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それから数日、私はあの少女のことが頭から離れなかった。
あれは誰なんだろう……。
母はおばさんから事情を聞いたのだろう、私に、しばらくあの公園に近づいてはダメだと忠告した。
しかし、私はどうしても気になった。
私は母の目を盗んであの池に近づこうとしたが、母は勘が鋭く、私が行こうとする度に目ざとく注意した。
「あそこは人が一人死んでるのよ。なぜそんなところに行きたがるの?」
私は、あそこで見たことを母に話そうとしたが、おばさんの時のように、どうせ信じないだろうと思い、やめた。
変わりに学校の図書館に行くことにした。
今日は土曜日だが、私の小学校では、図書館は校舎と別館になっていて、休日でも利用できるようになっている。
図書館には誰もいなかった。司書の先生も職員室にいるのか、今は姿が見えない。
まるで、この間の公園のような状態だった。
私は、例の本が置いてある棚に向かった。
本を探し当てて、中を開いてみると、あのページにしおりが挟まっていた。
よく見たら、それはしおりではなく貸し借りカードだった。
カードには表いっぱい分の名前が書かれていたが、名前は二人分しかなかった。そのうちの一人は「あの子」だとすぐに分かった。
彼女の名前は下の方に四つ並んでいた。つまり四回借りたということだ。
――四回も借りるなんて、よっぽど好きだったんだなぁ……。
私はカードが挟まっていたページに目をやった。
そのページには他の文章も書かれていたが、あの部分だけ光っているように見えた。
私はカードの方に目を戻した。
「あの子」の名前以外には一人しか名前がない。
『○○○○』
「彼女」の名前は貸し借りカードのほぼ三分の二を占めていた。
――この人誰だろう?
私は貸し出しの日付欄を見てみた。
「『平成○○年六月十五日』。もう十年くらい前だ」
私は本を脇に抱えて卒業アルバムが並んである棚に向かった。
その中から一冊だけ引き抜いた。
生徒の集合写真のページを開くと「彼女」の名前を探した。
――あった。
「彼女」の名前は二クラス目の一番右端に載っていた。
写真の方を見ると、彼女は確かに写っていた。
しかし、それはクラスメートと一緒ではなく、ページの右上の枠の中で、である。
その時、私が自分の背筋が凍りつくのが分かった。
この顔――。
全身の血の気が床に吸い取られていくようだった。
間違いない。
肌の色こそ違え、この人を恨むような悲しむような目は、あの時池で見た少女と同じだった。
しかし、現実にはそんなことあり得ない。
この写真が撮られたのは、およそ十年前。普通の人ならもう大人になっている。
でも、あの時見た少女はこの写真の姿のままだった。
その時、いきなり図書館のドアが音を立てて開いた。
私は驚きのあまりアルバムと本を床に落としてしまった。
「なんだ、人がいたの。そんなに驚くことないでしょう」
ドアを開けたのは司書の先生だった。図書館に通っていた私にとっては馴染みの先生だ。
「休みの日にまでここに来るなんて、よっぽど本が好きなんだねえ」
先生は笑いながら私の方に近づいてきた。
私は驚きすぎて、電池が切れてしまったみたいにぴくりとも動けなかった。
先生は私の側まで来ると、落ちていたアルバムと本を拾うと、私のほうに差し出した。
「ほら、本は大事にしてあげなくちゃダメでしょう」
「あ、は、はいっ……」
私は先生の声で我に返り、本を受け取ろうとした。
しかし、その時先生の手が止まった。
「あれ? この本……」
そう言って、先生は本をパラパラとめくりだした。
「あの子が好きだったのよね。よく借りてたのを覚えてるわ」
「あの子って、この間亡くなった……?」
「ん? そういえば『あの子』も好きだったわね、この本。でも、もう一人これが大好きだった子がいたのよ」
先生は「彼女」の名前をあげた。
「あたしはもう十年以上ここに勤務してるけど、『彼女』ほど本が好きな子は見たことがなかったわ」
先生は懐かしがるようにページをめくっていった。
ふと、先生は手を止めて私の手の中にあるものに視線を移した。
「そういえばそれ、『彼女』の時の卒業アルバムじゃない。どうしてあなたがそんなものを?」
私は先生にカードを見せて説明した。
「それで、その人のことが気になって……」
「確かに、これだけ一冊の本にそんなに名前が書かれてあれば気になるわよね」
先生は笑いながらそう言った。
「あの……」私はずっと気になっていたことを思い切って先生に聞いた。「その人、今はどうしてるんですか?」
すると、先生の顔が急に暗くなったような気がした。
「死んだわ。ここを卒業する前に。白血病で」
「白血病」は確か保健の授業で少しだけやった記憶がある。
どんなのかは忘れたけど、かなり重い病気だったはず……。
しかし、私には、それよりももっと引っかかることがあった。
――死んでいた。しかももうずっと前に……。
「本当は、『彼女』が入院してるときに、あたしがこの本をあげようと思って持っていったんだけど、『彼女』が、他にも読みたい人がいるかもしれないから、って言って受け取らなかったのよ。
だから今もまだここに置いてあるってワケ。ああ、悪かったわね、こんな話して。あなたは関係ないのに……」
先生はうつむいていた私を慰めるように言った。
私が話を聞いて落ち込んでしまったと思ったようだ。
しかし、実際、私は落ち込んではいなかった。
私の頭の中はあの時のことでいっぱいだった。
「それじゃ、あたしは職員室にいるけど、あなたも早いうちに帰るのよ」
そう言って、先生は出て行った。
しかし、そんな言葉も今の私の耳には入ってこなかった。
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