水浴び

 ザッツバード領に移り住むことになったアイとリーンは、ナホホ村の宿に滞在しながら二人で住む家の建設を見守っていた。

とはいえ、リーンも忙しくブルクファルトとザッツバードを行ったり来たりを繰り返すことになる。

その間アイはというと、静養も兼ねていたはずだが、自分の工房を前にしてじっとしていることなど出来るはずもなかった。


 リーンはザッツバード元侯爵領としてブルクファルトから派遣していた者からの引き継ぎなどで三日ほど留守にしていた。


 三日ぶりにナホホ村へ戻って来たリーンは、早速アイに会いたいと心踊り工房の扉を開く。

しかし、そこにアイの姿はなく、何故か冴えない顔をしたオジサンが一人ポツンといた。


「だ、誰だ、お前!? アイは? アイは、何処に行った!?」

「あ、もしかしてリーン様ですかい? 親方なら水辺の方に居ますよ」


 男が湖の方に向かって指差すも、リーンは狐につままれたような気分になりながら、言われた通り湖へと向かった。


 湖の側で、周囲の草花は刈られ平地となった場所の中心にアイの指示の元、複数の男達は従い、石を積み重ねている。

リーンはアイの背後から近づき「アイ」と声をかける。

振り返ったアイの頭にはタオルが巻かれており、服装も芋ジャージのような動きやすいズボンと、とても辺境伯嫡男の婚約者とは思えない。


 そしてリーンは何をしているのかというよりも自分の中で最大の疑問を投げつけた。


「親方って……何なのさ?」



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 アイは、男達に指示を残しリーンと二人、工房へと戻る。その途中、先ほど工房にいたオジサンとすれ違う。アイは彼も工房で働く一人だと話した。


「一体、どういうことなんだ?」


 リーンは工房に戻るや否やアイに詰め寄る。自分が留守にしている僅か三日の間で人を雇い、何かを作り始めたアイのスビードについていけなかった。


「今、作っているのは窯よ。まずは資金を稼ごうって思っていてね」

「お金? お金の心配はいらないって言ったはずだよ」

「それはありがたいけど、これは私の趣味よ。それに趣味とはいえ人を雇う必要がある以上、賃金くらいは稼げないと」


 頑として譲りそうにないアイのポリシーに、リーンは両手を挙げる。


「わかったよ。君の好きにすればいい。ところで窯ということは陶器でも作るのかい?」

「まずはね。知ってる、リーン? この近くに良質な土が採れるのよ。あとはデザイン……ああ、意匠ね。斬新な物を作れば、まず売れると思うのよ。そして、それを元手に、鏡に手を付けようと思っているの」

「鏡? 何故鏡なんだい?」

「ほら、鏡っていってもピンキリじゃない? リーンの実家にあるものも決して映りがいいとは言えないわ。ましてや一般家庭ならなおのことよ。磨きが甘いのよね、きっと」


 アイは今から楽しみだと、本当に嬉しそうでリーンは何も言えずにいた。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 リーンは再び時を置かずしてナホホ村をあとにする。

今度はザッツバード領の中心をナホホ村へと変更するためにだった。


 田舎への引っ越しに難色を示されるがリーンは、自分がナホホ村に居る以上、報告連絡に苦労するのはそちらだと地元有力者に語り、渋々有力者達は家族を残してナホホ村へと移動を開始する。

有力者達の誰もが、単なるリーンのワガママだとしか思っていないが、未だザッツバード侯爵の息がかかった者を、地元から引き離す意味もあった。


 再びアイの工房へ戻って来たリーンは、今度はどんな展開をしているのか楽しみにしていた。

そして、それは予想の更に上を行き、リーンは思わず嘆息してしまった。


 平屋の工房は、隣接する長屋のようにもう一軒増えており、中を覗いて見ると数人の職人とおぼしき男性達が轆轤ろくろを回していた。

しかし、そこにアイの姿はなく、職人の一人に尋ねると一人で湖の方へ水浴びに行ったという。


 リーンは工房をあとにして湖畔をずっと歩いてアイを探し始めた。


「女性が一人で水浴びだって? 万一のことがあったらどうするんだ」


 ぼやきながら歩いていると、パシャパシャと水音が聴こえてきた。


 茂みを掻き分けて音のする方へ向かったリーンは、膝上辺りまで湖の中に入って髪を洗う、一糸纏わないアイの白い背中が見えた。


「アイっ!!」


 急に背後から声をかけられ驚いたアイは振り返るとリーンの姿を見てぱちくりと瞬きして固まる。

勿論、タオルなどなく生まれた姿のまま。


「リーン?」


 アイは状況をようやく把握すると露になった胸を腕で隠しながら悲鳴を上げ、自らも湖の中に隠れた。


「アイっ、君はもっと自覚した方がいい! 僕じゃなかったら襲われてもおかしくない状況なんだよ!」

「ちょ……ちょっと! なんで、リーンまで脱ぎ始めるのよ!」


 リーンに対して背中を見せながらアイは湖の奥へと逃げた。いそいそと服を脱ぎアイと同じく一糸纏わぬ姿になったリーンがアイを追いかけ湖へと入ってきたために。


「ほら、あがろう。アイ」

「ちょっとこっち来ないで!」


 アイは胸を隠した片腕で追い払うように湖の水をリーンに向かってかけるが、怯むことはなくアイへと近づいてくる。


「お、お、お願い……来ないでぇー!!」


 起死回生の一発が入る。


 リーンにだけは、“キンッ!!”と甲高い音が聞こえたであろう──水をかけるつもりで振り抜いたアイの裏拳が命中した音が。


「あ、ありがとうございます……」と、股を押さえながらリーンは湖へと沈んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る