さよならの前に

岩田八千代

第1話


 山は死んだように静寂に包まれている。

 木々の葉が風に揺れることもなく、動物の気配も感じない。

 暗闇の山道は街灯も乏しく、こんな夜を歩かなければいけないことが田舎の憂鬱なところだった。この道を抜けると、もうすぐ墓地が近い。それが最も嫌だった。

 幽霊なんて信じやしてないが、暗い道で墓地の横を歩くことは気持ちの良いものじゃない。それにこの道は朝には蛇がよく出るのだ。

 進学するにしても就職するにしても、早くこの田舎から出たいと思う。墓地と蛇だけで私にとっては充分すぎる理由になる。

 虫の声だけが聞こえる。真の闇と静寂。まるで違う世界に連れていかれるのではないかという錯覚。

 夜は人を変な気持ちにさせる。高揚感であったり孤独感であったり。神経が昂るから怖い夜のお墓も余計怖く感じるのかもしれない。


 私の家は山の中にあって、学校や街まで二十分くらい歩いてバスにも乗る。

 集落からも少し離れている。ここに住んでいた亡くなった祖父が偏屈な人間だった。祖父が亡くなり、父と離婚した母は実家へ戻ってきた。私はまだ小さかったから人で育てるのが大変だったのだろう。それでも、こんな辺境の地に住まなくても、とは思う。

 田舎の閉鎖的な空気が苦手だった。都会に住んだことがないから都会のことは分からないけれど、人間関係が希薄だと聞く。理想的ではないか。都会の方が人は孤独になれる。孤独を厭わないわけではないが、濃密な人間関係は疲れる。少し放っておいてほしいと思う。

 バスに揺られ、夜道を帰りながら、行ったことがない都会に思いを馳せる。ここより星空は見えないだろう。でもそれが何だというのだろう。


 家に帰ると母が開口一番に、

「鮎樹(あゆき)、ケータイ見なかった?」

 と問うてきた。

 母はスマートフォンのことをいまだにケータイと呼ぶ。意味は通じるので特に気に留めない。

「歩いていたから見てないけど」

「美里ちゃんが帰ってないかって坂上さんから電話があったから、鮎樹会ってないかと思ってメールしたんだけど」

 坂上美里というのは私のクラスメイトで、小学校の時から一緒だった。私の学校は過疎なのでクラスは一クラスしかなく、ずっと一緒だったが特別仲が良いわけではなかった。田舎の閉鎖的な空気は閉鎖的な人間関係にあると思う。

 しかし、もう七時過ぎるというのに中学校からも近いところに住んでいる美里が帰っていないというのは、大して親しくなくとも心配な案件だ。冬も近い今、部活だってそんなに遅くまでやってないし。

 スマフォを取り出すと、母からラインで「美里ちゃんがまだ帰ってないらしいの。鮎樹会ってない?」と文章が書かれていた(僻地でも電波は届く。場所によって電波が入れないこともあるが)

 結局美里は一週間行方不明となり、一週間後に神社の裏の井戸の近くで遺体となって発見された。


 女子中学生が不審死を遂げて、M町は騒然となった。最初のうちはマスコミもたくさん来たし、警察が事情を聴きに学校まで来ることもあった。クラスの人数も少ないので私たちも話を聴かれた。

 刑事さんと話をするのは生まれて初めてだった。禿頭の中年のおじさん刑事さんと比較的若いが草臥れた印象の刑事さんの二人に、面談室に呼び出されて一人ずつ話をする。取り調べみたいだな、と警戒していたが禿頭の刑事さんの方が「これは取り調べじゃないから」と一言前置きをして始まった。

「一週間前、坂下里美さんに何か変わった点はなかった?」

「特に思い当たりません。特別親しかったわけでもないですし、そんなに話もしませんでしたから」

「クラスの人数が少ないのに」

 これは草臥れた若い刑事さん。

「人数はそんなに関係ないと思いますが。周りの人数が少ないと親しくなくても会話するものですか?」

「まあまあ。じゃあ、坂下さんはいつも通りの様子だった?」

「私にはそう見えました」

「他のクラスメイトや学校の人で何か変わった様子の人はいなかった?」

「いないと私は思います」

「そっか。ありがとう」

 話はこの程度で終わった。


 九人しかいないクラスは、この非日常に浮かされた様子だったが、クラスメイトの死にがあまりにも不謹慎だということは子どもでも分かることなので、浮かれていることは誰も口には出さなかった。

「昨日俺んちにも警察来た」

 翌日バスから降りて、学校を目指していると幼馴染の秋谷終夜(しゅうや)が興奮気味に話しかけてきた。終夜も里美と同様、中学校から近くに住んでいる。里美よりはよく話をする間柄かもしれない。

「捜査に何か進展があったみたい?」

 中学生が『捜査』という言葉を使うのは、テレビドラマや小説の話題だけでいいな、と思いながら。

「いや、その辺警察は話してくれなかった。もしかして疑われているのかな、俺」

「子どもには話さないのかもしれないし」

「子どもって言うなよ」

 私は励ましたつもりで言ったのに、『子ども』というところが引っかかったらしい。難しい年ごろなのだ、私たちは。

 閉鎖的な土地で中学生が死んだ。新聞やテレビのワイドショーのほうが詳しく事件についてやっている。それがどうも、事故死ではない可能性があるそうだ。何かその根拠があったということなのだろう。

「でも、なんであの日里美はあんなとこにいたんだろな」

「自分で行ったんじゃないなら、誰かに連れてこられたとか?」

 口に出した候補は当たり前すぎて、自分の浅慮さに嫌気がさす。

「誰かって誰にだよ」

「犯人とか」

「犯人って、鮎樹は里美が誰かに殺されたって思っているのかよ」

「だって、警察だってその体で調べているんでしょう?」

 終夜は何とも言えない嫌そうな顔をして、

「こんな狭い町で誰かが殺したとか考えたくないよな」

「外部犯とは考えられない?」

「里美を狙ったのなら、ここに詳しい人間しか考えられなくねえか? 里美が外の人間と親しいとは考えられないし」

「そんなことないよ。SNSとかで知り合った人とか、いろいろ考えられるじゃない」

「だとしても、全然土地勘のない場所で人を殺せるか?」

「それは分からない。人を殺したことないし」

「元も子もないことを言うなよ」

 終夜は呆れた。

「この町に住んでいる人間じゃなかったら、どうしてあの林の奥に神社があることを知っている? あの神社へ続く道は奥まっていて気付かないんじゃないかな」

「それはそうだけど……。でもグーグルマップには載っているんじゃない?」

「そうかもしれないけど。探すの苦労しそうだけどな、あの藪の中」

 素直に認めたくない。この町に殺人犯がいることを。学校内や大人たちが不安から少しずつピリピリしていることを。

「警察には頑張ってもらいたいよな」

 終夜は生意気そうにそう言った。

「そうだね。その意見には素直に賛成する」

 私も気持ちは一緒だった。


 里美はモテるタイプに見えた。すごく可愛いというわけでもないけれど、こんな田舎でもどこか垢ぬけていて、中学生なのに妙にセクシィだった。口さがない大人は痴情の縺れというようなことを言っていたが、最近まで里美が誰かと付き合っていたという話は、私は聞いたことがない。私のような周囲の環境に鈍感な人間でも過疎地の閉鎖的な空間では、それくらい知ることになるだろう。だから、不自然なのだ。

 もしかしたら、いたずら目的でそのまま殺されたのかもしれない。しかし、そんなことを里美の両親に訊ける筈もなく、事実は分からないまま半月が過ぎた。犯人はまだ捕まっていない。


「里美ちゃんのお葬式、ご両親すごく可哀想だった」

 急須で淹れた緑茶を飲みながら母は言う。

「鮎樹も、ほんとに気を付けるのよ。女の子なんだから」

「分かってるって」

 その手の心配を親からされるのは何だか居心地が悪い。しかもこれから向かう場所のことを考えると。

「じゃ、行ってきます」

「暗くなる前には帰るのよ。行ってらっしゃい」

 家を出る私の背中には母の視線をいつまでも感じていた。


「鮎樹。待ったか?」

「ううん、大して」

「よく親が許したな」

「ここに来るって言ってないし」

「マジかよ。まあ俺もだけどな」

 私は虫よけスプレーを取り出して自分に振りかけると、終夜にも渡した。

「サンキュ」

 二車線の道路の端を終夜と二人で歩く。私たちが目指すのは里美が殺された神社だ。

 四百メートルくらい歩いた先を右に曲がって獣道に入り込む。草が生い茂り、噎せ返る緑の馨りが肺腑を染める。甘い匂いはどこかで花が咲いているのかもしれない。葉に隠れてこちらからは見えない。

「制服では来られないところだな。女子だったら脚が痒くなりそうだ」

「そういえば里美は制服だったの」

「そうみたいだ」

「脚痒くしながらここを歩いたのかな」

「じゃねえの? スカートの下にジャージでも履いてないととてもじゃないけど歩けなさそうな草の背丈だと思うけどな」

 一理ある。私も今は私服でジーパンを履いているから、気にならないがスカートなら入っていこうとも思わない草場だろう。

 苦労して越えた草場は数メートル程度で、すぐに所々が欠けている石段に辿り着いた。足元に注意して登っていく。石段が時々傾いているので非常に登りづらい。今日は曇っているので木々の葉の隙間から差す陽光は弱かった。もっと陽が落ちると寒くなるだろう。

 息が上がりながら登って上まで辿り着くと、神社の横には意外な人物がいた。まさか人がいるとは思っていなかったのですごく驚いた。

「条川(じょうかわ)先輩……」

 条川昌彦先輩は、中学三年生で生徒会長をしている。成績もいいし品行方正。格好はジーンズにポロシャツとラフだったが、いつも掛けている眼鏡が冷たい印象を与えた。

 条川先輩はこちらをちらりと見るが、表情は特に変わらなかった。クールなのはいつものこと。

 条川先輩の足元には花束が置いてあった。オレンジのガーベラにカスミソウの控えめなそれは、死者への手向けだと悟った。

 条川先輩は里美の亡くなった場所に手を合わせに来た。里美と条川先輩がそんなに親しかったのだろうか。そんなことを訊ける雰囲気でもなく(条川先輩はいつもの不機嫌そうな顔をしていた)私たちはただ黙って突っ立っていた。

「お前たちも里美の供養に来てくれたのか?」

「え、あっはい! そうです」

 反射的にそう答えたが、こちらは花束ひとつ用意していない。

 条川先輩は眼鏡の奥で私と終夜を探る目で見つめていたが、そのうち、

「じゃあ、また学校で」

「はい、お疲れ様です!」

 終夜がちょっと変なことを言ったが、条川先輩はクスリともせずあの急勾配な石段を下りて行った。

 条川先輩が立ち去ると、神社の境内は急に静かになった。いや、もともと静かだったが妙に静寂が耳につく。

「里美と条川先輩って付き合っていたのかな?」

 私は思った疑問を口にした。

「さあ、聞いたことないな」

 終夜もその態度からして知らなさそうだ。

「じゃあ条川先輩の片思いだったとか? じゃなかったら、こんなところまで来て花なんて持ってこないよ」

「確かにな」

 里美は首を絞められて殺されたそうだ。私たちはそのことを後々知った。性的暴行は受けていなかったらしい。そのことが条川先輩にとってせめてものだと思った。殺されてしまってせめてものもないな、と思いながら。

「じゃ、この辺調べてみようか」

「お前、探偵にでもなりたいの?」

「探偵になりたいかどうかは難しい問題だけれど」

「難しいのかよ」

「事件の真相は早く知りたいと思っているよ」

「ふうん。まあ俺は暇つぶし的感覚で来ただけだけどな」

 私たちは用意した軍手をはめると、その辺を物色し始めた。

 里美の遺体が発見されたという井戸の周辺は特に変わったものはなかった。警察の人間が捜査し終えているので、沢山あって足跡の判別はつかない。神社周辺は荒れ果てているので、もみ合いになったことも素人には判別できなかった。

 私が古井戸の中を覗き込んでいると、草の根元を丹念に見ていた終夜が声を掛けてきた。

「鮎樹、なんか分かったか?」

「ドラマの探偵みたいに何か変わったことを見つけるのは難しいことが分かった」

「それな。俺もそう思う」

 今日は収穫なしか。諦めのムードの中、終夜が何か気付いた。

「おい、これちょっと見てみろよ」

 神社のすぐ隣の樹のむろの中に何かが入っている。紙切れだ。

「警察の人はこれに気付かなかったのかな」

「それも変な話だと思うけど」

 取り出してみると、ルーズリーフに書かれた手紙のようだった。

「なんて書いてある?」

「紙が湿っていてインクが滲んでいて全部は読めない」

 万年筆ででも書かれたのかもしれない。濃い青のインクで『夕方五時に』『待っているから』という文字が辛うじて読み取れた。

「これ、里美に宛てられた手紙? それとも里美が書いた手紙か?」

「里美の字とは違うと思う。あの子、もっと子供っぽい丸い字書くもん」

 読み取れたインクの文字は大人のように角ばっている。里美の字ではないことは彼女の字を見たことがあれば気付く。

「この手紙、警察に提出したほうがいいかな」

 終夜が心配そうに言った。彼は結構気が小さいところがある。

「でも、私たちがここに来たことも追及されないかな? 興味本位で来たこと怒られそう」

 私は予め用意していたビニール袋にその手紙を丁寧に入れると、それをリュックに仕舞った。

「証拠品、一応持って帰ろう」

「ホントにいいのか?」

「今回の事件と関係あるかどうかもまだ分からないし。それに警察に届けないとは考えてないよ」

「そうか」

 終夜は心底安心した顔をした。

 しばらく井戸の周りを探索していたら、

「なんか雨降りそう」

 と終夜が空を眺めた。

「そう?」

「雨の匂いがする」

 私も嗅いでみると、湿っぽい緑の濃くなる香りがした。

「降りだす前にそろそろ帰ろう」

 私と終夜は急いで山を下りた。


 帰りは少し雨に降られた。折り畳み傘を忘れたことを後悔しながら、家に入りすぐにシャワーを浴びる。母はまだ帰っていないようだった。パートに行っているのだろう。

 シャワーを浴びて、髪から滴る雫をタオルで拭い、窓の傍に立つ。雨は強く窓ガラスを叩いている。雨が弱いうちに帰って来られて良かったと思いながら。

 途中で別れた終夜は無事に帰れただろうか。神社からはうちのほうが近いから途中に家に寄ってもらってタオルの一枚でも貸してあげればよかった。終夜とはよく話すが、お互い家に行くほどは親しくない。微妙な距離感。でも私はそれでいいと思っている。おそらくは終夜も。子どもの頃から親しくて、今更近づくことも遠ざけることも考えられないくらいに近くの距離にいた。何でも話せる気軽な距離感。その距離は、別々の高校に通うようになったら変わるだろう。同じ高校でもこの閉鎖的な環境を出たら変わってしまうだろう。そんな簡単に壊れる距離。

 高校といえば、条川先輩は東京の高校を受験するらしい。先輩は頭がいいから多分すんなりと合格するだろう。

 雨の所為で外から光が入らず、部屋の中は暗かった。カーテンを引くと、部屋の電気をつけた。まだ午後だというのに。

 条川先輩と里美の関係。正直全然ピンとこなかった。狭い学校で誰々が付き合っているとかそういう情報は聞いていなくても入ってくる。それでも知らないということはそれが嘘だということか、私がよっぽど周囲に無関心かということだ。

 自分のことを顧みると、誰かと付き合うとか全然想像ができない。一人が気楽すぎて、友達のコイバナにもあまり楽しく参加できない。典型的な喪女まっしぐらだ。

 翌朝、バスを降りると終夜が待っていた。

「どうしたん?」

「なんか家の中が、ちょっとな」

 曖昧な言い方が気になり追及する。

「そんな言い方じゃ分からないよ」

「親父がなんか珍しく荒れてるんだ」

「そうなの?」

 終夜のお父さんは小学校のキャンプの時にも来ていたことがあるから知っている。大人しそうなおじさんだという記憶くらいしかない。

「おじさん、たしか役場に勤めているんだっけ」

「そうだけど」

 終夜がおじさんのことを『親父』と呼ぶのがなんとなく微笑ましかった。

「そういえば、昨日神社の樹のむろで見つけた手紙は持ってきたのか?」

「いや、部屋に置いてきたけど」

「警察には持って行かないのか?」

 昨日から妙に警察に持って行くことを勧められる。

「うん。じゃあ持って行くよ。そんなに気になる?」

「まあな」

 終夜はそこで顔を背け、こちらを見ずに頷いた。私はそのことに特に気にも留めなかった。


 学校の授業は相変わらず退屈だった。でも、生徒数が少ないのであからさまにサボることもできないし一生懸命聞いているふりをしなければいけない。せめて、好きな小説を読むくらいのサボり方ができたらいいのに、と思いながら先生の話を聴いているふりをする。

 欠伸を噛み殺す。日常は退屈だ。


放課後帰り支度を始めていると、

「鮎樹ちゃん、さっきの数学の分かんないとこ教えてくれる?」

「分かるところだったらいいけど」

「ありがとう!」

 九人しかいないクラスメイト、長野彩(あや)は眩しい笑顔で答えた。同い年だけど体が小さくまるで妹のように可愛い。私に妹はいないけどいるならこんな感じかな、と夢想する。

 彩が訊いてきた問題は無事に答えることができた。

「鮎樹ちゃんはホントに数学得意だよね。羨ましい」

「彩だって社会とか暗記物すごい得意じゃない。私は苦手だから羨ましいよ」

「ふふ」

 笑った顔が年よりさらに幼く感じさせる。

「そういえばさ、里美ちゃんの事件まだ進展ないみたいだね」

 内緒話をするように顔を近づける彩。

「それなんだけどさ。里美と条川先輩って付き合っていたりする?」

 彩は目をまん丸くさせて驚いた顔をした。

「そんな話は聞いたことがないよ」

「そうだよね」

「条川先輩って目立つから、そういう浮いた話ならすぐ周りに伝わりそうだけど」

 これだから田舎は嫌だ。閉鎖的で。

「でも、どうしてそんなことを訊くの?」

と問いかける彩に、私は正直に、

「条川先輩が里美のところに花を持って行ったのを見たの」

「じゃあもしかしたら条川先輩の片思いだったのかもね」

 ふふ、と笑う彩はチャシェ猫みたいに目を三日月にさせる。

「条川先輩って女子に人気あるんだよね?」

「えーでも一部の女子にだよ? うちの学校クラスの人数少ないし。騒いでいるのは条川先輩のクラスの姫崎先輩くらいじゃない?」

「ふうん」

 姫崎(ひめさき)恭子先輩はこの田舎の過疎中学の中で一生懸命お洒落している女子だ。ここでは派手と言われがちだが、多分都会に行ったら霞んでしまう程度の派手さだろう。むしろ里美の方が垢ぬけている分可愛いかもしれない。

 私はここで、条川先輩が里美のことが好き(かもしれない)ということを他の人に言っても良かったかと考え始めた。口止めはされていないが、公に口に出していいか微妙な話題だと思う。一度誰かの耳に入ってしまえば人の口に戸が立てられない。早まったかな、と若干後悔していた。

「あれぇ? 条川先輩の片思いについては誰にも言わない方がいい感じ?」

 ニコニコして彩は聞いてくる。

「うん、そうかな……」

「なんで花を持ってきたことを鮎樹ちゃんが知ってるかは追及しないけど、今度七辻屋のみたらし団子おごってね」

「いいよ」

 団子くらいならお安い御用だ。

「じゃあまたね。お団子のこと忘れないでね!」

 パタパタと彩が教室を出て行った。

 教室には私しかいない。生徒数が少ないから、机も少なくがらんどうといった感じだ。

 私はラインで終夜にまた神社に行ってみないか、と誘ってみた。でも、

「悪い、行けそうにない」

 部活で忙しいのだろうか、終夜は捕まらなかった。この日、私は神社に行くのを諦めた。私の捜査意欲はその程度しかない。

 まさか本気で探偵になりたいだなんて思わない。なれるわけないとも思う。興味本位でしかない。ちょっと『スタンド・バイ・ミー』みたいな冒険がしたかっただけだ。日常は退屈だから。


 数日後の土曜日、終夜は用事があると言って先に帰ってしまい、私は一人でもう一度現場に行こうとして神社に向かって歩いていた時(制服姿なのでジャージのズボンは予め持ってきていた)終夜のお父さんとすれ違った。

 話をするほど親しくもないが一応会釈くらいはする。向こうも私に気付いて会釈を返すとそのまますれ違って行った。

 妙だと思った。この道は神社にしか行かないのに終夜のお父さんが歩いている。何をしに神社まで行ったのだろう? 私も人のこと言えないが怪しすぎるじゃないか。

 その日は特に収穫もなく、私は帰ってから終夜に神社の近くでおじさんに会ったことをラインで伝えようかと思ったがやめておいた。なんとなく言わない方がいい気がしたからだ。本能、というのだろうか。終夜には知らせないほうがきっといい、そう思ったのだ。

 翌日、終夜のお父さんは里美殺しで逮捕された。


 おじさんの逮捕で小さな町はまた騒然となった。でもマスコミで報道されている内容は殺害の動機については詳しく伝えられていなかった。だから私たちも本当のところを知ることはできなかった。

 おじさんが逮捕された次の日、終夜は学校を休んだ。

 私も、終夜になんて声を掛ければいいか分からなかった。でも友達が辛い状況にあるというのをそのまま見逃していいのか。意を決して、ラインを送る。

『終夜、大丈夫?』

 返事は割とすぐに来た。

『正直あんまり。大分ショックデカいから』

『今日会わない?』

『俺たちか』

『うん』

 数分してから、

『分かった。でもあんまり他の人に会いたくない』

『じゃあ裏庭公園に行こうか』

 裏庭公園というのは、正式名称ではないが私たちが呼んでいる呼称で、中学校の隣の小学校の裏にある小さな公園のことだった。事件が起こってから子どもたちが遊びに来ることはなく、人通りが少ない。

 私と終夜は夕方公園で落ち合うことを決めた。


 夕方は大分寒かったから、私は暖かい格好をして家を出た。母は心配していたが、犯人が捕まったことで少しは安心していたみたいだった。

「終夜くんのお父さんが犯人だったなんてねえ。世の中物騒ね」

 その話はあまりしたくない。そそくさと家を出る。

 自転車を漕ぐ。暮れなずむ空は燃えるように赤い夕陽で、心がざわざわする感覚がする。

 裏庭公園には終夜が先に来ていた。

「先に来てたんだ」

「うん」

 少しは待つことを覚悟していたので少々驚いた。

 夕陽に照らされて、終夜の顔色は分からない。でも疲れているように見えた。あまり寝てないのかもしれない。

「…………」

 私は呼び出したはいいが何を話せばいいか分からず、隣のベンチに座った。ベンチは上着を通してもひんやりする感触がお尻に伝わった。

「詳しいことは何も話してくれなかった」

 呟くように終夜は言った。

「多分、痴情の縺れ? 的なやつだと思う。あの樹のむろの手紙とか、父さんが書いたやつらしい。どっちから惚れたとかは知らないけど」

「そう」

 終夜は頭を抱えて悲痛な声で、

「ホント勘弁してくれよなー」

 小さな町で親が殺人を犯した。そのことが意味するところが分からない年齢ではない。

 顔を上げて振り向く。

「俺、引っ越しするわ。母さんと」

「そっか」

「母さんの実家の名古屋行く」

「うん」

「ここから大分離れちゃうな」

「そうだね」

「寂しくなるな」

「そうだね」

「お前、『そうだね』しか言ってねえな」

「そうだね」

 なんて声を掛けられるだろう。傷ついている友達に掛けられる言葉が思いつかない。

「鮎樹、泣きそうになるなよ」

 そう言う終夜の方が泣きそうになっている。でも終夜はこのまま泣いてもいいと思った。

「俺は大丈夫だから」

 終夜の瞳から、ポロポロ涙が零れた。夕陽に照らされて、赤い雫が綺麗だなと思ったけどそんなことは言わなかった。

 終夜が泣いていることに気付いていないふりをしながら、ずっと隣で座っていた。

 せめて夕陽が暮れるまでは、傍に。


 次の日には終夜はもう学校には来なかった。速やかにこの町を去って行った。この先の人生、終夜が幸せになってくればいい。立ち直らなくてもいいから、また笑えるようになってほしい。そう強く願った。


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さよならの前に 岩田八千代 @ulalume3939

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