港町

 海が好きだと話したら、へえ、アウトドアなんだねと言われて驚いたことがある。そうか、海ってそういう場所なんだなと思った。私が好きなのは海の立ち居振る舞いなのであって、レジャーのための海ではない。特に冬の海が好きだ。「けいおん」という深夜アニメに、女の子が作詞しにマフラーを巻いてひとり冬の海に出かける光景があって、結構そういうの好きな人多いんだなと思ったことがあったけど、基本的に海といえば夏、一般常識では、アウトドアの海を指すみたいだ。

 私は池袋でしていた仕事を辞めたとき、じゃあもう帰っていいよと午前中に追い出されたことがあった。そんな直ぐに辞められたことは初めてだ。大抵は引き継ぎ作業がどうだの、代わりのバイト探すのがどうだので短くても一週間は辞めさせて貰えない。替えが効く仕事というのもあるものだ。

 それで池袋を彷徨っていた。あまり好きな街ではない。そもそも東京というものが未だに好きになれない。それは都心でも下町でも同じだ。基本的にしっくりこない。というより、人というものが嫌いで、人間が多いのが億劫なんだ。

 その日は寝不足で、眠たかったけれど、アパートに帰るのもなんだか癪で、そのまま池袋の駅前を彷徨っていた。近所に図書館があるみたいで、そこを目指して歩いていた。

 駅前は割合にぎやかだけど、一本脇道にそれるとすっかり閑散としていて驚いた。雰囲気が長崎の港町に似ていて、しかも遠くから波音のような音まで聴こえてきて不思議だった。もちろん私は波音が聴こえてくる方へ歩いた。

 行き着いて納得した。頭上を高速道路が走っていて、その重低音がゴーゴー響いて波音を演出していたのだ。道端にはゴミ捨て場があって、立派な椅子が捨てられていた。潮の匂いまで感じられたけれど、猫のおしっこの匂いのようにも感じられた。

 歩けば歩くほど眠気が増すから、図書館で窓辺の席を陣取って眠ることを考えながら向かった。普段から図書館でそういうふうにして優雅な一日を送ることがある。

 図書館にたどり着くと、都内の図書館とは思えないほど小さな、いわゆる「市民図書館」でがっかりした。なんて小ささなんだろう。自動ドアを抜けると、自分が巨人になったみたいだ。館内にいるのもおじいさんおばあさんばかりだった。私は眠る場所がないのですぐそこを出た。

 普段は恥ずかしいから人の顔を見られないけれど、その日はとても眠たくて、なぜだか人の顔をじっと見ることができた。池袋駅に向かいながら、ほんとうに沢山の人の顔を見たけれど、その中にひとつも好みの顔がなかった。それが不思議だった。

 帰りながら、明日予約した池袋の歯医者のことを思い出した。バイト帰りに来ようと思っていたけれど、あてが外れてしまった。明日、わざわざ歯医者のために、夕方池袋に来るのだと思うと、うんざりしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る