鏡の使い道

「ちょっ、ちょっとおお~っ!!」


 ブクブクと泡立てながら湖の水面に顔を浸けながら浮くリーンを、アイは慌てて抱き起こす。


「ぷはっぁ……ゴホッ、ゴホッ……」


 咳き込むリーンの背中へと回りこみアイは両腕をリーンの脇の下に差し込んで、体を密着させて湖畔に向かって、後ろ向きで引っ張っていく。

お互い裸だということを一切忘れて。


「はぁ……はぁ」


 まだリーンは子供とはいえ、脱力した状態かつ水の中ということもあり、アイは湖畔にリーンをあげるとその場でへたり込む。


「もう! 世話かけさせないでよ。ねぇ、聞いてるのリーン? リーン?」


 全裸のリーンに視線をチラリとだけ、なるべく顔だけを見るように送ると、目を瞑ったまま反応がない。


「嘘でしょう!?」


 アイはリーンの心臓の鼓動を確認して、呼吸をしているか確かめ始めた。

呼吸は無いものの心臓の鼓動は聴こえてくると、少し安堵する。


「……」


 アイはリーンの鼻を摘まみ、唇を塞いだ。しばらくすると、リーンの顔色はみるみる赤くなっていく。

じたばたと手足を動かして苦しみ始め、とうとう自分の唇を塞いでいるアイの手・・・・を自力でどかした。


「ぶはあっ!! 本当に死ぬところだった……」

「全く……。私があなたに触れる度に、瞼がピクピク動くのよ。バレバレよ」


 リーンの狙いはアイからの人工呼吸であったがバレバレで、下手くそな芝居にアイは呆れていた。


「はは、ごめんよ。だけど……全部見るのは初めてだけど、綺麗だね」

「綺麗? 何が?」

「何がって、もちろんアイの裸がだよ。また濡れた姿が色っぽさを演出している!」


 リーンは、すっくと立ち上がり、天を仰ぐように両手を広げ喜色満面の笑みを浮かべる。

ようやくここで、アイも自身が一切何も身に纏っていないことに気づいた。


 ピンク色の髪の毛が濡れて白く透明な肌にへばり付き、胸も隠す事なく地面にペタリとお尻をつけて座っている自分のあられもない姿に。


「キャアアアアアッッ!! 見ないでええっ!!」


 座ったまま胸を片手で隠し、咄嗟にリーンに向かって拳を繰り出す。


「はうっ! ほ、本日二度目……あ、ありがとうございました……」


 股を押さえたリーンは地面にうつ伏せに倒れ込み、意識薄れる中で走り去っていくアイの括れた腰から丸みの帯びた白肌のお尻を脳裏に焼き付ける。

アイの姿が見えなくなると、リーンは気を失ってしまった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 次にリーンが目覚めた時、一番始めに視界に飛び込んで来たのは、顎から頬全体を髭で覆った中年の男性であった。


 目覚めは最悪だと、辺りを見渡すとリーンには用途が不明だが整理された道具が並ぶので、ここがアイの工房の一室であることに気づいた。


(服は着ている……)


 一人で何やら道具を点検している中年の男性に声をかけ、アイが何処に謂ったのか尋ねる。


「へぇ……親方なら、ナホホ村まで行っていますだ。医者を連れてくるとかで」

「医者? あぁ、そうか。僕を診せるためか。どころで僕の服は誰が着せたのか知っているかい?」

「ここに運んで来たのは親方ですだ。その時には服は着てましただ」


 そうか……と呟いたリーンは安堵の表情を見せる。それは少なくとも、まだ自分がアイに嫌われていないことにだった。わざわざ服を着せに戻りここまで自分で運び入れ医者まで呼びに行く、嫌われてしまってはここまでしないだろうと。


「一層のこと、嫌ってくれたらどれだけ楽か……」

「何か言っただか?」

「いや、何でもない」


 リーンは、おもむろに立ち上がり工房の隅に寄せられていた自分の荷物を見つけると、ごそごそと荷物を漁り始める。

中から取り出した資料に目を通すと、ある項目で、紙を捲る手を止めて眉間に皺を寄せた。


  ──スタンバーグ領の不正──


 内容は見ずに項目だけを見て目を瞑る。

 

(アイに相談しようかと思ったが、やっぱり止めておくか……)


 せめて時が来るまでと、リーンは荷物の奥へと仕舞い込んだ。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 アイが医者を連れて戻って来た時、リーンは工房の中に置かれたサッカーボール大の鏡の前でポーズをつけていた。

斜め四十五度から鏡を見てみたり、エメラルドグリーンの髪の毛を弄ってみたりと、端から見たらナルシストと思われても仕方のないほど夢中で、アイが戻って来た事にすら気づいていない様子であった。


「もう大丈夫そうね」


 アイは医者に謝り、手荷物から手間賃を握らせて帰らせる。


「戻って来てたのかい? それより、この鏡いいね。普段僕が使っているのに比べて曇りもキズも少ない」

「それ、まだ未完成よ。いずれもっと澄んだ鏡にするつもり」

「これで、未完成!? いやぁ、これ十分に王様相手の献上品に使える位だよ! すごいね、君は」


 リーンは裏側を見てみたりと、マジマジと眺め興味深そうに鏡を手に取っている。


「これってもっと大きいもの作れるのかい?」

「えっ!? ええ……いずれはね。それで、どうするの?」

「いやぁ、アイの手で天井に裸で吊るされた自分をこれより大きな鏡で眺めるのを想像すると……ゾクゾクしてくるよ」


 「そんなことしない」と喉元まで出そうになるが、それより前に工房で働いていた職人全員の顔がひきつったのが目に入ってきた。


「い、いや。俺たちは、なぁ、みんな。大丈夫ですぜ、此処にいるみんな、口は固い方です」

「そ、そうだな。親方の趣味に対してオイラ達は何も聞かなかった。それでいいんじゃないか?」

「お、オラ。お、親方になら、一回くれぇなら縛られてぇだ」

「バカ! リーン様がおられるのに、不躾だぞ!」


 口々に、好き勝手、話始めた職人達に対してアイは誤解だと言おうとするも、リーンが先手を取り「内緒にしておいてくれるかな? アイの沽券に関わる」と、職人に混じり誤解を深めていくのであった。


 その後、何度か職人一人一人に話をして誤解を解くまで、アイはリーンと一緒にいるだけで、皆から生暖かい目で見られることとなった。

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