窮地

「何の音?」


 風が木の葉や枝を揺する優しいざわめきの中に、わずかな異音が混じっているのを聞いた私は足を止めた。その音はたとえるなら蚊の羽音に近く、細く長く甲高い。


 この世界にも虫はいる。一度絶滅寸前まで減ったけど驚異の繁殖力で復活したらしい。

 蚊かと思ったその音は私の耳の周りにまとわり付くのでは無く、もっと遠くの方から聞こえる。それらは意思を持って森の中を進んでいるようだ。しかもそれは一つではなく、複数ある。


 それらの音はだんだんと大きくなって、私に近づいてきているように思える。

 ある程度大きくなって、その音がなんなのかを理解した。


 これは自然の音では無い、機械が発生させる音だ。


『逃げてください』


 タロウがそう警告したときには、すでに私の体は音がするのとは逆の方向に走り始めていた。

 私とタロウが走り始めた途端それらの機械音は、一斉に私の方へと向かってくる。


 機械音は遠ざかることは無くだんだんと大きく近くなる。

 私は全力で走ったが、姿を隠すのを止めたそれらの音は簡単に私に追いつき追い越した。


 森の木々の間から、四つのプロペラを持ったマルチコプター型のドローンが、私達の前に飛び出てきて周りを飛び回る。


『ニンゲンハッケン ニンゲンハッケン』


 その無機質な電子的な合成音からははっきりと敵意を感じた。


『ツイセキ、ツイセキ』

『オウエンヨウセイ、オウエンヨウセイ』

『ニゲテモムダダ』


 ドローンは次々と現れ、計四機になった。それらは私たちを中心に右回りでくるくる回りながら追跡してくる。合成音で騒ぎ立てるだけで攻撃は無い。

 あまりのうるささに木の枝を拾って振り回したが、届かないところに離れて騒ぎ立てるのを続けた。腹立ち紛れに持っていたそれを投げたが、あっさりとよけられてしまう。タロウも電撃でピカッと体を光らせ攻撃するが、当たっているのに落ちない。電撃が効かないようだ。


 私達には他に攻撃方法が無い。彼らをたたき落とすのは諦め、後は全力で走ってにげるしかない。


「オカザキシティーの警戒範囲から抜けたじゃなかったの!」

『わかりません。実際敵に見つかっています。おそらく警戒範囲を拡げたのでしょう』


 タロウが次々と電撃を放つがドローンは平気で後をついてくる。

 そういえば明宏が言っていた。道の途中では無くシティの近くで網を張っているはずだと。

 私たちがどこへ行くかはわかっていた彼らは、そのゴールのタカツキシティの近くで待ちぶせていたのだろう。 


 森の中を走って逃げる。できるだけ木の枝が葉が生い茂る深いところを進むがドローン達は器用にそれらをよけながら追いかけてくる。

 その羽音の後方から、さらに大きい機械音が近づいてくる。それらの音の主は森の木々にふさがれその姿は見えないが、地響きを立てて大地を揺らし、木々をなぎ倒し自ら道を作ってこちらに向かってくる。


『ニンゲンハッケン、ショリスル』


 上空から機械の合成音が私に降りかかった。それは今私の周りを飛び回っているヘリコプター型のドローンのように、甲高く騒がしいものではなく、お腹に響く大きく太い声だ。


 見上げると、クキシティを襲った蟹のようなロボットの平たい頭が、木々の間から私達を見下ろしていた。そして彼は今まさにその大きく太い足を持ち上げ、それを私たちに振り下ろそうとしていたところだった。


 そちらに気をとられた私は、木の根に足を取られはでに転んでしまった。

 そこに蟹型ロボットが足を私の鼻先をかすめて振り下ろし、あたりに土煙と木の枝と落ち葉をまいあげる。


 危ないところだった。転んでいなければ今頃私はあの足の裏でぺちゃんこになっていただろう。

 目標を潰し損ねたことに気がついた蟹型ロボットは再び足を持ち上げる。

 私は枯れ葉まみれ、土まみれになった体を起こして立ち上がった。だが足からは力が抜け膝をつき、その場に手をついた。ほぼ全力で走っていた私は、転んだとき木に強く全身をぶつけていた。

 そのとき、頭も打っていたようで見えている景色がぐるぐると回り、まっすぐに立てない。顔の表面には汗ではない、生あたたかい液体がつたっている。


『乗ってください』


 私の目の前に移動したタロウは、そこで体を伏せた。


「そんなことして大丈夫!」


 彼は犬としては大きい方だが馬とは体のつくりが違う。


『熟慮している時間はありません。急いでください』


 彼の体が心配だがここは従うしかない。グズグズしていると今度こそ蟹型ロボットにぺしゃんこにされる。

 私はここで絶対に死ぬわけには行かない。必ずタカツキシティにたどり着き、崖の下に置き去りにしてきた明宏と華加を迎えにいかなければならない。


 私は四つん這いでタロウの背中の上に移動し、そこに抱くようにしがみつくと、彼はすぐに立ち上がり、矢のように走りだした。その直後後方で、大きな地響きがした。おそらく蟹型ロボットが、さっきまで私達がいたところに、大木のような足が振り落としたのだろう。


 雷みたいな断続的な爆発音が聞こえた。森の中を何かが目に見えない速度で空気や木の葉を切り裂いて進み、最後は重い音を立てて地面や木に突き刺さった。それは止まった先に大きな穴を開ける。


 蟹型ロボットは、私達への攻撃をその大きな体を使った攻撃から武器によるものに切り替えたようだ。私達が進んでいる方向に、マシンガンらしきもので弾丸をばらまいている。私達の姿を確認できずにいるので辺り構わず撃っているようだが、そんなに大きくはずれてはいない。


 タロウはまっすぐでなく、大きく左右に蛇行して走りながら蟹型ロボットからの攻撃をよけている。私は振り落とされないように必死に彼の背中にしがみついた。

 花火の打ち上げ音の様な物がして、進む方向に爆煙が上がった。それは大量の炎を辺りにまき散らす。


 走る勢いがつきすぎて避けられない。タロウは構わずその中につっこんだ。もちろん私も一緒だ。

 幸い、熱い、と思う間もなく炎の中を走り抜けた。


 しかし、炎の柱はこれ一つではなく、次々と森の中に現れてその裾野を広げていく。今度はミサイルによる攻撃に切り替え、これで私達を森ごと焼き尽くすつもりらしい。


 私達は森を抜けた。タロウがこのまま森の中にいては危険と考えたのか、ただ単に進んでいたら森が終わってしまったのかわからない。ただ私は彼の背中にしがみついている事しかできない。


森を抜けると私達の姿が蟹型ロボットに露わになる。逆に私達からも蟹型ロボットが見える。彼らは一機では無く三機に数を増やしていた。


『ニンゲンハッケン』

『ツイセキスル』

『ミカタニホウコク』


 そして、私達を見失っていたのか味方の攻撃を避けていたのか、マルチコプター型のドローンが再びやってきて私達の周りを飛び回り、騒ぎ立てる。

 タロウはそれらには構わず走る。今は騒ぎ立てるだけのドローンより、直撃すれば死が免れない攻撃を放つ、蟹型ロボットから離れる方を優先した。


 森を抜けて平地に出たため、走る上での障害物が無くなりタロウのスピードが上がる。

 射撃外に出られたらしく、蟹型ロボットからの攻撃は無くなった。


 さらにタロウはほぼ垂直になった崖を、私をぶら下げたまま登る。そのおかげで蟹型ロボットは振り切れたがヘリコプター型ドローンはまだついてくる。

 崖を登り切り、岩場の平地へと躍り出て、しばらく進むとタロウは転んだ。


 かなりのスピードが出ていたので背中にいた私の体は宙に投げ出され、地面の上を何度も跳ねて転がってから止まった。

全身を貫く痛みに気が遠くなったが騒ぎ立てるドローンの合成音が、私にそれを許さない。


 その場にしばらく横たわり全身の痛みが鎮まるのを待った。今の衝撃で私の体にはいくつもの新しい傷ができたらしい。だけどまだ生きている。

 頭を上げ、周囲を確認すると少し離れたところにタロウは横たわっている。しばらく待ったが起き上がってこちらにくる気配は無い。うっかり転んでしまったと言うことではなく、彼の身に何か起きたようだ。


 泥と傷だらけになった私は動かす度に激痛を起こす手足を使い、時間をかけて這って横たわったままのタロウの体に近づいた。


「タロウ・・・・・・大丈夫?」


 這ったままタロウに問いかけた。


『過負荷甚大のため、エンジン部がオーバーヒート。骨格部に損傷、自己修復不能のレベルです。私はもう動けません。一人で逃げてください』


 タロウの体のあちこちで中の機械がむき出しになり、火花があがっている。私を背負って走るのは彼の体に大きな負荷を与えていたらしい。こんなことできるなら最初からそうしていただろう。これはあくまで緊急避難的な事だった。


「私ももう動けないよ、タロウ」


しゃべるだけでも体のあちこちが痛む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る