3

 私はどうやって家に帰ったのか分からなかった。

 ただあのアルバムに載っていた「彼女」の顔が目に焼きついて離れなかった。

 その晩、奇妙な夢を見た。


 暗い、暗い、暗い夜。星ひとつ見当たらない。ただ、欠けた月がひとつ、やっとの光を作っている。風が吹いて、たくさんの木がざわざわと騒いでいる。

 水がそれに合わせて波音をたてている。まるで、泣いているみたいに。

 ここはあの池だ。

 池の淵に手をついて池の中を覗いてみた。けれど、映るはずの顔が映っていなかった。代わりに、映るのはずのない満天の星が水面の空に映っていた。

 誰かが、その星空を泳いでいた。とても、とても気持ちよさそうに。目が合った。


――コッチニオイデ。


 靴を脱いだ。ほんの少しだけ、足を水につけてみた。

 冷たい。

 瞬間、世界が反転した。


 水中に木が生えている。違う。自分が空に逆さまに浮いているんだ。水の中の空に。そして池の淵から生えている雑木林を見下ろしている。

 首を上に傾けると幾万の星――が目の前に広がった。


――キレイデショ。


 後ろから声がした。振り向くと同い年くらいの少女がふわふわと浮かんでいた。

 目の前にいるのに顔がよく見えない。


――一緒ニ行コウ。


 どこに?

 声に出したはずなのに、言葉は出なかった。代わりに水の響くような音が出た。

 少女は私の腕を取って泳ぎだした。泳ぎながら、こちらに振り向いて、にこっと笑った。


――次ノ"街"ヘ。


 次の街――どこかで聞いたことがある。どこだっけ? まぁ、いいや。次の街はどんな所だろう。いいところかな? 早く着かないかな。


 それに気づいたのか、少女の泳ぐ速度が上がった。


――モウスグダヨ。


 うれしくて顔がほころんだ。

 私たちは池の深みへと泳いでいった。


――行っちゃダメだよ。


 少女のされるがままになっていると、上のほうから別の声がした。振り向くと、雑木林側の池の淵から別の少女がこちらを覗いていた。

 どうして? 私は聞いた。また水の音が響いた。


――あなたはまだこの街から出てはいけない。


「あの子」はそう答えた。

 いっしょにいこうよ。

 水の音を響かせながら、私は「あの子」に手を差し出した。しかし、「あの子」はかぶりを振った。


――私はもう次の街に着いちゃったから。でもあなたはまだ行っちゃだめ。分かるでしょ?


 私は急に怖くなった。そうだ、まだ行けない。行きたくない。私は腕を掴んでいる手を解こうとした。が、少女の力が強すぎて全く解けない。

 私は少女のほうを見て言った。やっぱり、まだ行けない。腕を放して。

 少女はかまわず泳ぎ続ける。お願い! 私は懇願した。前方に虹色の光が見えた。もうすぐ着いてしまう!

 私は無我夢中で腕を引き剥がそうとした。引っかいたり、叩いたりしていると、少女がゆっくりとこちらを向いた。今度は少女の顔がはっきり見えた。


――"街"ヲ見テミタイッテ思ッタクセニ。


 恨みと悲しみの目をして、少女は言った。

 少女は腕を放した。

 その瞬間、私は大波にさらわれるように「彼女」からどんどん離されていった。それと同時に、視界もどんどん小さく、暗くなっていった。


 遠くで「彼女」の声が響いた。


――マタ、迎エニ行クカラ……。

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