レントン男爵

 更に一週間ほど経過する。


 アイの工房の近くには、二人の新居の外装までが出来ていた。

 白亜の豪邸……と言えるほど大きな家ではないものの、眩しい真っ白な壁が二人のこれからの思い出を彩るキャンパスのようで、リーンは一人、満足気に見上げていた。


 一方、アイはというと相も変わらず工房の方に目を向け、自分の家そっちのけで、新たな工房の増築の様子を眺めている。


 二人の家の工期は一ヶ月も満たないほどで、予定より随分と早まっており、その理由は幾つかあった。


 まずはナホホ村という特性である。


 ナホホ村は、所謂観光地であり、湖で泳げる時期ならば人は溢れ、村の人達は多忙になるのだが、閑散期となると人手は余り、中には出稼ぎに村を出る人までいた。


 だが、今回はアイとリーンの家の建築、そしてアイが提案した陶器、そして鏡が、新たなナホホ村の特産になると職人もこぞって集まってきたのである。

家の建築は人海戦術で、急ピッチに加速することとなった。


 もう一つは、ナホホ村自体もその特性が変わりつつあること。


 リーンがザッツバード領内の地方の有力者を呼び寄せたことにより、ナホホ村に移住のため、建設ラッシュが始まる。

結果ナホホ村には、外から人や物が集まり、観光地から主要都市へと変貌を遂げつつあった。


「親方、また来やしたぜ」


 ただ、最近アイには、そのせいで一つ悩みがあった。それはリーンに取り入ろうとする有力者達の挨拶である。リーンだけでなくアイにまで取り入ろうとするのだが、その度に作業の手が止まりアイにとって、鬱陶しいことこの上なかった。


 そして、今日も有力者の一人がアイを訪ねて来る。


「そこの女。すまぬがリーン様の奥様であるアイリッシュ様にお会いしたい。案内せい」


 お供を引き連れて、高そうな宝石で着飾った小太りの男性が、鼻の下にある整えられた髭を触りながら、工房で作業をしているアイに声をかけてきた。


 作業着姿に頭には白いタオル地の布を巻いており、アイのピンク色のふわふわな髪は隠れているので気付かないのかなと、おもむろにタオルを取る。

 だが、「早くしろ」と息巻くのみ。

眉間を寄せ明らかに嫌そうな顔をアイがすると、小太りの男性は「なんだ、その態度は」と、激昂してきた。


(合いに来る相手の特徴位覚えておきなさいよ、全く……)


 アイは面倒臭そうに「私がアイリッシュですが?」と名乗るも、怒りは止むことはなく、「嘘をつくでない!」と嘘つき呼ばわりされてしまう。


「おいおい、何の騒ぎだ? お、そこにいるのはプルト準男爵ではないか?」


 プルトと呼ばれた小太りの男性は、怒りを露にしたまま振り返り自分を呼んだ人物を見ると、態度を急変してアイの前への道を譲り揉み手をする。


「こ、これはこれは。レントン男爵。それに男爵夫人まで」


 現れたのは肌が浅黒い銀髪の男性。

 年の頃は三十代半ば位で、貴族にしては肩幅が広く分厚い胸板の筋肉の盛り上がりで、上着のベストが悲鳴を上げている。

 そのレントン男爵の隣には、男爵とそう年の変わらない気品溢れる女性が男爵の一歩後ろに付いて歩いていた。


「プルト準男爵。それで何の騒ぎなのだ?」


 ギロリと目を剥きレントン男爵は、プルト準男爵を見下ろす。頭二つ分ほど背丈の小さいプルト男爵は、恐縮して上手く言葉が返せなくなった。


「えー……っと、私、作業に戻っていいのかしら?」

「お待ちを。アイリッシュ様」


 きびすを返し、どさくさ紛れに逃げようとするアイは、レントン男爵に呼び止められ後ろ向きのまま辟易して小さくため息を吐く。


「何ですか? 挨拶なら今名前聞いたので、もう大丈夫ですよ?」

「はーっはっはっは!! 噂通りのご仁のようだ。プルト準男爵、この方がアイリッシュ様で間違いないぞ!」

「え……いや、しかし、こんな薄汚れた女が……いや、まさか?」


 失礼な人だと思いつつ頬に流れる汗を袖で拭うと、アイの頬には黒い汚れが広がった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 見下していた職人の女性がアイだとわかると、プルト準男爵はうの体で逃げ帰る。

レントン男爵とその夫人は、その場に残り帰りそうもないので、少し待ってもらいアイは着替えてきた。


 アイはレントン男爵達を連れて一緒にリーンの元へ向かう。


「しかし、レントン男爵様は、よく私がアイリッシュだと見抜けましたね? 今まできた方々は先ほどの……えーっと準男爵様みたいな態度を取られますのに」

「リーン様と我輩は、昔からの馴染みでね。それに、我輩も我輩の妻である、ここにいるドゥーエが婚約の晩餐会でのアイリッシュ様の姿を覚えていたのだよ」


 アイは目を丸くして驚き、ドゥーエを見るとにこやかに笑みを返してくる。あくまでも、あの晩餐会の主役はリーンであり、自分のことなど誰も見ていないだろうとアイは侮っていた。


「リーンと昔からの馴染みと言っておりましたが、随分と、その、年が……」


 リーンはまだ十歳で、レントン男爵はどう見ても三十代より下回らない。失礼なことだと言い淀みながらも、アイは疑問を呈する。


「ああ、馴染みと言ってもリーン様が幼い頃からという意味だ。最初はブルクファルト辺境伯に懇意にしてもらっていたが、幼い頃の彼に我輩が陶酔してな。それに彼とはここザッツバード侯爵の内乱で協力した仲だからな」

「そうですか……あ、リーン! レントン男爵がいらっしゃったわよ」

「おお、男爵! よく来てくださいました! 貴方が来てくれると非常に僕も心強い」


 レントン男爵の元にリーンが駆け寄ってくると、二人は固く握手を交わす。


「はーっはっはっは。何をおっしゃるか! 我輩も、またリーン様に色々とご教授願いたいと思っていたところだ。前回教えて頂いた“魔晶ランプ責め”。大変気に入りましたぞ」

「それは幸いです。最近、新しい縛り方を思い付いたので、是非それも教えて差し上げたい」

「おお! それは楽しみですな! はーっはっはっは!!」


 二人の会話を端から聞いていたアイは、表情が固まる。会話の内容が上手く頭の中に入って来ないのだ。

 そこにドゥーエがアイに近づき耳元で「二人とも同類ですわ」と囁くと、「陶酔って、そっちのことか……」と、アイは項垂れガックリと地面に膝を付くのであった。

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