第58話

「テーブル席が満席でごめんね。辛かったら凭れていいから」


 丁度一條と壁に挟まれる場所だと思いつつ、壁に手をついてゆっくりと腰を下ろす。杖を預かったのだか取り上げられたのだか、その横に居た人事部長の梶に無言で手の届かない所へと置かれた。

 前には羽柴と、その隣にクリエイティブ部部長の皆上。来るのでは無かった等と思っていれば一條からお絞りを渡される。


「今日は奢りだから遠慮しないで食べて良いわよ。空木って肉好きでしょ?」

「どう考えたってこの面子で楽しんで食える訳無いだろ…」

 皆上がにこりと笑いながら楚良へと告げれば、隣の羽柴が呆れた様に呟いた。指先を清めていた楚良が表面上はとんでもないと首を振る。

 本当にせめて他に一般社員がいれば良かったのだが、この場所に呼び出されるなんて絶対楽しんで食事でもとか言う話では無いだろう。


「お言葉に甘えてしこたま食べておく事にします。このグレードのお店にはなかなか来られません」

 もうなんだかどうにでもなって良い気がして、残り物だろうか肉の皿などが近づけられていて、言葉が終わる前に一條が赤身の多い肉を金網にのせていた。

「空木はたまに肉食系だよな」

「たまにではなくいつも肉食なつもりなのですが…」


 いつも楚良の隣には羽柴か鳴海が座るところだが、一條が自分の隣を確保してしまったのでは仕方が無い。鳴海と神内、そして梶と陰島が隣のテーブルに緩く座っていれば、大きめの机だというのに狭さも感じる程だ。

「飲み物は?」

「アルコール抜きでも良いですか?ウーロン茶で」

 一條の隣に座っている梶に声を掛けられて傍らにあった飲み物用のメニューを手に取り、その中を確かめつつ告げれば、一條がそのメニューを脇から取った。


「カフェインは構わないのか?」

「そんなに影響は無い筈です」

「カルピスウォーターで。炭酸も駄目だよね」

「医者に止められたものは無いのですが、もうお任せします」


 閉じられたメニューが楚良の背中越しにメニュー立てに返されて、梶が軽く溜息を吐きつつ手元にあったタブレットを手に取り手早く何かを操作する。

 肉が焼ける前にキャベツを目の前に置かれて隣の一條を見上げてみたが、肉ばかりは駄目だよとあっさりと言われて悲しい気分でキャベツを手に取り口に運ぶ事にした。

 そう言えばバイク通勤の鳴海は兎も角、一條の前にもアルコールが置かれていないのは何か体調でも悪いのだろうか。


「それで空木、いきなり本題に入るんだけど食べながら聞いて」

「はい」

 好きな物を好きなだけ食べても良いのではと言いかけたが、それよりは二人の遣り取りに視線を向けていた皆上が喋る方が先だった。

 話の内容によっては肉も野菜も胃の中に入らなくなりそうだと、其方へとキャベツを置いて向き直る。


「四月から羽柴の後釜に納まるつもりない?」

「無いです」


 最早これは話の内容を精査する気もない様な即答だなと思えば、羽柴と鳴海は相変わらずで、部長連中に言わせてしまえばそれなりのプレッシャーの中で良く言ったな、である。


「もう少し考えてやれ。羽柴を営業に戻そうかって話があってな?」

「空席が出来るとしても鳴海主任がいるじゃないですか…、キャリアや実力を考えても鳴海主任が候補筆頭で、次は法堂さんか藤木さんでは?」

「お前の方が適任だろうが」

「鳴海主任は自分が逃げたいからって適当言い過ぎです」


 てっきり辞職を求められるのだろうかと思っていれば寧ろ自分には予想できないタイプの話で、絶対に嫌だとばかりに首を振る。

 脇から掛かった鳴海にも珍しく反論して、そろっと網から肉を取っておいたが咎められなかった。


「でも役職なら残業し放題よ?」

「兎に会えなくなるので嫌ですというのはさておいて、それなら名前だけの役職で対応していただきたいです。流石に羽柴課長の後は重すぎます」

 残業は良いのか等との羽柴の突っ込みは聞かなかった振りをして肉を口に運べば、とても美味しくて会話の内容が一瞬薄れる。だがここで適当にはいはいうんうんと頷くわけにはならないと、楚良が首を振った。


「何故そんな判断になったのか分かりません。…もし父が――――」

「それは違う。少なくともあそこで勅使河原が暴露するまでは、あの部屋にいた人員だけで止まっていた。……そこは誤解するな」


 もう考えられる事は父が圧力でも掛けたのだろうかと口に出そうとした瞬間、一條の横の梶から声が掛かって、意外そうに楚良が瞬いた。

 あの話はとっくにそれこそ全ての人間とは言わないが、上の方へと筒抜けか、営業部としては利用したい話ではなかったのかと。


「それに四月からだ、学ぶ時間はまだある」

「どちらにしろ勤続一年未満ではどうしようもありません。何でそこまで鳴海主任を上げたくないんです?」

「本人の意思で」

「それなら私も本人の意思です。どう考えても私より鳴海主任の方が適任ですし、説得も楽だと思ったのですが…」


 肉を食べていたと思っていれば焼き野菜がのせられていて、会話の真剣さとは裏腹にこの野菜は隣の男のせいではないだろうかと思えば、溜息が漏れる。

 それでもやはりここで上司相手だからと怯んではいけないとばかり、鳴海の方へと視線を向ければもりもりと肉をご飯で食べていた男が視線を向けた。


「お前は父親の圧力で昇格したんじゃないかと疑っただろ」

「――――…そうですが、それが…?」

「俺は父親の圧力でここが限界だ。これがお前の様な事実無根なら良かったんだが」


 溜息と共に一度箸を置いた鳴海が、近くに置かれていたウーロン茶らしきグラスを手に取って口の中へと流し入れる。それを聞けば、思わず楚良も黙り混んだ。彼の親は芸能人だと、確か羽柴から聞いた覚えがある。

 間違っても自分から話すなんて思って無かったという表情で部長連中と陰島は見ているし、難しげな顔で一條が眺めているし、羽柴はまあそういう事だなとか言っているし。


「なら法堂さんや藤木さんは」

「それがデザ課の奴らは皆お前で良いんじゃ無いかって話になったんだよな。今日午前中に色々話してたんだが、お前以外は全員俺みたいな働き方は出来ないってんで」

「全部羽柴課長のせいじゃないですか…」

 朝誰よりも早く出てきて誰よりも遅く帰るどころか帰っているかどうかも怪しいなんていうのは、そんなものを見ていれば確かに嫌だ。嫌すぎるし、楚良も嫌だ。


「働き方を改革して下さいよ。流石にこの早さの昇格は嫌です」

「ちなみにお前がうんと言わずに居ると、神内の専務昇進も無くなるし陰島の部長昇格も無くなるし、勿論羽柴の営業課移動も無くなるがそれでも断ってくれるのか?」


 梶が告げるその台詞に、それこそ楚良は箸を取り落としそうになって一條越しにビールを傾けている梶を窺った。

 コレは上層部によるパワハラではないかと思ったが、今からスマホを取り出しての録音なんていうのは認められるのだろうか。


「何でそんな話に…。脅されているのに誰も助けてくれません悲しいです」

 隣の名目上恋人に声を掛けて見たが、一條は視線を向けてから小さく溜息を吐いただけだ。これは諦めてとでもいう方向なのか。


「勅使河原をねじ込んだのね、副社長だったのよ。副社長の娘さんが、っていうのが正確な所なんだけど、もう昨日から上は地獄でね」

「何といいますか疫病神で済みませんでした」

「良いのよ、副社長の自業自得なんだから。娘の結婚相手に何れ役職を任せようとか社長に黙って勝手に考えてたみたいだし、社長ブチ切れでカンカンだし、まあ即辞職はないけど社長の知り合いの会社に左遷みたい」


 それで専務から繰り上がりなのかと思えば、何となくの違和感。軽く首を傾げた楚良が皆上の方へと視線を向けた。


「これはただの興味なのですが、皆上部長が専務には昇格しないのですか?」

「今クリエイティブ部に部長に上がれる人間はいないわよ。まあ私も実務が好きだからってのもあるわよ。でも貴方も分かってると思うけど、無理矢理羽柴を課長に置いてた時点で察して。正直この状態じゃ、羽柴が営業に行けるのは最後のチャンスなのよ」


 つまり人が居ないから他の部署から引っ張って来るのは不可能だし、鳴海は上がれないし、平社員は満場一致で楚良でいいと言っているしで自分に声が掛かったのか。

「陰島の席が空くから主任に入れられるし、一條が今まで通りフォローしてくれるみたいだから」

「お前も嫌だろうが俺も嫌だ」

 一條を抜かす形になる陰島が溜息を吐きつつ告げれば、なら止めてくれれば良いのにと思って楚良の眉が下がる。


「羽柴の移動を好き勝手に出来るのって今しか無いのよ、営業と人事が断れる立場じゃなくなってくれた訳だし。勅使河原に好きにさせたし、営業資料の件でもその前の件でも一番に疑ったのが無実の空木で、その上刺されたって事になっちゃうとね」

「それで私の昇格というのは…原因は私の訳ですし」

「寧ろ残業代取り消しだからなお前の場合。先月鳴海の倍だったぞ」


 皆上と羽柴に畳み込まれる様に告げられ、また楚良の口が閉じた。役職付きは残業代がほぼ見込みだが、そこまでとは楚良も思っていなかった。神内は是非受けてくれとの顔で見つめているし、一條は無言だし、味方が居ない。

 楚良がこんなに返事に時間を掛ける理由など、上長を経験してきた者達には詳しく聞かなくてもよく分かるし寧ろ快諾しない方が評価が出来た。


「お前を引っ張ってきたのは俺だからな。感謝してるなら受けてくれ」

 完全に箸が止まっている楚良が落とす沈黙に、羽柴が声を掛ければ楚良の瞳が其方へと向いた。

「…課長は、やはり営業の方へと行きたいんですか?」

「今の環境も悪くは無いんだが。先月一條が無茶しただろ?その時に俺ならもっと上手くやれるみたいに思ってそれから駄目だ。無理矢理やらされてる感も出てきてな」


 羽柴はセンスも抜群に良いし、クライアントの要望を拾い上げる才能があると思うが、それが必ずしも希望に合致しないという良い例だと思う。

 勿論その才能は営業としても業界的に活かせるものだと知っているから余計に諦めきれないし、楚良個人に言わせても勿体ない。


「時間を下さい。流石に即答出来ません」

「一日とは言わないから一月終わりまでに返事くれればいいわよ。それこそ会社外の人間にも相談してみなさいね。親御さんとは言わないけど、ご家族でもいいから」

「有り難う御座います」

「一條は口出すなよ」


 神内が告げる言葉に一瞬楚良が瞬いて隣を見上げれば、珍しく一條が苦い表情をして楚良から目を逸らして肩で息を吐いた。


 三匹目の兎を迎えたいのは知っているだろうし、これ以上会社に時間を取られる訳にはならないと知っている筈なのに殆ど口を挟まない一條は、この言われ様では一応反対の立場を取って楚良が此処に来るまで色々と阻止しようとしてくれたんだろうと勝手に思って置く。

 勿論実力不足は理由としては一番大きいのだろうと楚良は思うが、それを補っても皆が落ち着く人事を構築してモチベーションを保つというのは大事なのも分かるし、上の人間の移動はなるべく少なくしたいというのも理解できる。


 それでも大きな会社でもあるし、自分の職務経験や若さを考えれば快諾できる話ではない。副業の方にも差し支える。


「ま、ゆっくり考えてくれ。羽柴以外は殆ど昇進か据え置きだからな、副社長以外は誰も責任取るどうこうの話じゃないってことも忘れないでくれよ」

「じゃあ後は若いのに任せて、私達は行くわね。羽柴、今日の支払いはいつも通りでお願い」

「来年に領収書を持ち越すなよ」


 部長3人がそれぞれ腰を上げれば、見送りに立たなければと楚良が机に手を突いて、しかし皆上に座ったままで良いと言われて迷いながらもまた腰を落ち着かせた。

 若いのといっても楚良は兎も角、そこまで年齢が離れているという訳でもないと思えば、やはり部長というのは実務に重きを置かれているのだなあと思う。その彼らが自分を課長にと言うのは、何となく彼らにもリスクが高い賭けではないかと思う。


 3人の姿が見えなくなってしまえば、鳴海と陰島がそれぞれ場所を詰める様に皿を持って横へとずれ、楚良も一度飲み物へと口を付けてから置いていた箸へと手を伸ばした。

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