噂の留学生

 マルコ・マカリスターが留学してきたその日のうちに里見透の悩みがまた一つ増えてしまった。

 新たな悩みとは、


(うーん……また付きまとわれてる……)


 マルコのあまりにも下手なストーキング行為だった。授業中も黒板ではなくじっとこちらを横目で見つめ続ける。素直な好意なら嬉しいのだが、さりげなく右を向くと凝視していることを悟られたくないのか慌てて目を逸らす。いつもは彼女がしている悪癖だが、される側に立たされると少し傷つく。

 昼休みが始まる。透が教室を出るとアヒルのヒナのようについてくる。


(昼休み中も監視か……これはおちおち昼寝もできないな……)


 透は昼食をいつも学食で済ませている。そして決まってメニューはカレーライス。

 高校に入学した直後は経費削減で自炊に挑戦し弁当を持ってきていたがいろいろとあって面倒になり今では週五回食べるほどのカレージャンキーになっていた。普通盛りと大盛りの値段が変わらないのでいつも大盛りで頼んでいる。


「おばちゃん、カレー大盛りでお願いします」


 通常では大盛りを頼むと、


「大丈夫? 残さないで食べられる?」


 一旦確認を取られるが常連で顔を覚えられた彼女の場合、その過程は省かれる。顔を見られただけでカレーライス大盛りが出てくる日も近いだろう。

 注文し終わるとお盆を取り、横に移動する。透のすぐ後ろに並んでいたマルコもそれに倣う。


「おばちゃ……おばさん。カレー大盛りでお願いします」

「あら、いいの? 大盛り全部食べられる? ご飯だけでも400gあるよ?」


 一見さんのマルコは決まり通りに確認を取られた。


「日本人は少食だと聞いてましたがご飯は別なんですね……」


 ご飯の量に仰天する。

 この食堂の大盛りの設定は廃棄処分するご飯の量を減らすために設けられた経緯があるために破格の量となっている。


「せっかくだし大盛にしとく?」

「え、えと、それじゃあ普通盛りで。大盛りはまた今度で」

「冗談よ。無理しないでね」


 マルコがお盆を取り、透の後ろに着いた時には彼女の分のカレーライスが出来上がり料金を払い終わっていた。


「……」


 何も言わずお気に入りの席に向かう。受け取り口から一番離れた食堂の角の席だ。遠いからかそのエリアは人が少なく席を確保しやすく、お一人様でも比較的人の目を気にせずに食事が出来るスポットだ。

 そんな日陰な過疎地域に座っていても引力でもあるのかマルコは透のもとにやってくる。しかし目の前と左右が空いている席が空いててもマルコは彼女の後ろに死角に入るように、だが距離を取らず真後ろの席に座る。なんとも杜撰なスパイだった。


「うーん、これは……どういうことだ」


 スプーンの持ち手でテーブルをノックする。微妙な距離を取り方をされる原因は何かと透は省みる。

 

(超能力のせいかな? いや違うか、反応を見る限り超能力には怯えている様子はないし、むしろ好意的……ぽい? それじゃあ、あの大胆なキスが原因? これは偏見だけど、アメリカならあれぐらいのスキンシップは常識の範疇じゃないの?)


 スパイシーな香りの刺激で脳の活性化を期待したが、結論に至らなかった。


(まったく仕方ないな……)


 結論に至らない場合、ひとまず何でも行動に出るようにしている。藪蛇だろうと当たって砕けろをやってのける性格だった。


(蛇ならまだまし。蛾とかが飛び出たら最悪だけど)


 大きなため息を漏らして振り返り、柔和に話しかける。


「マル……コちゃん、一緒に食べない? ほら、私の席の前の空いてるよ?」


 口角が上がっていない作り笑顔が見え見えだが、精一杯愛想を振りまく。


「……」


 しかしマルコはそっぽ向いて、あたかもさっきから自分は食事に集中していましたそれとなんか知らない人が後ろから話しかけてくると言わんばかりにカレーライスにがっつく。意外と気骨のあるちびっ子だった。


「このちびっこは~……」


 透は渋面を作りそうになるも必死に耐え、スマイルを維持したまま営業を続ける。


「さっきチュ~したの謝るから仲直りしよう? ね?」

「……」


 それでも態度は変わらず、無視を通される。透のイライラゲージが20%にまで上昇する。


「それじゃあこれならどう?」


 次に皿を持ってマルコの隣に移る。するとマルコは即座に自分のカレーライスを持って一つズレる。この態度にイライラゲージが上昇するかと思いきや、これはこれで楽しいので10%に下降した。磁石みたいで面白く可愛く楽しく思えた。

 愛すべき隣人の食器には少量のご飯、肉、そして大量の人参が残っていた。


(ほほう、好き嫌いですか……)


 透はそれを確認し、次の作戦に移る。


「あ~! ダメじゃない、人参残しちゃ! 大きくなれないよ」


 わざとらしく大きな声を上げる。食堂にいた幾人かが透とマルコに視線を向けた。

 好き嫌いを恥と感じているようでマルコは手で皿を隠すも隠し切れていない。皿をじろじろ見てくる透に対して、マルコは彼女の皿を指差して反駁する。


「透さんだって玉ねぎ残してるじゃないですか!」

「あ、やっと話してくれたね」


 またもマルコは逃げようとするが、


「おっと食器を置いてどこへ行くの?」


 腕を掴んで逃がさない。華奢な腕だった。舐め続ければ溶けてなくなりそうなか弱い腕だった。


「放してください! もう食べ終わったので教室に戻るんです!」


 じたばたと暴れるが、体格差で圧倒する。


「まあまあ、アメリカじゃ残すのは常識でもここは日本。残したらもったにない。ところで物は相談なんだけど」


 昨今の給食事情では残しても良い決まりになっているが新聞は番組表しか見ない透がそんなことを知るはずもない。


「マルコちゃん、人参を残してる? でも玉ねぎは残していない。私はその逆で人参は食べてるけど玉ねぎは残してる……飛び級するぐらいお利口さんなんだから、ここまで説明すればわかるよね?」


 マルコが真後ろに座った時からバレないように透視で観察した甲斐があった。好き嫌いが発覚したので話の種になるのではないかと思い、このようなミスリードを誘った。ちなみに透に好き嫌いはない。昆虫食以外なら。


「……分かりました。お願いとあれば食べてあげます」


 マルコにも食べ物を残すことに抵抗があったようで(片側が多少の武力行使に出ていたものの)交渉はここに成立した。お互いの皿を丸ごと交換して食事を再開する二人。今度は隙間なく隣同士で座っていた。


「そういえばお姉さんって何してる人なの? 超能力者なんでしょ」


 視線を皿に落としながら透から話しかける。

 無言では気まずいと思い会話を始めようとしたが、


「秘密です」


 峻厳な態度で出鼻を抉られた。


「お姉ちゃんって今どこにいるの? 日本にいるの」

「わかりません」

「わからないってことはないんじゃない」

「……教えられません」


 透のイライラゲージが70%に達した。距離を縮められたと思った矢先にこの態度。


(これは年頃の子は気難しいというより……面倒くさいな……)


 こちらから歩み寄っても逃げられ、逃げようとすれば追いかけられる。猫のような生き物なら許せるが、意思疎通の可能な人間同士だ。自分には保育士や教師は向かないと思うと同時に、教師という職についた担任の物部万理を少し見直す。


「そうですか。教えられないですか」


 会話に乗らないのであれば長居は無用。当たった結果、砕けた。邪険に扱いづらかったが今後はカレーライスのように辛く接することを決心した。

 皿に残っていた人参を一瞬にして平らげ席を立つ。同席者の食事はまだ終わっていない。


「それじゃさようなら」


 挨拶というよりもにべもない独り言を残してその場を立ち去る。


(悪く思わないでよ……これも君のためなんだからね……)


 食器の返却口に向かうその足は泥沼を歩いているように重い。足が重くなった原因はなんとなくわかった。

 それはほんの一瞬だけでもマルコの目を見てしまったからだった。懐かない猫のような態度をしていたと思えば今度は捨てられた子犬のような目をしていた。外見だけでなく内面でも寂しい感情があったと透にはわかった。


(これからずっと、あんな目をしている年下の子供に、いじわるばあさんを演じ続けなくちゃいかんのか……)


 食べすぎだからではなく、胸周りがざわつく。

 

(さすがに思いやりに欠けたかな……人には言えない深い事情があって、それがこじれにこじれ、不可解な接し方を強いられているのかもしれない……私みたいに)


 自分の境遇と重ねる。

 そして、


「まあ、臨機応変って大事だよね……」


 方針変更。


「しょうがない、寂しがり屋さんのためにもお姉さんの私が大人になってあげますか……」


 食器を片付け、食堂のおばちゃんたちにご馳走様と挨拶し、いざマルコのもとに行こうとした瞬間、そこに物部万理が突如現れた。


「透さん。今食事終わったところ? 手伝ってほしいことがあるんだけど良いかなって……どうしたの、髪を掻きむしって」

「いいえ、何でもないんですよ! 何でも!」


 人生の不如意さに少し声を荒げてしまう。そして担任の間の悪さに見直した分を帳消しにする。


(厄介な相手と出くわしてしまった……)


 差し迫る状況に心の中で愚痴った。

 物部は静謐な学校生活を送る透にとっての上から二番目の天敵だった。授業中なら何も問題ないが休憩中にマンツーマンでエンカウントすると一人でもできるような用事を手伝わされ昼休みを潰されるなどろくな目に合わない。

 いつもは特に言い逃れができないために渋々と手伝っているが今日に限っては違う。


「すみません、私にも用事がありまして」


 高校からはずっとぼっちだったので用事があるなんて大それたこと久しぶりに言う。


「それってどうしてもはずせない用事? できるなら先生の用事を優先させてほしいんだけど。ほんっとうに急いでてね」


 食い下がってくる物部に対し舌打ちをしたくなるもあくまで柔和に笑顔で対応する。経験上彼女の用事がほんっとうに急ぎだった試しはない。どれも明日でも間に合う案件だった。


「そうですね、どうしてもはずせない用事がありまして」


 恐らく留学初日で知り合いも話し相手もいない。櫂を失った小舟のように漂白し悲哀を漂わせて食事をしているであろう。そこに自分が迎えに行かなくてはいけない。

 そう期待してマルコのほうに目をやったが、


「あれ……?」


 彼女の目算は大きく外れる。

 食堂内に女子グループの人だかりが忽然と現れ、ゆらゆらと揺れる魚群のようになっていた。その魚群はいつも過疎気味の食堂の角、つい数十秒ほど前まで自分が食事をしていた席とまったく同じ位置に出現していた。まさかとは思い、透視で中を覗く。その渦中にはマルコはたくさんのお姉さん方におもちゃのようにちやほや弄ばれていた。


「マルコちゃん、いくつ? 今一人? お姉さんが学校案内してあげようか? あと学校の七不思議についても教えてあげる」「どこ住み?てかSNSやってる?」「はい、食後のチョコレートだよ、たくさんお食べ」「チョコレートは虫歯になるからだめだよ! お姉さんのバニラアイスあげるね。あーんして?」


 学年関係なく大勢の女子に大人気。ユニークな魅力で溢れている子だ、他の女子も放っておくわけがない。


「えとあの……その、皆さん、ちょっと落ち着いて……」


 中心にいるマルコは迷惑そうにしているが少し嬉しそうにもしていると透の目に見えた。

 その光景をしっかり確認した透はまっすぐと物部万理を見据え、こう言った。


「暇です。超暇です。ぜひ手伝わせてください」


 笑顔は消えていた。今は不気味に感じるほど無表情だった。


「そ、そう? でも今さっき用事があるようだったけど」


 期待していた答えが返ってきた物部であったがあまりの異質さに思わずたじろぐ。


「そうでしたか? もう今の私はフリーにフリーですよ? フリーが集まってフリーズですよ」

「……先生の見間違いだったかな」


 透がそう言うのであればそうなのだろう、と深く考えないことにし、


「それとその英語はめちゃくちゃだからすぐに忘れてね……」


 大事なことを忘れずに付け加えた。 

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