ビブリオの王、ゼウス
りらるな
第1話 ビブリオの予感
数多アル知識ノ塊、我々ノ周囲ニ散リ舞ウ
小説、漫画、資料集、教科書、ライトノベル、絵本。様々な種類の「本」がこの世界には数え切れない程存在する。その数は一億冊以上あると言われ今も尚増え続ける。身近な場所にもそこには本があり、私たちの生活に溶け込んでいる。
山ト成ル無数ノ塊、ソノ中ニ宝ガ眠ル
人の感性や考え方は一人一人違う。各々の持つ思考は本に対する捉え方を変える。例えば、二人同じ本を読んだ時その本への捉え方は大抵違っている。また、他人と自分では好きなジャンルや種類も違うこともある。最高や素晴らしいと感じさせる本も各々で変わってくるのだ。
最高や素晴らしいと感じさせる本、
存在するけど定かでない。宝探しは夢や冒険に満ちた
得タ宝ノ価値ヲ脅カス異ナル宝
我ガ宝ガ世界一ト証明ス為、優越ヲ決ス争イヲ行ウ
見つけ出した宝、それに価値の唯一性はない。宝に価値を求めて他人の宝と優劣、いや
ソノ決闘ヲ"ビブリオバトル"ト呼ブ
その戦いこそがビブリオバトル。参加者は順に自慢の本を発表していき、その後議論をして、最後に最も読みたい本、つまりチャンプ本を決める。
激戦ニ勝チ抜キ覇者ト成リ頂点ニ君臨シタ者
博識タル叡智ト聡明ノ勲章ガ授与サレシ
即チ王ナル存在
全知全能ノ神ノ名ヲ借リテ「ゼウス」ト呼ボウ
ビブリオバトルで勝ち抜き続ける。それは容易なことではない。だが茨の道の先にある場所に辿り着いた頃には、博識となっているはずだ。勝つために考察した本、それが積み重なり山となる。他人の紹介を聞いて自身の糧にする。いつしか大量の本の知識が加わっている。そう、気付いた頃にはさらなる知識を得ているのである。
見える外側では名声を得て、見えない内側では知識を得る。
トップとなった者に与えられる二つ名。それこそが
人々はゼウスを目指して自慢の本をぶつけ合う。
様々な思惑が混沌の戦場で混じり合う。誰もそうなることを予想することはなかった。
*
猛暑下の長休みが終わる。
秋の風が吹き始める想像とは裏腹に、現実では、降り注ぐ猛暑が続いている。残暑と言うには暑すぎる。環境の変化で真夏が伸びているのだ。
普段は広く感じる体育館も今日は全校生徒が皆集まり狭く感じる。埋め尽くされた体育館の中は
床に座り続ける。体の中に溜まっていく熱気も発散されない。皆の前に立つ校長の長く退屈なお言葉を微動だにせずに聞いていく。汗が垂れ、制服で
新学期の気分はなく、ただ単なる苦行を行っているという感覚に陥っていたのであった。
苦行は終わりクラスの教室に戻った。
体の奥底から開放感に包まれる。椅子に座りながら背伸び。身体が伸ばされ、疲労が拭われていく気にさせる。
雲が全く見えない青い空。空いた窓から注がれる微々たる風。そんな風も今は冷風に打たれたような
ここに来てようやく、新学期が始まった感覚を受けた。
騒がしく響く喋り声。先生が来ると否や
放送係、体育係、保健係、様々な役割が埋まっていく。
残る枠は図書係一名、環境美化係四名。
透は余り物になった環境美化係になるのだろうとたかを括った。ただ、そうはならなかった。
図書係になりたい人、と聞いて挙手を待つ。静まり返った教室の中で手を挙げたのは
「推薦したい人がいます。いいですか」
文香の軽やかで真っ直ぐ放たれた声が教室に響く。その様子を見てなるほどと頷くとともに、誰だろうと首を傾げた。担任の承諾と共に彼女は言い放った。それは透にとって予想していないことだった。
「透君がいいと思います────」
視線が集まっているのを肌で感じる。斜め上の出来事が頭を真っ白にし、透は困惑の感情を胸の中で処理していった。
透は状況の処理中で声を出す事は出来なかった。他に文香の意見に反論する者はおらず、後期は図書係をやることになったのである。
窓に衝突し空中で止まった緑葉が今となって風に
ただ文香の性格上、何となく、で行動することもある。透はその可能性を頭に入れつつ耳を傾けた。
「もっちろん。ちゃんと理由はあるよー」
文香は別の方向に視線を寄せた。その方向を見ると同じく図書係になった
「透君なら私の作戦のために動いてくれそうだからね」
つまり、透は文香の駒となったのだ。彼女は図書係に駒として動ける人を入れたかったようだ。そして、残った五名の中で彼女が動かせる唯一の駒が透であったのだ。
文香の持つ企み。その企みに巻き込まれた透はもう他人事では終えることは出来なくなった。他人事なら無知でも何事もなく終えられるが、当事者となってしまうと無知だと危険性が付き
「作戦って、何。何やるの?」
透は率直に聞いた。文香は胸を張って返答する。
「ずばり『
*
呼吸が踊り、胸が圧迫される。頭の中に広がる
夏
高くから伸ばされる手がシルエットとなり、脳裏から離れなくなっていた。外的刺激からくる辛さが、初恋からくる甘酸っぱさへと一瞬で転換した。頭の中がその味で染まる。辛さが記憶の底から消える程、その味は印象的だった。
猛暑の暑さよりも恋の温度が上回る。恋を考えていたら長い休暇があっという間に過ぎていた。そして、新学期が始まる。
修哉に近く方法を考えていた。
修哉は一年からずっと図書係を務めている。だから、私も図書係になれば関わることが出来る。
しかし、それには問題が含んでいたのであった。私は一年からずっと保健係をしていて、保健係のイメージが強く
頭の中で様々な悪い予感を浮かべる。急に図書係になったら、クラスの皆は私の企みに気付いて自分勝手だと思うかも知れない。修哉が私の片想いに気付くのはまだいいけど、それを露骨だと思って嫌ってしまうかも知れない。広がる不安が図書係になることを
無力感が襲う。だが、強力な助っ人が無力感を吹き飛ばした。
私の恋心に気付いた文香は、好意的に協力を申し出てきた。そして、文香はある作戦を立てた。
まず文香は保健係のポストを消去した。お陰で保健係ではなく図書係になる根拠を得た。
作戦では文香が保健係を
強力な後ろ盾が不安を押し退けていく。目前の山場を少しずつ登りきることを見
心の中で叫ぶことで、息の出来ない圧迫から開放させる。
私は修哉のことが好きだ────
ハーブの熟成された
図書室に集まった三十九名の生徒は椅子に座って一点を眺めていた。立ちながら話す担当教員、司書教諭の
私は欲に負けて視線を他に映した。修哉は真面目に本山の方に視線を向けて聞いている。その姿を見ていたら、思っている以上に話が進んでいた。
図書係の代表を決める。その代表は三年の
次は副代表。その副代表は何と二年生の修哉に決まったのであった。
代表、副代表の二人が前に立つ。
修哉はさらに高い山へと登り、私は高く
近くにいて遠くにある。
どんな逆風であっても諦めない。
私の恋を記す本。今プロローグが終わった。それと同時に新たに始まる展開、輝かしい一章が刻まれていく。
*
今まで「本」に興味を持ったことはない。
文香の策略で図書係となったものの透は未だに本への興味が注がれなかった。
すぐそこにあるけど手には取らない存在。味気ない説明が始まった。
「おはようございます。図書係の指導担当の本山智恵です。早速ですが、どうしてあなた達は図書係に入ったのですか」
本山は周りを見渡す。反応が
「本が好きだから、とその理由で入った方もいれば本に興味は無いのに仕方なく図書係になった、という方もいるでしょう。ですが、ここは図書係。本が嫌いだとしても本から逃れることは出来ません。私としては図書係計四十二名、ここに来ていない三名含めて本を好きになって貰いたいと思っています」
本は嫌いでもないが好きでもない。そんな自分でも好きになれるのか。透は心に
本山が続ける。
「それでは何をすればいいのかを説明しますね。図書係の仕事は
透は本山からの情報を頭で整理し
図書係は昼休みに活動する。"図書室の監視"は単にその場にいるだけで良い。ただし、図書室でトラブルが起きた時に担当教員の本山、いなければ他の先生を呼ぶ役割を追っている。"本の管理"は本を借りたい、返したい生徒に対してその本をパソコンで読み取って管理し、貸したり返されたりする。返された本は元の場所に戻すのも図書係の仕事である。
一日二人が担当する。一クラス二人ずつ、回していく。その日、出番でなければ基本何もやることはない。
「以上が基本的な図書係のやるべき事ですが、それが全てとは言ってません。勘違いないように」
三年の固まる場所から声が上がる。「他に仕事があるのですか」
「ええ。イベントをする時には協力して貰います。一つ企画があるのですが、今はまだ早いので言わないでおきますね」
絶妙に隠された内容。興味が注がれる。しかし、それを質問する気にはなれなかった。
話に区切りがついたのだろう。空気が切り替わる。
本山は少し雰囲気を変えて話していく。多少の変化が話を飽きさせない。
「さて代表と副代表を決めましょう。まず希望を取りますね。代表になりたい人はいますか?」
本山は周りを見渡す。手を上げにくい空気圧が皆の手に圧力をかけていた。ただ一人を除いて。
日和が圧に打ち勝ち、穏やかな空気に変えた。
「前世で経験した我こそが代表になるべき、と魂が言っている」
彼女は重度の厨二病。難しい漢字を好み、独特な使い方に絡めて話す。今の発言を解読すると、前期で図書係を経験した自分が代表となるべき、ということだろう。
「それでは副代表になりたい人はいますか?」
「ここは俺がやります」
修哉が手を上げた。三年生が副代表になる、という雰囲気を壊す。彼は二年生だったのだ。こうして副代表は修哉で決まった。
修哉は間を空けた後、口を滑らせた。
「俺何回か図書係の経験がありますし、先生の言ってた
ビブリオバトル……。慣れない言葉に首を傾げる。
語尾にバトルとついているから熱い勝負が繰り広げられるのだろう。しかし、「本」に対して文化的側面が強く運動的側面が見出せない。バトルするイメージが湧かない。
透はバトルのイメージと本へのイメージとのギャップに混乱する。
それもまたここに立ち会った生徒達も同じだった。ポカンとしている表情で埋まっていく。
その様子を見た日和が救いの手を差し伸ばした。
自慢の厨二口調が放たれる。
「我が説明しよう。
何を言っているのか何一つ分からない……
彼女自身は救いの手を差し伸ばしているつもりなのだろうが、何一つ救済されなかったどころか逆に
雲は穏やかに流れていく。普段は流れて去っていく雲が今は立ち止まっているように見える。
本山は混乱を収集するため唇を動かした。
「説明は後回しには出来なさそうなので、私が一から説明しますわね。企画は前の二人が口を滑らした通り『ビブリオバトル』なの。ビブリオバトルはね……」
本山の言葉を頭の中で
ビブリオバトルとは何か、段々と理解していく。透は説明を頭の中で纏めていた。
ビブリオバトルは一人一冊自慢の本を紹介し、
①大体四から五名程度の勝負者が本を一冊持って集まる
②一人ずつ持ってきた本について五分程度で紹介する
③各々の発表後に参加者全員がその発表について議論する
④参加者全員は一番読みたくなった本を一つ投票する
⑤一番多くの票を獲得した本が優勝本となる
ビブリオバトルを通して、本に対して更なる興味を持たせるのが狙いである。
分かりやすい説明が混乱を収める。余裕が生まれた頭は新たな思考を生じさせていた。そして、あちこちでビブリオバトルへの
《純粋に勝負に勝ちたい》
修哉は心の中で闘志を燃やしていた。純粋な情熱が待ち受ける高い壁を見据えている。瞳に真っ赤な炎を燃やす。勝利への熱情が全力で湧き上がっていく。
《修哉に振り向いて欲しい》
苺音は心の中で闘志を燃やしていた。ピュアな恋心が待ち構える高い壁を見据えている。心に桃色の勇気を与えていく。修哉への片想いが恋心を強く湧き上がらせていく。
《姉に勝って認めさせたい》
中西
《BLを広めるチャンスを無駄にはしない》
様々な思惑が混じり合い
各々が楽しみに意識を向けている所に本山が水を差した。
「……ビブリオバトルを行うためには必要な資格があります。紹介する本を深く知らなければ勝負は出来ません。まずは本を好きになることから。好きな本を見つけて何度も読み通すぐらい好きになって、ようやく参加出来ます。ビブリオバトルは、今のあなた達ではまだまだ早すぎると思います」
さらに付け加えてきた。
「それに図書係について慣れなければなりませんから。企画に力を入れて本来の役割を忘れるなど
その一言でビブリオバトルの話題をシャットダウンした。本来の仕事を思い出す。脱線して見ていた光が鮮明な点灯で見失う。だが、脳裏にはその光の記憶が残っている。
透は頭の片隅にその企画があることを保存した。
だが漠然としていてどうしようもない。本は嫌いでも好きでもない。まずは本を好きになれ、と言われてもどう好きになれば分からない。目標が見えていてもそこまでの手段が全く見えないのだ。
いつの間にか雲が流れて日を
いつしか行き詰まりそうな目標を窓越しの空と照らし重ねていた。手のひらを太陽の方向に向ける。白い背景に手のひらが重なった。
*
本を通して恋を知っていく。
初恋の味は甘くて酸っぱい苺の味。だけど、片想いで一向に進まないストーリーがその味を変化させる。もどかしいのに勇気は出ない。きっと同じ気持ちになった人はこの世に多くいるはず。友達であっても直接他人に聞くのは恥ずかしいから、
ビブリオバトルを見て修哉を知る。
発表はその人の癖を絡めて発言されていく。その癖を知ることはその人を知ることと同義である。相思相愛になりたいけど今は違う。近付きたくても修哉の気分を害したくないから上手に近付けない。修哉のことが好きだけど、修哉のことは全く知らない。知りたい、そういう欲求が心の底では巻き上がってる。
私は胸を踊らせて遠くの方を眺める。
修哉の後ろ姿が色濃く脳裏に刷り込まれていった。
青い空がオレンジ色へと少しずつ変わる。
私は帰宅中、地元の図書館へと寄り道した。前までは興味も向かず単なる本の束にしか思わなかったのに、今となっては本が一つ一つ
この本、良さそう────
タイトルに
もどかしく立ち止まっていた私。けど今、眼前の壁を少しずつ乗り越えている。
私は借りた本を持って恋の長道を歩いていく。
赤井苺音の物語は第一章、本との出逢いと深まる片想いの愛、に入っている。
ストーリーは始まったばかりだ────
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