押し寄せる不安
昼休みが終わった。やはり昼休みの時間一杯まで手伝わされ、ようやく教室に帰還し、次の授業の体育に備えて着替えを始める。
(そういえば留学初日からモテモテのアイドルさんは体操着持ってきているのだろうか?)
スルメに含まれる水分くらいの心配で席を見てみるとそこに姿はなかった。
(トイレかな?)
午前中はかかりっきりで監視していたので一度も行っていないかもしれない。もしそうなら案内なしで行けるのであろうか。
探しに行くか迷ったが行かないことにした。先に行ってる可能性もあるから、というよりも探しに行く義理がないと思ったからだ。
チャイムが鳴り授業が始まるもマルコは姿を現さなかった。騒ぎになるかと思ったが、誰一人その異変に気付かなかった。いや気付いていても特に気に留めていないのかもしれない。食堂でマルコを囲っていた魚群の内の一匹二匹が授業に出席していたが一緒ではないようだ。異変に気付かずのほほんと会話してる二匹を透はじっと睨む。
準備体操をしていると一抹の不安を覚える。迷子にでもなっているのだろうか。例え迷子だとしても意思疎通には申し分ないほどの日本語が話せるのだし、すぐに誰かに助けを求められるはずだ。
(待てよ……もしかしたら迷子以外のトラブルに巻き込まれている……?)
とあるクラスメイトの姿を目だけで探す。そのクラスメイトは物部よりも厄介な一番の天敵。そのクラスメイトはバレーボールのネットを張っていた。
小バエがいくら払っても寄ってくるような苛立ち。癖っ毛気味の髪を掻き回してさらに乱す。払っても払っても心配な気持ちは消えなかった。
考えれば考えるほど、マルコの寂しい表情が浮かび上がってくる。
そしてため息を二回ほど続け、
「私はお前のお姉ちゃんじゃないんだからな……」
観念したように小さく愚痴もこぼし、
「先生、お手洗い行ってきます!」
「授業始まったばかりだよ? 休憩中に済ませなさいよ」
「担任の先生に仕事を手伝わされていたので」
「担任? ……あぁ、物部先生か……わかった、行ってきなさい」
どうやら担任の評判は職員室では共通の認識となっているらしい。
「ありがとうございます」
いろいろと言いたいことは山々だが今回は彼女に感謝してもいいかもしれない。
体育館を出るとすぐ脇にトイレがあったが、目もくれずに前を通り過ぎる。
「……ほんのちょっと探したら戻ろう。先生にサボってるのがバレたら面倒だし」
その独り言を合図に彼女の目は透視モードに入る。
人探しの時、彼女の透視能力が真価を発揮する。とは言ってもすることは単純であり、透視をしながら校舎を練り歩くだけだ。超能力は便利だが、万能ではない。砂山の中の一粒の砂金を探すことと一緒で校舎の隅々まで見渡せても特定の一人を見つけることは難しい。しかし時間と体力を大幅に節約できる。
校舎全体を透視しながら練り歩いたがマルコを見つけられなかった。プライバシーの損害になるも教員トイレを男女両方一応覗いてみた。一人隠れて暗い顔をしながら喫煙してる教員がいるだけで愛らしいマルコの姿はなかった。
「となると、あとは旧校舎か……」
旧校舎は現校舎の最上階の窓から見えはするが校舎の間には線上に伸びた林があり、その向こうの離れた場所に建っている。授業で使われないので基本的に生徒は立ち寄らない。そもそも登校初日のマルコが旧校舎の存在を知っているかすら怪しいので自主的に行くとは考えにくい。
他に戻ってこない原因となると誰かに連れ去られでもしない限り、ありえない。しかしそれもすぐに破棄した。いくらなんでも誘拐はありえない、と理由もなく否定した。焦慮に駆られ、あらぬ妄想を浮かべてしまった。そういえば男子小学生は学校で大便するといじめられると聞いたことがあった。いじめられないようにバレないようにトイレに行きたかったのだろうか。しかしそんな理由で旧校舎まで行くとはありえないとすぐに否定した。マルコは女の子だ、それにアメリカにそんな尻の穴の小さい風潮はあるまい、トイレだけになどと冴えない汚いオヤジギャグをかます。
これだけ寒いギャグをかましてもマグマのような焦燥感が治まらなかった。マルコの身に万が一のことがあったらと思うと後から後から噴き出してくる。
体操着が汗で湿り肌に張り付いて気持ち悪い。中学時代は運動部に所属せずとも中距離マラソンで一位を取っていたが、ペースをあげすぎたか、それとも胸が大きくなりすぎたか、校内を早歩きしただけで疲れが体全体に回ってきていた。全身がストップを待っていた。
そろそろトイレに行ってないことがバレる頃だろうか。諦めて引き返すなら今だろう。
自分の献身が果たして何になるのだろうか、対価はあるのだろうか、何の意味があるのだろうか。そんなことが気になり始め、諦めの気持ちが再燃する。一度は縁を切ると決めたし、こだわることはないのではないか。いくら優しくしたところでマルコは自分に懐くとは思えない。きっと期待を裏切るに違いない。過去にそうやって気を利かせたつもりでお節介を焼き、とある人の逆鱗に触れたことがあった。それは誰も経験し得るよくある話だ、しかし透にとっては鮮烈な記憶となって残っていた。
捜索を切り上げて体育館に引き返す透。しかしその足を一旦止めた。それは突如として彼女を襲う。
人のどんな術を使ってでも絶対不可避の存在……吐き気だった。
「ううう……!」
ひどく青ざめた顔で呻きながらうずくまる。久々のマラソンで昼に食べたばっかりの消化しきれていないカレーライスが喉元まで戻ってきていた。
頭の中にふとよぎったカレーライスのワードが引き金となり、マルコとの食事の光景がフラッシュバックする。
(そういえば誰かと一緒に食事するの久々だったな……)
一年ぶりに楽しいと思える瞬間だった。とっくに味の消えたガムを噛まされ続けるような苦痛でしかない学校生活の中でもひときわ輝くワンシーン。
吐き気はいつの間にか峠を超え、足は自然と体育館と逆の方向を向いた。
授業が気がかりではあったものの、そもそも元から汗をかかない程度に頑張るぐらいで真面目に受けていない。
透はまた走り始める。足は中学時代に中距離マラソンで一位を獲った時のように軽快だった。
旧校舎は重要文化財に指定される予定があったほどアンティークな建物だ。明治時代中期の二階建ての木造の建築物だったが戦前から補修と増設、改築が施され建設当時のまま残っているのはほんの一部のため、重要文化財の話はご破算になった。現在の新校舎が完成してから特に二階部分は改修されず老朽化が進み、階段はロープで塞がれ立入禁止となっている。一階はほこりをかぶった廃棄処分待ちの教材などの物置として使われている。
旧校舎内は喧騒のない静謐な空間だった。
(二年生になって初めて入るのに……なんだか落ち着くな……)
思わず用事を忘れてくつろいでしまう。慌てて透視を始め、廊下を大股で歩く。
トイレ前を通りすぎようとした時に中に小さな人影を見つけた。すぐに注視するとそれが探しものだとわかった。
「見つけた……」
ついに後ろ姿を捉えた。お騒がせ者は旧校舎のトイレの中にいた。しかし様子が少しおかしい。着替えを済ませておらず制服のままな上、誰かと会話をしているようだった。壁が薄いため会話を完全に聞き取れないものの中から声が漏れ廊下でもかろうじて聞こえる。マルコではない他の誰か、もう一人、女性の声も聞こえた。頭の中で忌々しいある女の顔が浮かべるも中にいるのはマルコ一人だけだった。女性の姿はトイレの中にも天井裏にも見当たらない。
(まさか幽霊……? いやそんなわけないよね……?)
一人で話しているとなると携帯電話だろうか。ここに隠れて電話する理由は何だろうか。推測ではあるが急に家族から着信が入り、さらにその会話を他人に聞かれたくなかったのだろうか。旧校舎までやってきてすることでもないと思うが等と邪推する。
どんな会話をしているか気になるが、覗きはしても盗聴はしないのが透視能力者里見透の考えるエチケット。中から声が聞こえなくなるまで廊下で待つことにした。ここで一人置いて行くこともできたが、待たないと教師に言い訳ができなくなる。
(ここは迷子を保護したという嘘で罪を軽くするのが定石。マルコも隠れて電話したと堂々と言えないだろうし、人参玉ねぎ平和友好条約締結時のように再びお互いに手を組み合える……よね?)
マルコの無事の姿を確認して、ほっとして透視を止めた。安心感から腰が抜け、がに股で尻もちをつく。女らしさの欠片のない、みっともない格好だったがスカートではなかったし本人にとって些細な問題に過ぎなかった。
五分もしない内に中から声が聞こえなくなった。
頃合いを見て、大声を上げる。わざとらしくマルコを探している演技をしながら。
「おーい、マルコちゃーん。いたら返事してー」
唐突な声に中から素っ頓狂な声が聞こえる。
「はは、はい! その声は透さんですか!?」
「あーこっちにいたのかー。いきなりいなくなるから心配したよー」
「すみません! 急にトイレ行きたくなって!」
「おーそうなのー。でもなんでこんな遠くの旧校舎までー?」
「でんわ……トイレを探してたら迷子になっちゃいまして!」
「そうかーそうかー、それでもう済んだー?」
「まだです! すぐに済みますから! すみません!」
扉を開け、個室に入る音がする。電話だけでなく、本当にトイレも目的に入っていたようだ。
続いて中から便座が上がる音がした。続けて+もう一枚+、+便座を上がる音+がした。
「やれやれ……んっ~~~~……ん?」
透は腰を上げて体操着についたホコリを払い、背筋を伸ばすストレッチをしてからようやく違和感に気付いた。聞き慣れないというより余分に音が聞こえた。
一つ多い便座を上げる音がしたような気がした。
よせばいいものをもう一度透視を試みようと考えたが、用を足している最中の幼気な子を覗くのは憚れた。いくら透視能力者とはいえ、見て良いもの悪いものの区別はある。プライバシーについては自分なりに考えているつもりだった。先生や母親に教わった自分がやられたくないことは他人にもしないという教えに則り、透視してもいいのは自分が見られてもいいものまでだ。しかし毒を食らわば皿まで。先程もトイレの中に人がいたにも関わらず、覗いてしまっているので罪悪感が薄れていた。
不必要なコミュニケーションを拒む彼女が特定の人物にここまで手間をかけ、気にかけることは初めてだった。
覚悟をし、トイレに抜き足差し足忍び足で侵入し、閉まっている個室のドアの前に立った。鼻で深呼吸をし、透視を始める。じわりじわりと扉が透けていく。本来の実力なら核シェルターのような厚みのある壁も一瞬にして透明化できるが彼女は緊張し心拍数があがり、コンディションが乱れていた。超能力はコンディションの小さい変化でも大きく能力が左右される。
里見透はこの時は知る由もなかった。この透視、のぞき見が彼女の今後の人生を大いに左右する行いとなる。もしこの時彼女は一般常識を忘れずに我慢していれば平穏な人生を送るはずだった。一抹の興味に身を任せたばかり彼女の今後は苦難の連続となる。
このトイレは透視能力である彼女にしか開けないパンドラの箱だった。
「そんな……まさか……」
ついに暴かれた真実。
「マルコが……」
箱の中身に驚愕し、透はあるがままの事実に絶叫した。
「お、おとこのこおおおおおお!?」
中には立ちながら用を足すマルコの姿があった。
それはすなわち彼が男という動かぬ証拠。さらに言えばリボンが超絶似合う可愛い男のこだった。
時が止まったかのようにまで錯覚させるほど静寂な旧校舎にやまびこのように彼女の絶叫が響き渡る。あまりの衝撃に集中力と一緒に透視能力が途切れる。
絶叫の次に来るのは絶句だった。あんなに可愛い子が女の子ではなく、男のこなのか。なぜあんなにも女装が似合うのか、髪型のせいだろうか、これが噂のこんなにかわいいこがおんなのこなわけがない等など。下らない疑問が脳内を占領してしまい、ここは女子校であり、男児が性別を隠してまで留学する謎は一切考えようとしなかった。
静寂から一転、個室から水が吸い込まれる音。錆びた金属がこすれ合って不気味な音を鳴らしながら扉が開く。雰囲気的にホラー映画なら花子さんが出てくるが男のこのマルコが俯いて立っていた。身長差から表情が伺えず、透からはつむじしか見えない。
「……見たんですか」
声変わりも終わってない子供の声なのにえらくどすの利いたように聞こえる問いに透はまたも返答に困らせられた。正直に答え暴露主義の変態に成り下がるか、嘘を吐き隠蔽主義の変態に成り下がるか。
(いや待て、私! この選択はおかしい! 真っ先に気遣うべきは覗かれた彼のメンタル!)
透は天井を見て口笛を吹いて誤魔化す。
「あぁ……見てない見てない私は何も見てないよ」
「……見てないって何を見てないんですか」
「あーーー……そうそう! 携帯電話で誰かと隠れて電話してるところだよ」
絶妙な躱しができたとほっとする間もなく、
「……それで何で男の子って叫ばれるんですか」
当たり前の言及が突き刺さる。最早言い逃れができないほど彼女の罪は明白。
しかしみっともなくあがくのも人間だ。
「男の子じゃなくて……小野小町って叫んだんだよ、ね、聞こえない?」
「…………」
「って聞こえるか!」
「…………」
痛快で痛々しいノリツッコミ虚しく無言の圧力。問い詰められなくなり頭のメモリが言い訳作りから開放され、罪悪感を駆り立てるタスクに切り替わる。見苦しいことこの上ない。いっそのこと、今なら謝れば命だけは許してやると言ってくれれば土下座でも何でもするのに。
「……素直に謝ってもらえれば命だけは許してあげます」
「すみませんしたっっっっ」
女子高生が即座に子供に対し、親にもしたことがない土下座をした。放置され長年掃除されていないトイレの床だろうが気にせずに膝を着き、手を着き、額を着き、鼻先すらも潰れて変形するほど擦りつけた。
「見ました! 全部見ました!」
罪状を述べようとした時、突然トイレ内に異変が起き始め、思わず透は頭を上げる。
マルコを中心に見えない謎の力が働く。密閉した空間内で空気が揺れ、天井が軋み埃が落ちてくる。便器内に溜まった水が波立ち始める。
「……お姉ちゃんにも……」
窓が大きな音を立てながら木製の枠ごと外れ、鏡にヒビが入る。この怪奇現象は決して地震に依るものではない。
「お姉ちゃんにも見られたことがないのにい!!!!」
悲痛な叫びとともに塞き止められていた力が鉄砲水の如く、渦潮の如く空間を引っ掻き回す。透明な渦が手狭な室内に幾つも生じ、通常ならはるか頭上にしか起きない乱気流が顕現する。
ドオオオオオオオオオオオオン!!!
天井に大穴が空き、個室の囲いはなぎ倒され、鏡が粉々に割れた。
トイレ内のあらかたの備品を壊し尽くした頃にようやく嵐が過ぎ去った。
旧校舎に永遠に続くような静寂が戻る。しかしそこには台風一過のように安寧な落ち着きはなく、元の原型がわからなくなるまで砕かれた木片やコンクリートの欠片が床に累々と散らばる物々しい惨状に変わり果てていた。
その惨状の中に透は横たわっていた。彼女は逃げる間もなく状況を飲み込む間もなく為す術もなく巻き込まれていた。幸いにも壁まで吹き飛ばされ背中を強く打ち付ける程度で済み、ギリギリ意識を保っていた。
背中に走る激痛に耐えながらもマルコからは目を離さなかった。
「今のすごかったね……マルコ、無事?」
竜巻のような鎌鼬に巻き込まれ怪我をしてないか、自分の体よりも彼の安否を気遣った。
「ごめんなさい、透さん! 大丈夫ですか!? 怪我はないですか!?」
彼は透の傍らで膝を着いて名前を叫びながら体を揺らしていた。台風の目にいたのか、彼に目立った外傷はなかった。
(あぁ、よかったぁ……)
無事を確認し気の緩んだ瞬間、意識が遠のいていく。その薄れていく意識の中、今の超常現象の解析を急いだ。地震ではないとなるとポルターガイストだろうか。否、それよりももっと手っ取り早く説明できる明快な奇跡を知っている。
(これは念動力の類、超能力の一種に間違いない……けど、おかしいな……)
しかしその明快な答えは一つの大きな矛盾を抱えていた。
その矛盾とは超能力者の絶対条件に反していた。
今では普遍的特徴になりつつある超能力には調査や研究を重ねた結果、初期段階で世界中で共通して絶対となる条件が二つ確認されている。
一つは一人に持てる超能力は一つだけであるということ。
残るもう一つは超能力者になれるのは女性しかいないということだ。
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