を作ったから、見てもらいたいんだ」

 ニコニコとそう言うアレックスを見て、ギルバートは首をかしげた。

「面白いものっすか?」

「そ。まあとにかく来てくれれば分かるから」

「はあ、分かりました。今夜っすね。レインさんにも伝えておきましょうか?」

「おう、頼む。それからフラーやマシューにも声を掛けておいてくれ。人数は多い方が楽しめそうだしな」

「了解っす」

 ギルバートはニッと笑って、敬礼の真似事をするように真っ直ぐに伸ばした手を額に添えて了承した。

 ギルバートが去っていくと、シャーリーはソーダを飲みながらアレックスに向き直った。

「何作ったの?」

「それは夜になってからのお楽しみってとこだな。シャーリーも手が空いてたら来てくれよな」

 答えをはぐらかされてしまい余計にそれが何か気になったが、とりあえず頷いておいた。

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