第2話 はじまりの本

 学校に響く鐘の録音。その音が体の張り詰めた息を解き放つ。

 生徒達は自身の教室へと戻っていく。静けさが印象的な雰囲気が一転してガヤガヤとした騒々しい雰囲気となる。

 透は「本を好きになる」ための鍵のヒントを得るため本山に助言をあおぐことにした。瞳には一人で黙々もくもくと動く本山の姿。透は本山に話しかけた。

 と同時に柊もやって来た。

 彼もまた透と同じ考えを持っていたようだ。

「……すっ! お前もどうすればいいか分からず、聞きに来たのだな」

 彼は日和の弟で透とは中学生時代からの同級生。彼もまた厨二病だ。自身を魔王と称し、魔王の言動をしているつもりのようだ。ただ、言葉が浮かばない時がしばしば。その時はポーズを決めてドヤ顔で「すっ」と言うのがお決まりだ。

「うん、僕も聞きに来た。本は好きでも嫌いでもないけど、今のままだとその状態から好きにも嫌いにもなれなそうだからさ」

 本山は二人に向き合って話を聴く態度をとった。優しく見下ろす表情が安堵感を与え、口を開かせる。

「あなた達は本を好きになるためにどうすればいいか聞きにきたのですね?」

 はい、そうです。と返す。

 本山は二人から溢れ出る悩みの煙を感じ取りながら唇を開けていく。

「本は……嫌い?」

 その問に対して透は本に対する自論を放った。

 隣にいる彼は浮かない顔でその通りであると答える。

「理由はあるの?」

嗚呼ああ、大魔王に野心を打ち砕かれ、我の心は……我が心の……「すっ」!」

 本山は思わず首を傾げていた。

 普通では理解されないが、透は理解していた。柊の言語を本山にも分かる通常の言語へと通訳していく。

「多分ですけど、柊は姉と比べられてきて、いつも負けていたから嫌いになった感じですよ。国語とか文章力とか……」

 本山は言葉を咀嚼そしゃくしていく。

 そして、一つの解を導き出していた。

「なるほどね。殆どの人が本を嫌いになる原因。そのものね」

「どういうことですか?」

 柊の代わりに透が疑問をぶつけた。

 本山は目線を壁に向けた。

「授業が本を嫌いにさせるのよ。私はね、本が嫌いな殆どが学校のせいだと思ってますの」

 学校が本を嫌いにさせる────

 どういうことだろうか。頭の中で湧き立つ謎。謎が謎を呼び頭の中がこんがらがっていく。絡まった糸を解くため耳を傾けることにした。

「学校は競走社会。テストの点数とか通知表の得点とかが高ければ良い生徒。逆なら悪い生徒。良い生徒を目指す競走が学校にはある。それで、授業はその競走をさらに進めていくのよ。評価を下して優劣つけて、生徒達に良い生徒を目指して貰う」

 本山は視線を壁側に向けた。

「国語とか現代文とか、そういう教科の競走が元凶。もちろん、国語とかは学ぶべき大切な教科。けど競走のために点数を下して優劣をつけることが間違いだと思いますの。私はね、こう思ってます」

 またたく間の一息。

 二人は固唾かたずを飲んだ。


「本への捉え方は人それぞれ────」


 本山は優しく見下ろした。

 変わらず本山のターンであった。

「テストとかで文章の内容を読み取ってその中から一文を探す問題とかありますよね。評論文はいいですけど、物語でその問題はあまり望ましくない。本への捉え方は人それぞれなのに、その問題は捉え方、もとい考え方を一つに決めつける」

 本山の瞳には熱く煮えたぎる炎が見え隠れしていた。

「求められる捉え方、考え方に慣れない人はその本そのものを遠ざけていき、正解出来る生徒と比べておとるという烙印らくいんが押されてもっと本を遠ざける。結局、競走の中で落ちぶれている事実を受けて自信を失って、本を嫌いにもなっていく。おそらくこの理由で本を嫌いになった本人達は理由に気付いてないと思いますけどね」

 本山の目線が段々と降りていく。

 口では言っても行動に移して対策することの出来ないもどかしさ。この問題をどうこうすることは出来ない。矛盾だらけのこの社会を、本山は視線を落とすことで目を背けた。

 時が止まる感覚。

 二人は何も言えなかった。

「ごめんなさい。随分ずいぶん、前振りが長くなりましたね。本題に入りましょう。本が嫌い、好きでも嫌いでもないけど興味がない、それでいてどう本を好きになればいいかですよね……」

 時間が押してきたようで少しだけ早口になっている。それでも聞き取るにはなんなく出来る早さだ。

「本が嫌い、本に興味が無い。どちらとも本を読むのに空白の時間ブランクがあると思います。そのせいで今本を読むのに躊躇ためらいがあると思います。それは仕方ないです。文章に真っ向から触れてないと長く続く文章を苦痛に感じるかも知れません。苦痛しか感じていない状態で読んでいてはいつまで経っても本は好きになれませんし、本を好きになるために悪影響です」

 本山は続ける。

「だからこそ、徐々に慣れていくことが大切です。本は文がぎっしり書かれた小説や評論とかだけではないのよ。絵本でもいい。児童文書でもいい。高校生なら、見たことある映画とかドラマの題材となった本でもいいし。何なら文庫化されてないネット小説とかでもいい。本当に何でもいい。まあその答えが一番困ると思いますけど……」

 自分でいいながら自分で苦笑いを浮かべる。

 何でもいい。抽象的すぎる答え。だが、具体的な例が出されていたお陰で理解は出来た。

見栄みえとプライド、恥ずらいが邪魔するかも知れないけど、のものならそれを乗り越えるべきよ。そしたら、視界も拓けてくるじゃないかしら」

 きりがかかった世界。どちらか前かも分からなかった。だけど、本山の放った光がその世界であわく照らす。目指すべき方向は分かった。後は、自力で霧を払うだけだ。

 見栄とプライドと恥ずらい。それを乗り越える。最初の課題が見つかった。

「ありがとうございました。何をすればいいか、見つかりました」

「我も……感謝を述べよう。ありがとうございました」

 ビブリオバトルが始まってからも山はあるが、ビブリオバトルが始まる前にも山が沢山ある。一つ一つ乗り越えていくだけ。目的は記憶した。後は目標を一つ一つ達成していくために、透は歩み始めた。

 鳴り響く鐘の音がBGMとなり小さな冒険が幕を開けた。空に漂う雲がとどこおりなく流れてゆく。



*


 本を好きになるために。やり甲斐がいある道路みちろに胸をふくらませていた、あの日。

 学校からの帰り際に文香が話しかけた。

「土曜日、暇?」

 その時、透は図書係での出来事で脳内が充満しており、それ以上の思考はパンクしてしまう程だった。そのせいで、何も考えずに返答する。素直な答えだ。

「うん、暇だよ。用事もないしね」

 その言葉が決定打となった。文香はその言葉の後に土曜日に苺音と「苺音の恋の秘密会議」を開くことを述べ、透をそこに誘った。

 透は断ろうという考えが過ぎったが、すぐにさっきの返答を思い出した。それとともに容易たやすく断れないことをさとる。



 明るい日差しが目を覚まさせる。猫が陽向ひなたにうたれて丸くなる。閑静かんせいな住宅街の中で自転車をこぐ。

 今日、文香に誘われた会議に行く用事がある。

 透は会議が行われる前に地元の図書館に行くことにした。


 静けさが印象的な図書館に入っていく。入口の自動ドアを抜けると本が沢山ある世界が広がっている。

 ふと横を見ると柊がいることに気付く。彼は片膝を床につけ下段にある本棚を眺めていた。

 一回りふたまわり低い本棚。その割に棚の本は縦幅が広い。彼は本を取り出す。その本は単調な絵柄と大きい単語が印象的だ。近くにいた小さな子ども達やその子ども達の母親が柊に視線を合わせる。

 そこは、のコーナーであったのだ。

 はたから見てとても浮いている。小さな子どもが彼に向かって人差し指を向けているにも関わらず。本を持ちながら自身の世界にのめり込んでいた。

 本を持ってかっこよくポーズを取る。

「これこそ我が最初の……我の手始めに……「すっ」!」

 和やかな雰囲気の中で柊は独特な空気を放っていた。

 近付きたくない雰囲気。気付かれたら気まずい雰囲気に巻き込まれる。そうならないように透は気配を消して先を行った。


 小説などが並べられたコーナー。

 透は本のタイトルに目を通していく。インパクトが強いタイトル、ジャンルを全面に出したタイトル、数々のタイトルが瞳に入っていく。

 ふと一つの本に目が止まる。

 聞いた事があるタイトル。まぶたを閉じて記憶を呼び覚ました。

 見たことのある有名な映画。それの小説版であった。

「映画だけの物語だと思ってた。本でもあったんだ。知らなかった……」

 そう言って、その本を取る。

 透が本を好きになる第一歩。まずは一つ。ビブリオバトルの企画まで時間はあるようで短い感覚がある。もたもたはしていられない。

 その本を持って受付に向かう。


 雲一つない青空。視界が晴れる。

 見落としていた本の世界。晴天の輝きがその世界を強調させる。晴れた視界には無数の本が。

 透は初々ういういしい気持ちで瞳に映る世界を見て、出発の合図を鳴らした。



「最初の本はこれに決めた────」

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ビブリオの王、ゼウス りらるな @luna121

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