調査開始
放課を知らせる脳天気なチャイムが鳴る。
物部が朝にできなかったノロケ話を帰りのホームルームで発散、解消をし、遅れに遅れた放課後。
透はこの時間が学校生活の中で唯一自由を感じられるため一番好きな時間だった。教室の机をスタート、校門をゴールとする競争なら常に一位。早く帰る情熱ならどの運動部にも負けない自信がある。その後たまにコンビニかスーパーで買物をしてから寮に帰り、後は眠くなるまでだらだらする非青春の日々を過ごしていた。
それが今日はどうだろう、いつも目には止めぬ校門の前に立ち、通り過ぎて行く皆の目に止まる格好をしていた。裸ではない、むしろ裸のほうが良かったかもしれない。透の格好は制服の上にTシャツを重ねるだけの格好のだらしなく見えるが職務質問されるような格好ではなかった。問題はそのTシャツのデザインだった。どこぞの都市の観光キャンペーンの判じ絵をパクったアイラヴカレンリードというとてつもなくダサいデザインの自作Tシャツだった。
「……これもマルコのため……これもマルコのため……」
目立ちたがらず屋の彼女がこのような奇抜な行動をしているのはほかでもないマルコの頼みだったからだ。この面妖な格好で目を引き、その目を引いた相手の思考を透視しカレン・リードの情報を引き抜くことが彼女に与えられた仕事だった。
目を合わせるだけならこのような奇行を行わなくても良いのではないのだろうか。そうできないのは思考の透視がまだまだ未熟なためだった。
彼女の思考の透視は寄せ鍋に出てくるアクのような極めて表面上の思考、感情、記憶を限定的且つ断片的に拾うことしかできない。授業中に対象の好物を知りたいと念じて透視しても対象が数学の問題に集中していれば現在進行形で解いている数式しか覗くことができない。検索エンジンのようにワードを複数入力し知りたい情報だけを限定的に抜き出すような芸当は出来ず、新聞紙の大きな見出しを読むのが限界だった。使い勝手の悪い不便な能力だがしかし一手間加えればある程度の情報を限定して引き出せるようになる。要は対象に知りたい事柄を想像させればいい。その一手間とはある意味テレパシーの存在を否定し覆し脅かす、とっておきの手段である。
そのとっておきの手段とは……言葉で質問すればいい。
「えぇーどなたかカレン・リードを知りませんかー。もしくは自分こそがカレン・リードだって人いませんかー」
怪訝そうな顔で見ていた女学生数人が思わず吹き出す。そのグループも含め、足を止める者、少しだけこちらを見て通り過ぎて行く者、その全員の目を見て思考の透視をする。
(カレン・リードかー懐かしいなー。久しぶりに彼女の姿を見たくなってきたな。家に帰ったら動画みよっと)
(カレン・リード知らない人、地球上におる?)
(うわぁ、へんなひといる……)
だが手がかりらしい手がかりはなかった。誰もが自分の持っている情報以下しか知っていない。彼女に弟がいると知っている者はいなかった。
嘆いている暇もなく、指差して笑う者の顔を覚える余裕もなく、やってくる女学生に同じように質問を投げかけて思考の透視する。その行為は投網漁の作業によく似ていた。網目の大きい網だけに非効率極まりない作業を強いられ心身ともに苦労が貯まる一方だった。
半袖が肌寒くなってきた頃に、
「あっれー里見透ちゃんじゃーん変なことやってるぅ」
心身ともの苦労が二倍になる狙っていない人物が引っかかった。これも投網漁の問題点の一つ。
一見フランクな友達がからかって話しかけているように見えるが違う。
(なんでお前が校門なんかに来るんだよ!)
そう理不尽な罵倒は心に秘め、表情は隠さずに嫌悪感を出す。
「ついに頭でもおかしくなったかな、やっぱ超能力者は頭の回路がちょっと違うようだ」
ショートカットで背が高く格好さえ変えれば男にも見えるボーイッシュな少女、馬詰武美。他人との関わりを根絶している透とほんの少し関わりの持つ人物だ。常に一方的に関わろうとしてくる。
一年前に透が超能力者だと知り、ちょっかいを出してきたが返り討ちにされた過去がある。
(新学期が始まってからまたちょっかいをかけるようになってきたんだよね……懲りない奴め……)
透の嫌そうな呆れ顔を見ると馬詰は嬉しそうに笑いながら世間話を始める。
「知ってるか、旧校舎のトイレが半壊してたって話。俺もその現場に行ってきたんだよ」
マルコの超能力暴走のことだとすぐにわかった。誰も立ち寄らないはずなのにもうばれてしまい周知の事実になっていた。
「今日の地震で壊れてしまったらしいぜ。でもさー、どうも俺の野生の勘がそうじゃないって言うのよ。誰かに壊されたんだと思うんだ。七不思議のカレン・リードか、もしくは他の超能力の誰かさんかな」
馬詰は透の顔色を窺う。
透が体育の授業中に姿をくらましたことを怪しんでいた。
タイミングは一致する。アリバイもない。
(馬詰のくせに意外と鋭いな……!)
下手に反応すればさらに疑われてしまう。平静を保ち無言に徹した。
「ちっ……反応なしか。つまんねーの」
吐き捨てて帰って行った。
これを境に校門を通り過ぎて行く生徒が急激に減った。馬詰はバレーボール部に所属している。性格は悪いがエースとして活躍している。運動部の彼女が帰宅したとなると他の運動部も帰ってしまったのだろう。
奇異な目を向けられなくなった一方で、面妖な格好で一人立ち尽くす透。
(もう……帰っていいかな……)
心の底からそう願っていると両手でビラの束を抱えるクライアントがやってきて、頑張った彼女にねぎらいの声をかける。
「お疲れ様です、透さん」
「おかえり、マルコ……って刷りすぎじゃない?」
刷りすぎとは、彼の頭を超えるほどのビラの塔のことだ。
人を探すならまずビラが必要。そう彼は判断し、放課から今の時間までずっとビラの印刷をしていた。
「日本のことわざには大は小を兼ねるという言葉があります」
両手が塞がっていることを良いことに透は彼のマシュマロの両頬を引っ張る。
「日本には地引網で白魚はとれないって言葉もあるからね、覚えておくように。それとあんまり無駄遣いしないの」
無駄遣いしないよう注意はしたものの、このビラの束を刷る料金、制服支給は全てクライアントであるマルコが負担していた。
実姉の遺言書に基づき、財産の半分を受け継いでいる。半分にされてなお、彼は
透は当初依頼自体には興味があったものの断っていた。遺産からアルバイト料を出すと聞き、下着の交換の費用を稼ぐぐらいならと飲み込みそうになったが高校生の身に余る額を提示され再び断った。この時のマルコは何が何でも透の協力を得ようと発展途上国の国家予算並みの額を提示したのだった。その後冷静な協議の結果、櫻濱県の最低賃金を時給換算し、日払いすることになった。変にマネジメントをしたがるクライアントが成功報酬も設定してくれたが特にやる気に変化はない。
(私なんかが協力したところで見つからないものが見つかるとは限らない。それに……)
手伝うと決めたのはお金よりも、カレン・リードを見つけたい欲求よりも、憐憫の情が強かったからだ。
(素性を隠してまで来日したのに頼れるのが私なんだからね……放ってはおけないよ……)
雇用期間は二週間。マルコの留学期間に合わせている。
「無駄遣いじゃありません。有効活用です」
「子供なんだからさ、遊ぶのに使ったって罰は当たらないでしょ」
「僕は子供じゃないのでいいんです」
「とは言っても子供だからね、使い方には限られてるか」
一生遊んで暮らせる大金を手に入れたがこの歳だと遊び方に制限がある。せいぜいできる贅沢はゲームや漫画、お菓子を大量に購入することぐらいだ。家を買って優雅に暮らすとか車を買って運転するとか世界中を旅してまわるとか、いくらお金を積んでもできないことはたくさんある。
(なんだか
理想と現実は常に乖離している。自分と海向こうからやってきた彼を重ねる。
(……もしくは実の姉の捜索を名目にただお金を浪費したいだけなのかもしれない。手段の目的化というやつ? だったら見ず知らずの私にあれだけの金額を提示すっるのも分かるかな。だってお金を使いたいだけなんだもん。小銭を拾ったから、喉は乾いてないけどジュースを買うような感じ。そう思うと気が楽だな。私に示された金額だけの働きができるとは思っていなかったし)
こんなちっぽけな超能力者を雇うくらいなら遊びに使うべきと透は考える。勿論生活に困らない程度の分を残して。空の上か、地の下か、はたまた海の中か、どこかで見守っている姉もそう願っているに違いない。
「猫に小判……」
「そのことわざ、僕も知っています。豚に真珠とも言いますよね」
思わず呟いてしまい、運悪くマルコの耳に届いてしまった。
「あ、ごめん、今のはそういう意味じゃなくて」
「ハロー、透さーん」
咄嗟に改めようとしたが、そこにまたも物部万理が突如現れた。見たことのない古い車に乗って。
「あら、マルコさんも一緒なのね。二人で何やらおもしろいことをしてるわね……どうしたの、頬を引きつらせて」
「いえいえ、何でもないです何でも。ははは」
透は自分を殺して柔和に対応する。
「青春を謳歌するのはいいけどあまり面倒事は起こさないでね。先生、すっごく忙しいんだから」
ノロケ話を削ればもっと時間増えるぞ、という言葉をぐっと飲み込み、
「肝に銘じておきます」
物部はここでホームルームでできなかったノロケ話を思い出す。
「そうだ見て見て、この車。ダーリンが乗りたがってた車に乗せてあげるの」
それは透にとって初めて見る自動車だった。全体的にポリゴンで丸みがなく、デザインのセンスから見て平成生まれではないことがすぐにわかる。それと車高が低くしてありハンドルが左側に設置されていた。知識の少ない素人でもこれが所謂スーパーカーの骨董品なのだと察せた。しかし女性的かつ個人的観点で見れば究極的にダサい。
「……あれ、先生が乗せてあげるんですか」
「本当は助手席に乗りたいんだけど、ダーリンまだ免許取ってないの。両手の指で数えても往復しちゃうぐらい落ちてるんだけどね、諦められないらしいの。そんな不屈なところが素敵なんどけどねキャッ」
「……あちゃー」
他人のオチのないノロケ話など一銭の得にもならないので大概流していて知らなかったが、彼氏は相当ダメ男なのかもしれない。絶対別れたほうが良い。
「高かったんじゃないんですか、これ」
「そうね、何でこんな車が高価なのかはわからないけど親にねだって買ってもらったの。結婚費用の前倒しだって言って」
「……あちゃー」
先生も相当のダメ女だった。このスーパーカーは彼が欲しがっていたというだけでそれ以上のそれ以下の価値もないのだろう。
「それじゃ、もう行くわね。バーイ」
平地なのに余分にアクセルを踏み、タバコのほうが体に良さそうな排気ガスを撒き散らしながら進み出す。順調なのは滑り出しまでで車道に侵入すると歩道と車道の段差にサイドシルが擦るのではなく乗ってしまい完全に止まってしまった。
「え、これ、大丈夫なの?」
車体全体が前に傾き、両方の後輪が空気をかき回す。立ち往生か、と不安になったが奇跡的に車体が水平を保ち始めて後輪が地上に回帰、サイドシルが断末魔の叫びをあげながらも脱出、急発進していった。
その様子を見守っていた透は物部万理を囲む環境の感想を述べる。
「猫に小判だな……」
その言葉に真っ先に自分がやるべきことを思い出した。
「そうだった、マルコ。さっきのは言葉の綾で」
しかしその言葉は、
「かっこいい……」
うっとりとしていたマルコの耳に届かなかった。彼はまさしく憧れを目の前にした少年の目をしていた。
「かっこいい? ……今の車のこと? いや……あれは……どう見ても……ダサい」
「What?! 何言ってるんですか! ださくない! 超かっこいいですよ! ○ロリアンですよ、○ロリアン!」
英語が出てくるほど感情的になる。
「車の名前? エイリアンみたいな響き」
「ドアを開く時とかすごいかっこいいんですよ! ガルウィングドアなんです! 超有名な映画にも出てて、すごく貴重なんです! 知らないんですか!? 知らないはずないですよね!」
「ごめん、知らない……」
「Why?! 仕方ありませんね! アメリカからBlu-rayで持ってきてるので見てくださいね!」
「う、うん、わかったわかった……ブルーレイ再生するやつ、うちにあるかわからないけどわかりました……」
「三部作ともすぐにですよ!」
「えぇ、三本もあるの……」
「一作目を見ればすぐに続きを観たくなります! 時間や疲れ、睡眠トイレを忘れて観ること間違いなしです!」
マルコはプロモーションに夢中でぐいぐいと距離を詰めてくる。透は手で制しながら一歩下がる。
「……マルコをここまで熱くするとは……恐ろしいな車だ、エイリアン」
「いいなぁ、僕も乗りたいなぁ」
「乗るのは勝手だけど、物部先生の運転するのだけは乗らないでね」
絶対に危ない。命がいくらあっても足りない。
「僕、将来はあの車に乗りたいです。そしてアメリカを西から東に横断したいです」
エメラルドグリーンの瞳を研磨した宝石のように輝かせていた。姉に対してもそうであるように車に対してもその情熱は本物。
「それじゃあお金は大事にしておかないとね。無駄遣いしてたらお金なくなっちゃうよ」
「いえ自分の車なので自分で稼いだお金で買います」
「生真面目だなぁ。お姉ちゃんから貰ったお金なら好きに使えばいいのに」
「貰ってはいません。借りてるだけです」
「でもさぁ……」
「でも好きに使ったら猫に小判って言われます」
ぐさりと切り返された言葉が胸に突き刺さる。しっかりと覚えている。
「だから僕は考えて使います。大人なので無駄遣いはしません。ゲームではなく文房具に。漫画ではなく参考書に使います」
「ふぅん……」
透は髪の毛の癖を気にせずに頭を掻く。
(手段の目的化と思っていたけど……全くの見当違いだ。マルコは使い方を間違えない。感情に任せた衝動買いもしない。勤勉で模範的と言える。祖母からお年玉を貰うときの約束を本気で守ってしまえる子なのか)
マルコの言うことは正しい。けれども透は許せなかった。
「だからそれが猫に小判なんだよ、マルちゃんよぉ」
まんじゅうほっぺを引っ張り、ぐねぐねとこねくり回す。
「お金ってのは自分のために贅沢に使うもんなんだよ。世の中を大人を見てみろ。有意義に使ってる奴なんかいやしない。贅沢は味方だ!」
「でもこれはお姉ちゃんが稼いだお金で」
「よし、これから私がお金の正しい使い方を見せてやる。じっくりその体に叩き込んでやる。今日の仕事はこれくらいにして飯に行くぞ飯。私の奢りだ!」
Tシャツの上にブラウスを着る。
「そ、そんな! お金は僕が出します!」
「若いのが遠慮しないの! あとビラもお姉さんの私が持つよ!」
マルコの持っていたビラの束を奪う。
「って重っ!?」
持ってみると意外と重く、また体育の授業中のマラソンの疲労が抜け切れておらず肩と腰が悲鳴を上げる。空っぽだと思って持ち上げたヤカンが実は水が満タンに入っていた時と同じだ。だがそこは若さでカバーし耐える。年上の体面を保つため涼しい顔を忘れない。
「僕が持ちます」
ジェントルマンのように荷物持ちを申し出る。
「小さい男の子に荷物持ちさせるわけにはいかないよ、お姉さんとして私が持つ」
それにしてもビラの束が重い。この重さを子供が長時間持っていられるのが不思議だった。
「本当に僕が持ちますよ、だって念動力使えるんですから」
「なるほど。そんな使い方があるのか。んじゃ私が持ったままで軽くしてみてよ」
「すみません、まだそこまで器用にできないんです。自分の手に持っているものなら確実なんですが」
「あっそ。じゃあ持ちたければ念動力で取り返すといいよ」
透は挑発して悪戯っぽく笑う。
「透さんがその気なら……」
マルコはまんまと挑発に乗り、周囲に人がいないことを確認してから念じる。
ふわっと持ち上がるも、
「おぉう……」
「わわわわ! ご、ごめんなさい!」
ビラの束ではなく、透のスカートの裾が浮かんだ。程よく肉厚のある健康的な太ももが露出する。
謝ると同時に集中力と超能力が切れ、サービスタイムは終了する。
「わざとかなぁ。お姉さんのスカートをわざとめくったのかな」
「めくったじゃなく、つまんだです! そこ間違えないでください!」
透はにまにまと微笑む。
(ここまでからかい甲斐があると調子に乗っちゃうな……)
顔を真っ赤にして弁解謝罪するマルコが可愛くて仕方がなかった。
「いやあさっきは猫に小判って言ったけどあれは間違えだった。ごめんね。有効活用できてるよ。超能力の方は。男の子は好きだもんね、スカートめくり」
「もう! 早くご飯に行きましょうよ!」
マルコが透の背中をぐいぐい押して急かす。その力は年頃の少年並みであった。
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