言葉の力

 透たちは次の日の朝を早めに起きた。


「みんな、起きてる……?」

「起きてます……というか全然眠れませんでした」

「私も……」


 目をつむっているだけで、ほとんど眠れなかった。

 早起きの理由は物部が黒幕だという事実を明るみに出したかったからだ。証拠はあった。超能力ではなく、物的な証拠があった。

 透のガラケーの中に物部の供述が録音されていた。


『よくまあやるわ……自分の命に危険が迫ってるのに』

「これ、どうやったんですか?」

「これ? 発煙筒を二本投げ煙幕を張った後に逃げられないのであれば死んでも証拠を残そうと思って録音機能を起動させてから咄嗟に服の下に隠したの」

『骨がある子ね』

「タコじゃないからね」


 果敢にもナイフより証拠を優先する英断。その録音をマルコがパソコンでちゃちゃっと編集し、交通事故の件を物部の声だけで残したデータにし、一枚のCDに焼いた。平穏な生活のためにも脅迫文と誘拐は握りつぶした。

 後は封筒に入れて職員室に誰にも気付かれないようこっそり置いてこようとそう考えていたが、学校へ着いた頃には事態は思わぬ方へ転がっていた。

 すでに物部は事件の容疑者になり指名手配されていた。その理由は全く間抜け極まりなく、彼女の愛車が現場付近で多く目撃されていたからだった。あの独特なシルエットが仇になった。旧校舎全焼事件については防犯カメラが証拠となった。


「現代社会では超能力者でも完全犯罪は難しいんですね」

「透視能力の目よりも防犯カメラの目のほうが怖いのね」


 また独身男の不審な行動も仇となった。物部は捜索願を届け出なしで独身男に単身で行わせようとしたため、不審に思った同僚が調べてみると違法行為が発覚。他にも芋釣り式に不祥事が後から後から出てくる出てくる。

 結局のところ、透の捨て身で勝ち取った証拠は必要がなくなってしまっていた。予定を変更し全部握りつぶすことにした。

 学校全体は騒然としていた。物部に関するニュースが飛び交っていたが透個人にとってそれよりも重要で身近な事件が立て続けに起きていた。

 馬詰が急に転校してしまったことだった。

 これについては煌から説明を聞いた。元々、双方の家は近所で仲が良かったが娘同士の問題が発覚すると馬詰家は早々に土尾家に謝罪しに行き、お詫びに転勤と転校をその場で決めたらしい。両親同士顔を合わせづらいだろうし溝が深まる前に距離を取るのは賢明な判断だと言える。

 急な転校なのにクラスメイトは消えた担当教師の噂で持ち切りだった。仮にも馬詰はクラスの中心人物だったが彼女を気に掛ける生徒は一人もいなかった。


(哀れ馬詰。転校先ではせいぜい大人しく過ごせよ)


 事件は立て続けに起きる。次の日には今度は煌が転校することになった。

 馬詰の急な転校の件では煌も負い目を感じていた。どちらかというと本人にではなく、その両親にだった。子供同士の問題に親を巻き込んでしまったことを悔やんでおり、自分だけが今の学校に留まるのが申し訳なくなった。理由はそれだけではなく、彼女の超能力である発火能力を研鑽してより深くコントロールできるようになるという意志を固めていた。今までは臭いものを蓋を、見て見ぬふりをしていたが、ついに直視する決心ができたのだった。

 転校先は国内唯一の超能力研究開発機関を母体とする優秀な超能力者だけが入ることを許されたエリート校だ。

 転校する前日には馬詰の転校の件と一緒に煌からその話を聞いた時の話だ。


「良かったら透ちゃんも来ない? 一緒のクラスにはなれないかもだけど、きっと将来のためにもなるんじゃないかなって」


 転校を誘われてもいた。嬉しい好意だったが透はこの話を断った。透視能力者の将来的価値は低い上に、超能力者全体の割合も多い。透視能力者としては能力が高い透なら合格する確率は五分五分だったが、


「授業料が高い上に寮代も都心物件並か……全額免除になるためには勉強、超能力とも主席のみ……う、うーん……ごめん、煌には悪いけど」

「ううん、いいの、気にしないで。こちらこそ急に無理言ってごめんね」

「興味はなくはないんだけど……やっぱりお金がなぁ……お金だよ……」


 透はこの一週間半で超能力に対する態度が変わりつつあった。煌と同じく超能力と向き合うようになっていた。

 自分は超能力があるものの無力で非力な存在だと思っていた。しかし身近にとあるお手本を見てから、自分にも許された力があるのだと思えるようになっていた。



 煌が転校した次の日。平日最後の金曜日。

 次第に生徒たちは落ち着き始め、日常を取り戻し始めていた。

 そしてこの日はマルコが留学を終え、帰国する日だった。この日だけは元から予定された通り、ささやかなお別れパーティーが開かれる。マルコは透から引き剥がされクラスメイトと一緒に写真を撮られたり、頬を弄ばれたりする。


「マルコちゃん行っちゃやだよー! ずっとこのほっぺ触ってたいよー!」

「もっとおはなししとけばよかったー!」


 透は遠巻きから眺めるだけで特に介入しなかったが、何となくマルコに必要以上に接触する女子生徒の顔を覚えていた。

 閉会間際、別れの挨拶をするためマルコは登壇した。教壇に手を置くと包帯が巻かれていた。


「マルコちゃん、その手、大丈夫?」

「どうしちゃったの、かわいそう」


 手に巻かれた包帯を心配する者が多くいた。


「あ、大丈夫です。ピーラーで指を切っただけなので」

「それだけで手をぐるぐる巻きにする……?」

「外したほうが良くない?」

「これがいいんです。これで」


 とりあえず多めに包帯を巻いとこうという透の不適切な処置だったが、彼にとって何よりの武勲の証だった。ちなみにこの後まるで骨折した運動部員のギブスにサインを真似て、マルコの包帯は真っ黒になった。


「今まで大変お世話になりました。親切な方ばかりでこの二週間寂しい思いをすることはありませんでした。なんだか申し訳ない気持ちです。ここにもっと長くいた二人のクラスメイトよりもこんな扱いを受けちゃって」


 歓声が上がる。その中に透はいなかった。

 彼女はパーティー中ずっと窓際の席に座り、一人でつまらなそうな表情で窓の外を眺めていた。

 マルコはクラスメイトから寄せ書きを貰うと一人の女性の名前を探す。

 察しの良いクラスメイトがマルコの探す女性の名前を指差した。磨かれた爪の先に透という文字と一緒に「達者で」と淡白なメッセージが添えられていた。

 ぽかんとなるマルコに対し、フォローを入れる。


「気を悪くしないでね。きっと寂しいだけだと思うから。恐らく悪い人じゃないのは知ってるから……たぶん、だけど……」


 霧吹きを吹きかけたように額に汗を溜めるクラスメイト。透は教室では孤立状態にあるが、決して馬詰のように関係が劣悪なわけではない。端的に言えば、クラスメイトたちは赤子のように無力なはずの透を恐れていた。政府やマスコミが超能力者のイメージアップの謳い文句を連日連夜流していても彼女たちの不安は拭えなかった。近づこうとする勇敢な心優しき者もいたが、やんわりと遠ざけられ、途方に暮れていた。そこに二週間ほど前にマルコという異分子が現れ、怖かったクラスメイトの想像の付かない意外な側面を目の当たりにした。その姿を見ていなければ、全くの無関係である透は馬詰の殺人未遂の容疑者として、残りの学校生活を送ることになっていただろう。


「こちらのほうこそ、何やら透さんが迷惑かけたようで申し訳ありません……」

「なんでマルコちゃんが謝るの、いやだなもー!」


 額から大量の汗を拭きながらクラスメイトは取り繕う。


「汗大丈夫ですか、尋常じゃないほど出てるんですが」

「平気平気。手汗でスマホがショートするぐらいだから」

「それ平気なんですか!?」

「生まれつきだから平気平気」

「理由になってませんよ!」


 汗を拭い終わると、今度はしおらしい顔になる。


「本当に行っちゃうの? みんな寂しいよ」


 できるならこれからもマルコにはスポークスマン(ウーマン)になってほしいのがクラスメイトたちの心情だった。透はマルコには心を開いてるようだ。そしてマルコも透に対して心を開いてる。それなら一緒にいるべきだと考えている。


「……僕はここにいちゃいけないんです」

「いていいたんだよ?」

「あ、ありがとうございます。でも、そうじゃなくて」


 女子校に男の自分が通っている。そういう次元の話でもない。自分は異質な存在だ。男でありながら超能力者だ。これからも正体を隠し暮らしていかなくてはいけない。

 透は頼れる人だ。それに大好きだし大事な人だ。しかし彼女が望む平穏な人生に自分は必要なのだろうかそれがどうしても疑わしかった。


「とにかく、仲良くしてあげてください。悪い人じゃないのは確かです。ただちょっとひねくれてるだけなんです。それでも本当に優しい人なので機会があったら話しかけてみてください」


 出来悪い子のオカンみたいなことを言う。それがマルコに今できる透への唯一の恩返しだった。



 クラスメイトとは別れても透とはまだお別れではない。

 空港へ向かう電車に乗るため、駅へ向かった。透は紙袋のミノムシのように黙ってついて行く。

 駅の前までたどり着くと中から発車メロディの童謡が漏れて、ここまで聞こえていた。昼下がりのバスターミナルでは眠たそうに運転手が運転席で体操をしている。一通りが多く、真っ赤で目立つ立派な鳥居の下を老若男女が知らず知らずにくぐっていく。

 改札前で透は立ち止まる。


『あら、マルコのために入場料は払ってくれないの』

「……残念だけど、憧れのカレン・リードさんの見送りでも入場料は払えないよ」

『ふん、ケチね』


 子供のようにカレンは拗ねた。過去に夢中で憧れた彼女が歳相応の反応を見せた。それに対して失望はなく、親しみを感じた。


『あぁ、そうそう忘れるところだったわ。マルコ、あれ、透に渡して』


 透はマルコから茶封筒を渡される。癖で開ける前に中を透視するとお金が入っていた。ドルではなく、日本円で。


『鞄の中に入っていたの。たぶん貴方のね』

「違う、これは……」


 アルバイト料だった。全額返すつもりで昨晩鞄の底に忍び込ませていたがバレたようだ。


『成功報酬は後で送るわ』

「いい! いい! そんな大金は悪いから! てかアルバイト料もいらない!」

『それじゃあそれは二人分の宿泊代ってことで受け取って頂戴。それで新しい服でも買いなさい。いろいろと窮屈なんじゃない? それにもう一つ渡したいものがあるの』


 カレンの指示通り、マルコから筒のようなケースを渡される。


『開けてみなさい』


 中には眼鏡が入っていた。透視能力者には逸話があり、その一つに透視能力者は全員視力が良いという話があった。常に透視で遠くを見渡せるから、という簡単な理由だった。全員がそうとは限らないが、透はその通りに両目の視力が共に健常であり、眼鏡は縁のない物だった。


『伊達眼鏡よ。かけてからマルコに思考の透視をしてみなさい』

「そんな勝手に。お前の弟だろ」

『いいから、いいから』


 急かされて、かけてからマルコの思考の透視を試みる。


「あ、あれ……全然読めない」

『それは不調でもなんでもないわ、それが今のあなたの限界なの』

「あ……」


 言われてやっと気が付く。マルコがサングラスをかけた時もそうだった。煌や物部の思考が読めなかったのもこれが原因だった。


「こんな……簡単に……」


 一生をかけても解決できそうになかった悩みをカレンはいとも容易く解決させてしまった。


『こちらはほんの少しのお礼よ。私達、姉弟を引き合わせてくれたお礼』

「困ったな。お礼の返しが思いつかないな」

『いいのよ、私達姉弟をあなたは救ってくれたんだから。感謝しきれないのはこちらのほうよ。それじゃ、私の用は済んだからしばらく黙るわ。おやすみ』


 そう言って腕時計は布団に入ってしまった。とは言っても器官の一部となってしまった彼女は今やマルコと一心同体。しかし常識は通用しない。マルコが起きてる時は彼女もしっかりと起きている。そのことを隠し、空気を読み、この場にいないように振る舞う行為はカレンなりのお礼だった。

 お喋りが消えて、再び静かになってしまった。残された二人は何を言い出すべきか、そして言い出すタイミングを西部劇のガンマンのように見計らう。

 最初に話しかけたのは透だった。ここでも当たって砕けろの精神が生きた。


「……ちゃんと帰れる? この後どこを行くんだっけ」

「羽田ではなく成田に行って、サンフランシスコまで飛びます。空港からはバスを使います」

「そうか、それなら安心だね」

「はい、迷子にはなりません。お姉ちゃんもいますから」

「お土産はもった?」

「渡す人がいないので買ってません」

「あ、なんかごめん」

「いえ、気にしません」


 そして二人はまた、黙り込んでしまった。トントン拍子で進めたと思ったが地雷を踏んでしまい、話したかった本題が胸でつかえる。

 透は一言だけでも「また会おうね」と言いたかった。しかしそれを言う勇気が彼女に足りなかった。遠く離れ離れになるし、照れくさすぎるし、そして自分に自信が持てなかった。

 マルコもまた透と同じことが言いたかった。そして同じく言う勇気を持てなかった。

 二人の距離は近くて遠かった。カレンとマルコがそうだったように、お互いを想う気持ちが強くて歯車がずれ始めていた。

 電車が正常な歯車のように一分のズレもなく、時刻表通りに到着した。


「それでは。これで、さようならです」


 断腸の思いでマルコは改札を通る。彼は振り返らなかった。振り返れば涙を見せてしまう。

 振り返らずに去っていく彼を透は見守る。いつだったか背中を見送ったときがあった。その時より幾分か身長が高くなってるように見えた。


「なんだよ、あいつ……まだ、年輩の私がお別れの挨拶まだ言ってないだろ……それに、さようならってそっけなさすぎるだろ……やっぱり私のこと……」


 小さくぼやき、必死で「また会おうね」と「さようなら」以外のお別れの挨拶を探す。

 ふと、いくら揺すっても風が吹いても枝にしがみついていた木の葉が音もなく落ちてきた。

 その言の葉を透は叫んだ。

 ずっと透明人間になろうとしていた彼女が人目を気にせずに大声で叫んだ。


「see you again!」


 その言葉はマルコまで届いていた。マルコの周辺を歩いていた数人、その先を歩いていた数人も何事かと思い、透に注目した。しかし一番に気付いて欲しかった彼はその言葉に気付かずに振り返らずに、掃除機に吸い込まれるホコリのように電車に入る雑踏にまぎれていった。

 彼の姿が見えなくなった。透視してもその姿を追えなかった。


「くそ、邪魔すんな……泣くな、私……」


 涙で視界がぼやける。

 電車がマルコを連れて走り去る。しばらく改札口前で立ち尽くしていた。

 当たった結果が砕けた。それでおしまいだ。思えば一年前もそうだった。全身全霊で自分のできる努力をして、母を助けようとしたが結果は成功と言えなかった。意味が無いのにあれこれ努力して、周囲の人間に期待し、裏切られ、ひねくれ具合に磨きをかける。

 結局のところ、努力は報われない。惨めに終わった。

 あぁ、どうしていい加減学ばないのだろうか。

 あぁ、どうしてこんなに不器用なのだろうか。

 もうやめよう、今度こそ透明人間になろう。

 透は超能力者であっても超人ではない。今まで築き上げた努力が無意味と化すなら、挫折し、無気力になる。

 駅を早々に立ち去り、帰路に着いた。

 失意の週末を乗り越え、否応なく月曜日が始まる。

 見てもすぐに忘れてしまう夢のような陰鬱な生活が始まる。

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