既視

 どんよりした曇りの日だった。公園で本を読んでいるとぽたぽた降り始めた。私は慌てて本を閉じ、もうしばらく営業していない床屋の軒を借りた。雨はすぐにざーざー降りになって、私は困っていた。二十メートルくらい遠く、古い電話ボックスに珍しく若い男性が居て、電話で話していた。私は手持ち無沙汰でそれを眺めていた。雨が振り始めると、騒がしくなっている筈なのに、余計にしんと静まり返ったような気分になるのはなぜなんだろう。

 男性は受話器を置いたのに、外を眺めるばかりで出ようとしない。男性は傘を持っていなかった。

 空はどんより、夏の通り雨というわけでもないし、もうしばらく止まないぞと空を見上げながら考えた。でんぷん糊のようにべたーっと張り付いた鈍い雲が、背後から光を浴びてぼうっと光っている。ところどころ黒ずんでいて、それがこの雨の独特の

匂いの原因なんじゃないかという気がする。

 電話ボックスに閉じ込められた男性を気の毒に思っても、私だって床屋の軒に釘付けだ。ネズミ捕りに引っかかったネズミと、鳥かごに閉じ込められているオウム。目の前をレインコート着たママチャリが通り過ぎていった。

 それから十分くらい経っただろうか、電話ボックスに若い女性が近づいてきた。白い傘を差しながら、左手に黒の傘を携えていて、コンビニの袋も持っている。私はひそかに裏切りの寂しさを感じた。ようやく解放されるのか。

 見ていることに気づかれないくらいの横目でその姿を眺めていたが、女性は傘を二本差して、電話ボックスから出てくる男性を濡れないようにした。男性は何やら手間取っているように見えた。ボックスの中に松葉杖が二本立て掛けてあって、それを使って外に出ようとしていた。

 両手に松葉杖をついて出てくる男性と、自分と彼に傘を差す女性。その態勢のまま私の方まで歩いて、そして私の前を通り過ぎていった。雨の日はこんなとき億劫なんだと思った。

 その翌週、空は先週と同じようにどんよりと曇っていて、私も先週と同じように本を読んでいた。曇っている日でも、妙に明るい日というのがある。そういう日は晴れている日より明るくすら感じられる。世界がコンビニエンスストアに変わってしまったみたいな気分になる。

 ふと、先週見かけたカップルが、男性は前と同じように松葉杖をついていて、女性は閉じた二本の傘を杖のように地面に突いて、楽しげに会話しながら私の前を通り過ぎていった。

 私はそれを眺めながら、遠い昔にもこんな光景を見たことがあったような気がしていた。

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