第3話

 少し前に、電車の中でよく見かける男性に、手紙を渡したことがあった。

 今となってはそれも、柳田への思いを誤魔化すため、自分をだまそうとしていただけかもしれないとも思う。


 ちょっと好みのタイプだったし、話したこともないので、相手の欠点を知ることもなく、一人想像の世界で遊んでいただけのようなものだったのかもしれない。他の男を好きなふりをして、そちらにエネルギーを注ぐと、確かに一時的に柳田に焦がれる気持ちは少し抑えられれた。


 しかし、今から思えば、あれは完全なるひまつぶしだった。好きな人ができましたごっこだった。その証拠に、もうあの人のことなど全く気にならない。むしろ、ふってもらえてよかったとも思う。それがきっかけで、柳田と付き合えることになったのだから。


 ごっこ遊びだったとはいえ、完全にその遊びにのめりこんでいたしのぶは、振られた直後はそれなりにショックを受けていた。

(私ってそんなに魅力なかったの? あんなこと書いちゃって馬鹿みたいだった。ああ、恥ずかしい)

 試しに、同じ学部の浜野優作に泣きつこうとしてみた。優作は子供すぎて自分の恋愛対象にはならないと思っていたが、優作が自分を想っているであろうことはそれとなく知っていた。誰でもいいから、慰めてくれる人が欲しかったのだ。

 しかし、予想に反して優作は何もしてくれなかった。

(なんだ、おろおろしちゃってさ。いくじなし)

 しかし、うそ泣きのはずだったのに、そのうち本当に悲しくなってきた。優作と離れてからドーナッツ屋でドーナッツなど食べていたのだが、お腹が満たされると、なぜか虚しさが増していく。


”毎日同じ時間に、同じ電車の同じ場所に乗り合わせている。それって、この広い世界の中で、すごい偶然だと思いませんか?

 一番前の車両、初めはただ空いてるからそこに乗っていました。でも、そこからだと電車の走る様子がよく見える。A駅を出発するとき、すでにB駅が見えてるんです。線路って意外と真っすぐなんだなあ、と私は感動しました。

 いつも同じ車両に乗り合わせる派手な服のお姉さん。あの人、今日は何着てくるんだろうって、そんなことを考えながらいつも電車を待ってるんです。密かに、朝の楽しみになりつつあります。

 そうやっていつも同じ景色を眺めているあなたと、仲良くなりたいと思うのです”。


 自分が書いた文章を思い出し、今度は恥ずかしさで思わずうずくまりたくなる。

 何故手紙など書いてしまったのだろう。自分の胸にだけしまっておけばいい感動を、どうしてどうでもいい人に分け与えてしまったのだろう。毎日があんなにうきうきしていたのに、自分からその日々を終わらせてしまった。

 どの感情から来たのかわからない涙が、スカートの上にこぼれた。


「篠原?」

 苗字を呼ばれ、顔を上げると、そこには柳田が立っていた。

「相席、いいかな。あいにく空席がなくてね」

 柳田はしのぶの涙に気づいていないのか、見て見ぬふりしているのか、いつも通り、ちょっと皮肉っぽい笑顔である。

「はい」

 しのびはどうにか声を絞り出した。びっくりして心臓が止まるかと思った。

 それからしばらく、二人は世間話などをして時を過ごした。


 不思議なもので、柳田が目の前にいると、外面の良さが働くのか、気になる人に会えて気持ちがよくなるのか、赤い目をしながらも、しのぶは普段通りの口調で話すことができた。しかし、

「篠原、コーヒーにレモン入れようとしてるぞ」

「あっ」

 やっぱり本調子じゃないな、と思うと、自然とうつむいてしまう。

「どうした? 単位落としたのか?」

「まあ、似たようなものです」

「よくあることだ、泣いてるとブスになるぞ」

 もし浜野が言ったらぶっとばしているところだが、柳田に言われると、笑顔になってしまうのはなぜだろう。柳田はほとんどサークルに顔を出すことはなかったので、こんなに話をしたのは初めてだった。

 三十分ほど話しただろうか。柳田は突然ちらっと壁時計を見ると、

「後輩とコミュニケーションがとれて楽しかったよ。じゃあ」

 と言った。

 さっさと店を出ていく柳田の後を追って店を出ると、しのぶは思い切って自分の思いを口にした。

「柳田さん。私と付き合ってもらえませんか?」

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