朝日奈

1

   死ぬことは眠ること。

      眠ることは起きること

         起きることは歩くこと。

            歩いて次の街へたどり着くこと――。



   街



 「あの子」が死んだ。

 自殺だったらしい。

 私は「あの子」と同じ学校だった。でもそれだけだった。

 クラスも違うし、特に親しかったわけでもなかった。

 ただ、唯一の共通点は、放課後、必ず図書館に行くということだった。図書館で本を少し読んでから帰るということ。

 だから、お互い話したことはないが、顔は知っていた。

「あの子」は紺のセーラー服が良く似合っていた。それは覚えている。

 一度だけ、「あの子」と話をしたことがある。

「あの子」が探していた本を、ちょうど私が読んでいたのだ。

 その本の中には、「死」について書かれてあるところがあった。

「あの子」はその部分が好きらしい。

 なぜ好きなのかと私が聞くと、

「書き方が印象的。すごく共感できる」と答えた。

 私は彼女にページを教えてもらいその部分を読んでみた。



『死ぬことは眠ること。眠ることは起きること。起きることは歩くこと。歩いて次の街へたどり着くこと』



 私はその時ははワケが分からないと思った。

「あの子」は続けた。

「それを読むと、ちょっと死んでみたくなる」

 私は怖くなって本を彼女に押し付けて、その場から逃げ出した。

 それから「あの子」とは会わなくなった。

 図書館に行ってもすれ違いになるらしく、「あの子」の姿は見えなかった。


 それからすぐだった。「あの子」が死んだのは。


 私はそれを聞いて驚いた。

 まさか本当に死ぬなんて……。

 私は気になったので、彼女のお葬式に出席した。

 彼女は本当に死んでいた。

 なんでも学校近くにある公園の池で浮かんでいるのを発見されたらしい。

 靴が綺麗に並べられていたので、自殺と決められたそうだ。

 そこの公園は整備が行き届いているので、その池も底が見えるくらい綺麗だった。

 大人たちは、綺麗なところで死ねて幸運だった、などと言って互いを慰めあった。

 自殺の原因は未だに分かってはいなかった。

 しかし、私には分かったような気がした。

 私は彼女の顔を覗いてみた。

 眠っているようだった。

 その時、私はあの本の意味を理解した。


 私はその公園に行ってみた。

 あんなことがあったせいか、公園には私の他に誰一人いなかった。

 私は池の方へ向かった。

 池は公園の入り口からまっすぐ行った、茂みの向こう側にあった。池のさらに向こう側には雑木林が立ち並んでいた。

 大人たちにはいつも、あの林には近づいてはいけないと言われていた。

 私は池の淵にしゃがみ込み、池の中を覗いた。

 池の中は澄んでいて底の土色が見えたが、今日は天気が良く、日の光が池に反射するので、自分の顔や空ばかり写って、中はよく見えなかった。

 私は池の中に手を入れ、かき混ぜるしぐさをした。

 水は波を立て、私の顔をかき消した。

 私はあの本の言葉を思い出した。

「死ぬことは眠ること。眠ることは起きること。起きることは歩くこと。歩いて次の街へたどり着くこと」

 口に出して言ってみた。

 そうしたら、なぜか「あの子」の気持ちが分かった気がした。

 ちょっとだけ死んでみたくなった。


 その時、急に後ろから声がした。

 私はびっくりして後ろを振り向いた。

 私にはなぜかその声が「あの子」声に聞こえた気がした。

 そこには、近所のおばさんが立っていた。

 そのおばさんは、私の母と仲がいいので、私とも顔見知りだった。

 おばさんは買い物帰りなのだろう、スーパーの袋をぶら下げていた。

 買い物の帰りにこの公園の前を通ったときに、茂みの間から私の姿を見かけたので声をかけたのだという。

 おばさんは私に言った。

「そんなところで遊んでいると引き込まれちゃうわよ」

 おばさんは、私が早く帰るよう、少し脅しをかけたのだろう、言ってる割には顔はそんなに怖がってはいなかった。

 私はおばさんの言葉には答えず、視線を水面に戻した。


 その時、水の中から声がした。


――次の街に連れていってあげる


 それと同時に池から手が伸びてきて、私の腕をつかんだ。

 私はとっさに声も出なかった。

 おばさんはどうやら、何も答えない私にあきれて、先に行ってしまったようだ。

 私は必死で足を踏ん張って、腕にしがみついている手を払いのけようとした。

 しかし、払いのけようとすればするほど、腕を握る手の力は強くなった。

 それでも私は懸命に抵抗した。

――ここで落ちたらきっと助からない。


 私はそう直感した。

 私は渾身の力を込めて手を振りほどいた。

 しかし、勢いが余って、私はキャッと声を上げて地面に尻餅をついてしまった。


 目を開けた私は確かに見た。

 鼻より下を水面に隠し、目をまん丸に見開いた水草の様な長い髪をした女の子の顔が

 私を見つめながら沈んでいくのを。

 その目は、悲しんでるようにも、私を恨んでるようにも見えた。

 ほとんど見えなかったが、女の子の肌は苔が生えたような緑色で、半分ほど腐ったようにどろどろしていて、今にもくずれ落ちそうだった。


 私は呆然としていた。


 その時、後ろからさっきのおばさんが駆け寄ってきた。

 さっきの私の悲鳴が聞こえたらしい。


「大丈夫? 怪我はない? どうしたの?」


 おばさんの言葉に私ははっとして我に返り、答えた。

「誰かが水の中から私の手を引っ張ったの!」

 おばさんはそれを聞いて顔をしかめた。

 到底信じられなかったからだろう。水の中に誰かがいるなんて。

 おばさんは水草にでもからんだ拍子に足でも滑らせたんだろう、ぐらいにしか思っていなかったのだ。だ

 から、私が驚いて動転してるだけだと思った。おばさんは私に、出来るだけ安心させられるよう優しく微笑んで言った。

「だから言ったでしょ? きっとあの子に呼ばれたんだわ。早く帰らないからよ?」

 しかし、私はおばさんに向かって叫んだ。

「違うの! 『あの子』じゃなかった! 『あの子』じゃなかったんだよ!!」

 私の心臓はうるさいくらい早鐘を鳴らしていた。

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