第15話 後

「空木の好みのタイプってどんな奴だ?兎は無しな」

「いきなり答えを潰されたのですが」

「いくら兎フェチでも人間に興味が無いわけじゃないだろ?」


 陰島も酔っているのかそんな質問が降って、本当にどう答えるべきなのだろうかと楚良が首を傾げる。

 兎の好みなら立て板に水で喋れるが、人となると本当に難しい。


「異性というカテゴリでいうと…実際興味がないので何とも。私と一緒に兎を大事にしてくれる方なら後は望みません」

「まあお前は恋愛モチーフに7回も没出したからな」


 答えを迷うというよりも最早答えとして色々放棄したものを告げた瞬間、後ろから声が掛かって楚良と一條が同時に振り返った。

 いつの間にかそこに羽柴が立っていて、彼女の仕事を暴露しながら楚良と一條の近くに座り込む。


「鉄人にもダメな分野があったんだな?」

「主任で止まってくれて良かったです。自分でもあれはどうかなと思いますので」

「その後兎に対する思いを込めてやれって言われて出したイラストが一発で通ってたわね」

 デザイン課の人間に流れを詳しく説明されて、思わず楚良が両手で顔面を覆って俯いていた。

 こういう内情はそれこそ飲み会ぐらいでしか明かされないから、営業にしてみればいい酒の肴なのだろうと思うが。


 一條が不意に胸の辺りへと手を添えたのは、僅かなスマホのバイブ音がしたからか。彼が立ち上がり空いた席へと羽柴がこれ幸いと尻を移して、楚良が何かグラスをと瞳を机の上へと向ける。


「しかしお前も思い切ったな。前園の紹介だったんだろ?」

 他の社員に聞かせない様にする為か、やや低めた声で陰島が問いかければ羽柴が机に頬杖を突きつつ、やっと立ち直ったらしい楚良からグラスを受け取った。

 二人の邪魔になろうかと間に座る形だった楚良が場所を空ければ、察した羽柴がまた動いてそこへと入り、楚良は去ろうとする前に手を引かれて元一條の席へと落ち着く。


「元からちょっと変わった奴を探してたのはあるんだが、あの時は本当に即日働ける奴が必要だったんだ。前園が事務所閉めるっていうから一人くれとは言ったがな」

「潰れた理由が持ち逃げだったんだろ?そこは疑わなかったのか」

「寧ろ調べ上げられて、そっちじゃないって言う方は疑い様が無いだろ?もう一人は前園と結婚するとか言い出すし、若すぎるとは思ったんだが他に探してる余裕も無かった」

 そう言う経緯があったのかと楚良が思うが、実際無理矢理取るというのなら行き遅れ、もとい、余り物の自分でしかないとは思うが。


「それでChevalierを取ったんなら掘り出し物だろ」

「前園が問題は本人より使う方って言ってたのはそう言うアレなんだろうな。まあ、まさか恋愛モチーフなんて一般的な物が苦手だとは思わなかった」

 びくりと後ろで肩を震わせている楚良に寧ろ聞かせているのだろう、現に羽柴の唇には笑みが浮かんでいて、それが楚良から見えないだけだ。


「それ以外は使い勝手もいいな、印刷所のあれこれが完璧に入ってる奴はお前の所にも中々居ないだろ」

「だからお前達は空木にチェックを任せたがるのかよ」

「仕事も早いし漏れもないだろ?」

 最近営業から名指しの指名が入ると思った、と、軽く羽柴が溜息を吐いて自分の手でグラスへとビールを注ぐ。


 その後ろで楚良がちまちまとグラスに唇を付けていて、二人の話は耳に入っているものの相変わらず邪魔はしなかった。

「こいつは充分オーバーワークなんだ。そういうのはお前達でやってくれ、兎に会う時間が減って死にそうだぞ」

「お前がしっかり割り振っとけば良いだろうが」

「無茶ばかり押しつけるくせに何言ってる、バランス良く割り振っても一條やらお前らやら、好き勝手空木に寄ってくるくせに」


 本当にと溜息を吐き出してぐらりと傾いた羽柴が横の楚良へと凭れ、思わず肩でそれを受ける形になった楚良が瞳を向けた。


「ちょっと何ですか重いのですが」

「酒の席なんだ我慢しろ」

「他の方の目が痛いんです」

「もうまともに覚えてる奴なんていない。大体な、お前のせいで俺までオーバーワークなんだ、少しは労ってくれ」

「頑張って上司の羽柴課長が調整して下さいね」


 笑いながら陰島がそれを眺めて居て、楚良は特に羽柴を振り払ったり下ろしたりはしなかった。多分彼女は、女に対しても男に対しても同じ様な対応しかしていないのだろうと言うのが何となく分かって、凭れ掛かっている羽柴本人が息を吐く。


「なあ、…お前。産業医に――――…」

「羽柴。酒の席だからって近すぎるよ」


 凭れ掛かる羽柴から凄まじい酒の香りがすると、酔っているのか其方を伺おうとした瞬間彼の言葉を遮る様に声が掛かって、また楚良が顔を上げた。

 見れば電話を終えたのか戻って来た一條が真顔で二人を見下ろしていた。まるで我が家の兎が怒っている時の様だと楚良の脳裏に過ぎったが、流石はコンプライアンスに厳しい営業課の課長だと思う。


「空木さん今から会社戻れる?羽柴は彼女から離れて」

「――――……何で俺をすっ飛ばして空木を連れ出すんだお前」

「どう見たって羽柴が動ける状態じゃないからでしょ。鳴海も寝てるし」


 電話からのこの言葉は何かトラブルだと直ぐに察した楚良が、丁寧に羽柴の頭を外してからするりと立ち上がり文句も理由も無く自分の鞄の置いてある辺りへと小走りに駆けて、支えを無くした羽柴が机に腕を突いた。


「俺も行く」

 一度大きく息を吐き出した羽柴が身体を引きずり上げる様にして立ち上がって、彼女の後ろへと続くその足取りはやや怪しい。一條にしてみれば此処で寝ていて欲しいが、その遣り取りをしている時間も惜しくテーブル近くの鞄へと手を賭けた。


「どうした何かトラブルか」

「類似パッケージが先に出たみたい、悪いけど此処宜しく。鳴海が起きたら会社戻る様に言っといて」

「了解した、タクシーの手配はいつもの所使って良いんだよな?」

「最悪会社の仮眠室だけど、鳴海と羽柴が帰るなら残り1だし期待しない方が良いと思う」


 営業の人間も数人を除いて死屍累々だし、多分若い方には色々と飲みたい理由もあった事は否定しないが。

 本当にまともに動けるのがデザイン課では楚良だけだというのは、色々と説得力のある状況だからと息を吐く。

 気付けばもう楚良の姿は部屋から消えていて、羽柴も同じ様に部屋から抜け出すその背中を追いかける様に一條も部屋を去る。


 課長二人に構って貰って嬉しそうなんて言われて居たから本当は羽柴には残っていて欲しいものだが、色々と彼が聞きそうにはない。

 一條は意図的に酒の量を減らしていたし、楚良も兎を理由に殆ど飲んではいない様だったからこうなるのは当たり前なのかもしれないが。


「羽柴、仕事しに帰るんならちゃんと歩いてくれないかな」

「仕事しに帰るとは言ってないだろ」

 店の入り口の方へと出れば楚良が店員にごちそうさまでしたと告げていた頃で、羽柴の姿に気付いて彼女もまた溜息を吐いた様だった。


 その小柄にまた凭れ掛かろうとしていた羽柴の襟首は一條が捉えて後ろへと引いておく。ぐえ、等と蛙の潰れた様な音がしたが気にしない。


「何かあったのですか?」

「ナナホシ覚えてる?」

「確かお菓子の。チップス系でしたよね」

「他の会社の新商品でテーマ被りだったんだって。パッケージ差し替えたいって連絡があって、こっちも全部変更みたいだから」

「――――……それは、…情報が漏れたんでしょうか?」


 此処から会社までは歩いても然程ではないし、そもそも繁華街の中程でタクシーも捕まりにくいと歩くことに決めた3人が歩を進めながら楚良が聞けば、楚良を中央に羽柴の反対側に居た一條が軽く首を左右に振る。


「そうじゃないよ、食品メーカーはたまにある事だから心配しないで」

「季節で内容も被るしな」

 大抵のトラブルには全く動じない彼女が珍しく不安気で、一瞬その理由を考えかけたがすぐにそれへと至った。先程までも話題に出ていた彼女の前の事務所はそれこそ、社員の持ち出しで全壊している。

 一條の言葉を補足する様な羽柴のそれにも、彼女のやや力の入った指先が緩んだ様だった。


「それなら良いのですが。……羽柴課長大丈夫ですか?」

「酔いが醒めるまでその辺に座ってても構わないよ?」

「自然に俺を置いて行こうとするな。お前達二人だけで会社にやれるか」

「何を警戒しているのか知らないけど、仕事に戻るだけだからね?」


 ふらりと一歩横へと逸れようとした羽柴が倒れない様にと、楚良が手を伸ばしかけたがその身体は何とか持ち直して楚良が手を引っ込めておく。

 それを眺めて居た一條の呆れた様な声に羽柴が半眼を向けた。


「何となくお前達の間は怪しいんだ。俺の勘がそう言ってる」

 勘、と彼女が呟く様に告げれば一瞬だけ一條が瞳を細める。その勘は正しいよとは言ってやる気にならない。例え正しくとも片方には全くその気がないのだろうから。


「じゃあ聞くけど、僕達の間に何かあったとして、何で羽柴が口挟むの?」


 歩きながら問いかけた一條に思わず楚良の眉が寄って其方を見上げたが、彼の視線は羽柴の方へと向けられたままだ。

 身長差もあれば楚良がその視界の中に割って入る事は出来ない。


「空木さんはもう成人してるし、僕も彼女も既婚者じゃない。社内は恋愛禁止でもないし仕事に影響が出ないならプライベートで何しようと羽柴に関係無いでしょ」

「…こりゃ驚いたな。適当に流すかと思ったら真っ向勝負かよ」

「羽柴がしつこいからだよ。これ以上絡んで来るなら同じ事仕返してあげようか、うちの女の子で。羽柴相手に噂を流したら障害もないだろうから喜んで乗っかってくれるよ」


 周りから怪しい怪しいなんて言われて、本人にも聞こえる場所で言われてしまえば彼女は会社では口をきかずに居ましょうねぐらい言いかねない。

 もし同じ事をすれば楚良と違って満更でもない反応をしてくれるのだろうが、其方の方が羽柴には良い薬になりそうだと告げて見れば、大仰な舌打ちが彼の方から返ってきた。


「営業に空木を持って行かれるとコトなんだ、ちょっとした牽制だろ」

「そこまで恩知らずじゃないし羽柴がそういう事言い出すから誤解されるんだよ。本当に反省して」


 彼の勘が良いのは分かったが、だからといって彼女に無駄に距離を取られる理由にもならない。大体兎にしか興味が無いと可愛い事を言っていたなら尚更で、その無防備さに他の男を近付ける気さえ無くなった。


「そんなに怒らなくていいだろ…」

「彼女に対する噂を考えたら、面白がって首突っ込んできた羽柴はもう少し怒られた方が良いと思うよ。寧ろ上司としては消そうと努力する立場だよね?」

 また課長二人と消えたとか彼女が言われかねない状況を作ったのは彼だし、折角会社で二人になれる機会だったのに、等と不埒な事も過ぎらないでもないから羽柴は間違ってはいないのだろうが。

 そもそもにデザイナーに口で負ける訳にはならないので。


「流石に課長が可哀想になってきました」

「君は優しすぎるよ。その気もない別部署の上司との仲を酒の肴にされるなんて、もう少し怒っても構わないよ」

「私が色々言うより一條課長が言った方が効いた様ですので。有り難う御座います」

「お前そいつを庇わない方がいいぞ。酒の席でよっぽど疑われそうな事言ってたしな」


 一條の方へと向いて軽く頭を下げている楚良に羽柴がお返しとばかりに告げて見れば、え、と小さく彼女の喉から声が上がって一條の方へと瞳が向く。


「君からの好意がないって再確認しただけだし、それ以外言ってない」

「水島の事を女として見てないって言った口で、あんな事言ったら誰でも疑うだろ」

「何言ったんですか一條課長は…」


 高い笑い声が上がったり黙り込んだりと何やら落ち着きのない会話が展開されていたなと思い出せば、本当にどんな事を言い合っていたのかには興味がある。

 そもそも女性に対しては柔らかな言葉を選ぶ一條が強い否定をしたのは、余程酒でも入っていたか何か事情があったのか。


 酒の香りは羽柴と違って殆どしないし、彼は上長の立場として他部署の人間を庇わなければならなかっただけだろう。兎仲間としての好意もその中にあったとしたら、申し訳ない。


「別に私は何を言われても構いませんから。何も言わなければ噂も立ち消えますよ」

「デカい組織を舐めるなよ?しかも若いしな、案外爆発的に広まるもんだ」

「仕事と関係のない内容で脅されましても。課長のお二人が否定して下さっていれば充分だと思いますが」


 皆さんお暇なんですねとは危うく口から漏れなかったが、確かに仕事が忙しく娯楽に乏しい組織だとそうなるのだろうか、それとも容姿の問題で一條が特別なだけだろうか。

 出来れば会社ではそれなりに距離を取りたいが、仕事を円滑に進める為には色々と問題もあるし。Chevalierから手が離れまいかと思ったが、あれ程の上客を自分から手放すなんてただの馬鹿だ。


「私とまで噂にされてしまうなんて、一條課長は今までご苦労なさっていたんですね」


 本当にどうすれば自分は彼に相応しく無いと分かるのだろうかと思う楚良とは裏腹に、本当にどうすれば彼女は自分に振り向いてくれるのだろうと思っているのが一條で。

 彼女には今までの常識は一切通用しない。甘い言葉を囁いて抱き寄せたとしても、結構ですとばかりに後ろ足で全力で蹴る兎そのものの動きで逃げられるのだろう。

 そう思えば前途は多難だ、恋のモチーフは描けないくせに兎を対象にすれば一発だなんて、彼女に兎の様だとでも思われるしかないのか。


 未来図が多難すぎて頭が痛い、酔いのせいにしてしまいながらも、心のどこかでそれでもいつかと思って居る。そう願う心が余りにも強欲に感じれば彼女との差を思い知らされて、また一條は深く息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る