第2話 一枚の写真に

 ぼくの部屋に少し退色しかけた一枚の写真が飾られている。

 夕焼けで空と海はオレンジ色に染り、太陽が海に接しようとするあたりからろうそくの炎のように伸びた海面の反射といくつか浮ぶ雲の縁には、金粉を混ぜたような輝きが生れている。右手は黒々とした絶壁で、その上部から手前にかけては逆光で陰になってはいるが、かろうじて緑色をとどめている芝が続き、よく見ると牛の影も何頭かは識別できる。左手は海中に塔のように岩がいくつか突き出て完全なシルエットになっている。そして、全体がクリーム色のもやのようなもので包まれている。

 浄土。その写真を見ると、なぜかこの言葉が浮ぶ。もちろん浄土を見たことはないし、仏教に興味があるわけでもないから浄土がどういうものかもほとんど知らない。それでいて、もし浄土というところがあるとしたらそれはこのような風景ではないだろうか、と思ったりするのである。

 以前にも、これとほとんど同じ風景写真を見たことがあった。ずいぶん昔のことだが、そのときも浄土というイメージを抱いたことを覚えている。どうしてもその写真のような風景が見たくてぼくは旅に出たのだった。そして撮ってきた写真が、いまぼくの部屋に飾られているというわけである。


 翌年には受験勉強が控えていたので、高校時代の大きな旅行はこれが最後かもしれないと思い、ぼくは高校二年の夏休みに長期間のヒッチハイク旅行を計画していた。たぶんそのころ、何かでその写真を見たのだろう。それは隠岐の国賀海岸を撮影したものだった。計画では東海道、山陽を抜け、九州に入ってから引き返し、秋吉台を通って山陰を海岸沿いに上って京都へ入るというものだった。特に山陰は秋吉台、青海島、萩、(津和野は離れているので外して)、出雲大社、日御崎、松江、大山、神話由来の土地、鳥取砂丘、山陰海岸国立公園、天の橋立、若狭湾とポイントが集中していたが、さらにそこに隠岐の島を加えたのであった。船で渡るために日数がかなり増えることになるが、どうしても一目あの風景を見ておきたかったのだ。


 ヒッチハイクで海を渡るのは不可能ではない。車と一緒にフェリーで渡ればいいのだ。最初のころは完全なヒッチハイクを目指していた。例えば北へ向かうときは国道四号線を上野から乗り、北海道へ渡るには野辺地で四号線を別れて下北へ向かうトラックを拾う。下北半島の北端、大間港は北海道を最短で結ぶフェリーの起点で、北海道と本州を行き来するトラックはたいていここに集る。だから野辺地から下北へ向かう車を拾えば、かなりの確率でそのまま北海道へ入れる。もちろん、四号線上で乗った車が幸運にも北海道行きであれば、ドライバーにまかせてそのまま乗っていればいいのである。

 しかし、隠岐へ渡るときはどうしたのか覚えていない。たぶんヒッチハイクではなく、普通の連絡船に乗ったような気がする。島内での連絡の問題があったのだろう。隠岐は一つの島ではなく、飛行場のある大きな島の島後と小さないくつかの島からなる島前に分れ、目的の国賀海岸は島前の西ノ島にあった。たいていの船は島後に向かい、西ノ島に寄る船は限られていた。たぶん一日に一本ではなかったか。しかも西ノ島の浦郷港に着いたあとの国賀海岸までへの連絡にも不安があった。なにしろ二五八メートルの断崖の下にへばりついた岩礁の入江なのだから。観光船が海側から眺めるために立ち寄るだけのところで、近くに人の住む集落はない。

 船上から見た日本海のことはよく覚えている。半島をまわりこんで外海へ出たあたりから海の色が変わり、ちょっとへんな言い方だが、海が固い、という印象だった。海岸を巡る遊覧船には何度か乗ったが、日本海の海原に出たのはこのときが始めてだったのだ。ぼくはデッキに立って飽きることなく海を眺めていた。船はその固い海を割るようにして走った。やはり太平洋とは違う、と感心したものだ。前方で飛び魚がつぎつぎに左右に分れて飛ぶ。それは行く手の海にまさしく割れ目が走るようであった。飛び上がった魚が水切りの石のように海面すれすれを意外に遠くまで飛ぶ。魚の細長いスマートな形がその優雅な飛行とよく似合っていて、日本海の海の固さと一緒に記憶に焼き付いている。

 国賀海岸で降りたのはぼくひとりだった。入れ替わりに肌をピンク色に染めた家族連れやアベックが乗り込むと、船はまた音のわれた音楽をスピーカーから流して出て行った。浦郷の港で、海岸巡りの遊覧船が希望があれば国賀に上陸させてくれると聞き、その船に乗って奇岩・絶壁の続く海岸の名勝を見物しながらやって来たのだった。国賀海岸の中心は魔天崖と呼ばれる高さ二五八メートルの断崖で、船はその近くまで来ていったんエンジンを切り、それからゆっくりまわり込んで岩礁群の間を抜ける。海に突き出た岩礁はその形から、それぞれ通天橋、鬼ガ城、乙姫御殿などの名前が付けられ、テープレコーダーの女性の声で案内される。さらに洞窟をくぐったり、さんざん寄り道をしたあと、小さな砂利の浜へ向かった。浜に散っていた色とりどりの人の影が船着き場に集ってきて、ぼく入れ違いに船に乗り込むと、もう浜にはほとんどだれもいなくなってしまった。前の便で上陸し、ここでたっぷり遊んで帰る人たちだ。その人たち相手の売店が浜の隅にまるで物置小屋のようにぽつんと建っている。シャッターが降ろされているのを見ると、きっとお店の人も今の船で帰ったのだろう。ぼくが乗ったはその日の最終便だった。

 いつもだと、目的地に到着してまず最初にやることは、あたりをよく探索して地形や様子を調べることである。昼と夜でどう様子が変わるかも予想しておく必要がある。とくに海辺で注意しなければいけないのは、潮が満潮時にどこまで迫るかだ。寝ているあいだに波を被るような悲劇はごめんだ。また、天候が急変して嵐になった場合にも備えて、水の通り道になりそうなところも避ける。さらに附近の人家や店、道路や人通りなどや、水、トイレの確保などなど、さまざまな条件を考慮する。そして最適と思われる場所にテントを張る。キャンプ場の場合は、水場とトイレの位置を考えるぐらいであまり気にすることもないが、こういう自然の場所では相当注意を払う。

 ところが、その日は充分な調査をせずにテントを張った。

 岩場の奥の小高くなったところに4、5張のテントが見えた。キャンパーらしい男たちが磯で素潜りをしていた。なにかを捕っているらしかった。聞くと大阪から来た大学生のグループで、さざえとかあわびが捕れるという。夕焼けになる前にぼくもいくつか捕って夕食のおかずにしようと思ったのだ。午後ももう遅かった。彼らのテントからなるべく離れたところに急いでテントを張って、素速く着替えて海に潜った。彼らは穴場やこつを教えてくれようとしたが、ぼくはひとりで潜った。グループで来ているキャンパーたちは、たいてい夜遅くまで酒を飲んで騒ぐものだ。ぼくは彼らに巻き込まれずに、ひとりで静かにこの風景を楽しみたかったのである。

 あわびは見つからなかったが、小さなさざえがいくつかともっと小さな巻き貝を両手一杯ぐらい捕ることができた。まずまずの収穫である。

 そのころにはもう太陽はだいぶ低くなっていた。夕焼けが始まりだすと太陽は意外に早く沈むのだ。ぼくはカメラを持って海岸を散歩した。太陽を脊に海からローソクのように突き出た岩やさまざまな形の岩礁を写真に収めた。空が赤く染り始めていた。

 彼らはまだ海で潜ったり泳いだりしていた。背後の急な斜面を巻いて登る小道を見つけたが、ぼくはそれを登ろうかどうしようか少し迷った。かなりの高さまで急な斜面は続き、ずっと上のほうで緩く巻いて魔天崖の頂上に出るようだった。上に登りきるまでに太陽が沈まなければいいが、と祈るような気持でぼくは斜面を登り始めた。西の空に浮んだ雲の縁が金色に輝きだした。息をきらして必死に登るが、斜面がきつくて思うように進まない。風はまったく止まっている。汗が吹き出す。スロープが緩くなったところで一気に駆け出し、見晴しのいいところにカメラを据えた。今にも太陽は海に隠れようとしていた。

 右手はなだらかに魔天崖の上へ続き、左下にはさきほどカメラに収めた奇岩の連なる岩礁が見える。そして海は黄金のビロードを敷いたようにやさしく広がっている。あの写真の風景である。

 太陽は静かにスピードを早めながら沈んでいく。オレンジ色の海に紫が混ざり始める。小船が海を横切って行く。その曳航が金の紐のように伸びている。

 太陽が海に隠れる瞬間、なにかがこぼれたように、そこにさっと光が広がり、消えた。

 小さなが風が吹き抜けた。

 太陽がくれた小さな風だ。そう思うと喜びが全身を満たしていくのが感じられた。あれは、今日の別れに太陽がくれた投げキッスなのだ。

 背後のいつのまにか青味を深めた空に、ぽつんとひとつ星が輝いている。緑の芝がなだらかにうねって魔天崖の上まで覆い、その頂上で何頭かの牛がのんびり草を食むのが見える。ぼくは芝に腰をおろしてしばらく海を眺めていた。遠かったけれどやっぱり来て良かった。高校時代最後の旅の思い出にしっかり胸に焼き付けておこうと思った。

 背後から風の近づく気配がした。西の空にはまだ残り火のように明りがさしていたが、頭上にはもうたくさんの星が輝き出していた。あたりはもう真っ暗になってきていることに気付き、斜面を降りた。大阪のグループは夕食をあらかた終え、大きな声を交わして酒を飲んでいた。急に激しい空腹感を覚えた。ぼくは急いで食事の支度にとりかかった。

 この話をもしここで終えることができたら、「太陽のくれた投げキッス」とかのロマンチックなタイトルでも付けて、アルバムの写真のように美しい思い出の一駒とできただろう。しかしぼくには、この日の思い出は、そのあとのなんともなさけない出来事と分かちがたく結び付いているのだ。

 大阪のグループたちとはあまりかかわりたくなかったけれど、あたりは真っ暗になっていたのでしかたなく訊いたのだった。「すいません。水道はどこですか」と。彼らは、今ごろなに言ってんの、という顔をして答えた。昼間開いていたあの物置のような売店で水を売っているという。それ以外に水はない。ここには川も湧き水もなく、もちろん水道もない。水をもらえる人家もない。崖を登った高台の奥に道路が走っているが、いちばん近い集落はそれを四、五十分ほど歩いた浦郷だという。ここへ来る遊覧船に乗った港町である。

 売店に行ってみたが、当然のごとく鍵が締っていた。懐中電灯で周囲をくまなく調べたが、裏手にコーラやサイダーの空き瓶が積まれているだけであった。ドアをガタガタやり、窓をガタガタやった。もし開けば、お金を置いて水をもらおうと思った。すると脇の小さな窓が開くのがわかった。その窓には格子がはめられ、中に入ることはできないが、腕なら通りそうだった。そしてなんとか手が届くような位置にサイダーの瓶が並んでいた。しかし、サイダーで飯を炊くわけにもいかないだろう。しかたなしに、さきほど捕ったさざえや巻き貝を海水で煮て食べた。

 それからどのくらい時間が過ぎただろう。なかなか寝つけないうちに、空腹に加えて喉の渇きが襲ってきた。大阪のグループのテントはみんな明りが消えていたが、そのどこかのテントの中から小さな話し声がする。何人かはまだ起きているようだ。しかし、彼らを避けていた手前、わざわざ彼らに水をもらいに行くつもりはなかった。さっきのサイダーがしっかりと脳裏に刻まれていたのだ。明日ちゃんと事情を話せばわかってもらえるだろう。

 テントを出てみると空には水平線近くまで星がひしめき、ラグビーボールのような月があたりをこうこうと照していた。月明りは案外に明るいものだ。ぼくは明りを避けて裏手の斜面の陰から小屋に近づいた。小屋の側面の窓を開け、格子の間から手を差し入れた。中は暗くて何も見えない。さきほどの記憶をたよりに手をまさぐると、思ったより奥のほうでそれに触れた。手探りで一本を握り、引き抜こうとしたとき、ガチャガチャーン。なにかが倒れ、瓶の割れる音がした。テントのほうで人の声がした。ぼくはあわててその一本をつかんだまま手を引き抜くと、小屋の陰に隠れた。何本もの懐中電灯の光が帯となって走り、そのいくつかは小屋を照した。ぼくは息をひそめて様子をうかがった。彼らが小屋まで来る気配はなく、しばらくすると懐中電灯も消えた。すぐにテントに戻るわけもいかず、ぼくは斜面を登り、万能ナイフで栓を抜いてサイダーを飲んだ。それはぬるく、甘いだけのものだった。星が哀しいほど美しかった。

 あまり眠れないまま、陽の昇る前にテントをかたずけ、リュックを背負って斜面を登った。だれにも見られないうちにこの海岸を逃げ出そうとしていた。ようするに夜逃げである。

 あたりは青い光で満ちていた。今日も素晴らしい天気になるだろう。高台の上を通る道路をぼくは港へ向かって歩き始めていた。朝陽が昇ろうとしていた。

 ここに二、三日滞在するつもりだった。この風景の中にゆったり浸って、夕焼けに海が染まるように、ぼくの全身がこの美しい風景で染め上げられるのを望んでいたのだった。しかし、それは受け入れなかった。なんとなく、ぼくはそのように感じたのだった。

 この一枚の写真に、いまでもぼくは片思いをしている。あの海岸にもう一度会いに行きたいと、あれから何度も思った。しかし、いまだに行けないでいる。

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